第25話
はっとして振り向くと、男たちは呻き声を上げて倒れ伏していた。ただひとり無傷の咲夜だけが、口端を手の甲で拭っている。
「いい狂犬を飼ってますね。――おう、おまえら、さっさと立て!」
角刈りの男に命じられ、倒れていた男たちはのろのろと体を起こした。
遠巻きに成り行きを見学していた人々が、ざっと散らばる。私たちは綺麗に人波が割れたアーケード街を、案内されて歩いていった。
銀山会の事務所は、アーケード街からほど近い雑居ビルの一室にあった。
代紋の記された扉を開けられたので入室すると、そこは古びたオフィスとなんら変わりない様相だった。先ほどの男たちはオフィスには入らず、ビルの階下に待機している。デスクで電話をかけている男が数名いるが、彼らも銀山会の構成員なのだろう。
「こちらへどうぞ。牧島さんがお待ちです」
先ほどから彼らが口にする、牧島とは何者だろう。銀山会の幹部なのだろうか。
奥へ通されたので、おそるおそる進むと、ほの苦い煙草の香りが漂ってくる。
応接室のようなそこには革張りのソファセットが設えられていた。
ソファからはみ出した長い足が、ふいに黒革の靴を揺らす。
「おう、来たか」
こめかみに傷のある男は、こちらに横目を投げてきた。
精悍な顔立ちは男前と言えるかもしれないが、彼から滲み出る殺伐とした気配が幾多の修羅場をくぐり抜けてきたことを匂わせている。
「俺は銀山会の若頭、
手にしている葉巻と着崩したスーツが自堕落を思わせる。牧島の口調は丁寧だけれど、彼はどこか信用ならないと思った。
私の後ろにぴたりと付き従ってきた咲夜は鋭い双眸のまま、無言で壁際に立った。案内してきた角刈りの男は、出口を塞ぐかのように扉の前に直立する。
臆しそうになるけれど、それを隠して余裕を見せた私は、優雅にソファに腰を下ろした。
「お邪魔します。ただ私は、堂本組の姐御ではないわ。あの屋敷にお世話になっているだけよ」
面白そうに笑った牧島は、組んだ足を高々と掲げて葉巻を咥える。
「貴臣が囲っている女なら、姐御も同然だろう。あんたはもう極道の女だ。無関係は装えないんだよ、藤宮葵衣さん」
「ど、どうして私のことを知っているの⁉」
「極道は狭い世界なんでね。大抵のことは筒抜けだ。つい先日まで堅気だったあんたに教えてやるが、貴臣と俺はガキの頃からの付き合いなんだ。もっとも向こうは堂本組のお坊ちゃまで、俺は下っ端からの叩き上げなんだがね」
彼は貴臣の古い友人らしい。それならば、今回の不手際も許してくれそうだ。
ほっとした私は肩の力を抜いた。
「そうだったのね。知らなかったとはいえ、あなたがたの管轄の地域に足を踏み入れたのは申し訳なかったわ。ただ買い物をしたいだけだったの。許してくださる?」
そう訊ねると、鼻で嗤った牧島は乱暴に葉巻を灰皿でもみ消した。
「姐さん。極道ってのは、許してもらおうとするなら指を落とさないといけないんですよ」
「ゆ、指を⁉ でも、買い物に来ただけなのよ」
極道の世界では、指を切り落としておとしまえをつけるそうだが、それは重大な違反行為を犯したときだろうと私にでもわかる。まさかほかの組が管轄する地域を訪れただけで指を落とすだなんて、あまりにも重すぎる処罰だ。
驚いて腰を浮かせた私に、牧島は笑みを浮かべつつ説いた。
「あんたの犬が、うちのやつらを叩きのめしたじゃないか。シマに踏み込んできてそんなことをされたら、ケジメをつけてもらわないと俺の面目が立たない。なにも姐さんの指を置いていけと言ってるんじゃないんだよ。その犬の小指を切り落とせばいいだけだ。簡単な話でしょう」
息を呑んで、咲夜を振り返る。犬とは咲夜を指していた。
牧島にとっては、飼っている犬の指を切り落とすくらい容易いという感覚なのだ。
信じられないほど残酷な男に、反発が沸き起こる。
「そんなことはさせないわ!」
「お嬢さん、自分は――」
一歩踏み込んだ咲夜に、ぎらりと牧島が鋭い視線で刺す。
「犬は黙ってろ!」
その一喝が室内に響き渡る。空気を振動させた怒号が消えると、しんと張り詰めるような静寂が満ちた。
不服そうな表情を見せた咲夜だったが、口を噤んで引き下がる。
吠えた牧島は途端に態度を翻し、私に向き直ると猫撫で声を出した。
「なあ、姐さん。飼い犬を傷つけたくないっていうのなら、あんたにおとしまえをつけてもらおうか」
「それは……どうすればいいのかしら」
咲夜の指を落とすなんてことは絶対にさせない。
けれど牧島は、私にそうさせようという意図ではないらしい。
土下座でもしろというのだろうか。震えそうになる心を叱咤して、舌舐めずりをする男の顔を見返す。
「ちょっとしゃぶってくれ。それで許してやるよ」
言われたことの意味がわからず、目を瞬かせる。
「しゃぶ……? どういう意味かしら」
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