第26話
「これは驚いた。貴臣は女に一物をしゃぶらせてないんだな」
意味するところに気がついた私は、かぁっと頰を火照らせる。
そういった愛撫の仕方があることは知っているけれど、貴臣から頼まれたこともないし、私のほうから望んだこともなかった。やり方すら、よくわからない。
しかも口淫は深い関係でなければしないことだ。初対面の男に、それも処罰として行うだなんて信じがたい。
「そ、そんなことできるわけないでしょ」
「やるんだよ。それとも犬の指を落とすか?」
「それは……きゃあっ」
腕を引かれて座席から引きずり下ろされる。
床に跪いた私は頭を掴まれた。ぐい、と大きく開いた足の間に顔を引き寄せられる。
まさか……ここで?
そんなことできるわけない。貴臣以外の男の人と淫らなことなんて、したくない。
でも、やらないと咲夜の指を切り落とすはめになってしまう。それだけは決してさせられない。
「おら、さっさとやれ」
頭の後ろがてのひらで押さえつけられているので逃れられない。
ぶるぶると肩が震えてしまい、理屈と感情がせめぎ合う。
咲夜が床を蹴る音がした。咄嗟に扉の前にいた男が阻み、両者はもみ合いになる。
「お嬢さん、いけません。自分が指を落とします!」
「だ、だめ。それだけは――」
そのとき、事務所に踏み込んでくる複数の足音が耳に届く。
はっとした一同は扉に目を向けた。
勢いよくドアが蹴破られる。
押し入った貴臣は抜き身の短刀を手にしていた。中腰になった牧島の喉元に白刃が突きつけられる。
「てめえは俺の女に何をしている」
地の底から響くような声音と、ぎらついた双眸は畏怖を呼び起こす。
貴臣に続き、室内には薬師神と玲央、それに堂本組の舎弟たちが踏み込む。玲央の腕に庇われた私は立ち上がり、彼の背に匿われた。突然現れた堂本組に睨まれ、角刈りの男は咲夜から腕を下ろして事態を見守る。
刃を押し当てられた牧島の喉が、ごくりと動く。
「……なんだ、貴臣。たかが女じゃねえか。ちょっと借りるくらい、いいだろう」
「葵衣に手を出したら、その喉を掻き切るぞ」
「わかった。まずはヤッパを収めてくれ。俺とおまえの仲だろうが」
両手を掲げた牧島の喉元から、貴臣はゆっくりと短刀を外す。鞘に納めるのを見届けた牧島は、小さく嘆息を零した。
「そうカッカするなよ。冗談に決まってるだろ。貴臣の女だとは知らなかったんだ」
彼は私を『堂本組の姐御』だと認定していた。それなのに素知らぬふりをするのは、明らかに言い逃れだ。
貴臣は剣呑な光を帯びた双眸を牧島に向けている。
「どうだかな。随分と連れ込むのが早かったじゃないか。おまえの手が早いのは昔から承知している」
「何を言ってんだよ。貴臣の親父さんの仇を討つために、俺がどれだけ尽力したか忘れたのか? 細かいことは水に流そうや」
その言葉に、貴臣は目を眇めた。
親父さんの仇討ち……?
貴臣のお父さんは抗争で亡くなったと聞いている。過去に何があったのだろう。
ふたりの間には友人らしい穏やかさはなく、ひりついた空気が漂っていた。牧島は貴臣に媚びるような姿勢を見せているものの、彼からは殺意にも似た気配が滲んでいる。
「そうか。俺の女がシマを荒らしたことも、水に流すんだな」
「ああ、もちろんだ。たいしたことじゃねえ。カチコミじゃあるまいし、こんなに大勢で迎えに来られるとこっちも困る。さっさと連れて帰ってもらってけっこうだ」
貴臣は成り行きを見守っていた私たちに向けて、顎をしゃくる。
「帰るぞ」
その一声により、堂本組の面々は事務所から退出した。
私は玲央と咲夜に両脇を挟まれるようにして、雑居ビルから出る。
表に待機していた車に乗車すると、隣に貴臣が乗り込んだ。
誰もが無言のまま車は発進して、街を走行する。
私は座席で小さくなっていた。憮然とした貴臣はきっと、私の勝手な行為で迷惑をかけたことを怒っているに違いないから。
彼から何も言われないのが、余計に居たたまれなくなる。
やがて堂本家に到着すると、車は事務所の前で停車した。
勢揃いして出迎えた若衆が、代紋のついた扉を開ける。貴臣が事務所に入っていくので、私もあとに続く。
最奥のソファは王の椅子のように重厚で、そこに貴臣はどかりと腰を下ろした。
薬師神は影のように、貴臣の傍に付き従う。私と玲央、それに咲夜が少し離れた場所に立つ。
「葵衣。座れ」
「……はい」
命じられたので、大理石のテーブルを取り囲むように設置された広いソファの一角に、そっと座った。貴臣から叱られるのを、俯いて待ち受ける。
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