第22話

 すぐに貴臣は、愛しいものを見るように双眸を細めた。

「俺もだ。おまえとの子がほしい」

 すい、と私の手を掬い上げた貴臣は、しっかりとつないだ。

 彼の熱い体温がてのひらを通して伝わってくる。それは深い安堵をもたらした。

 貴臣に抱かれているときに感じる安堵と同じだった。

「言ってくれ。俺が好きだと」

「……まだ、わからないわ」

 その答えに微笑を零した貴臣は、つないだ手を掲げると、私の手の甲にキスをひとつ落とした。

 じわりと体に染み渡る彼の熱に、身を委ねる。

 私……貴臣のことが好きなのかしら……

 けれど、その答えを出してはいけない気がした。

 あくまでも私は子を産むためだけの、契約花嫁なのだから。


 貴臣の屋敷を訪れ、婚約者として同居生活を送ってから二か月が経過した。

 夜は貴臣とふたりきりになり離れで過ごすものの、昼間は仕事のため彼は不在になることが多い。離れから出てはいけないと厳密に命じられてはいないので、私は庭園を散歩したり、事務所に顔を出したりと、次第に行動範囲を広げていった。敷地内なのに必ず咲夜が同行するのが少々困るくらいで、不自由なく過ごしている。

 先日、何か手伝うことでもないかと事務所を訪ねた私を、在籍している舎弟たちは丁重に扱ってくれた。恐縮してしまったけれど、極道の専門用語などを教えてもらえて勉強になった。

『カチコミ』や『ヤッパ』などの専門用語をメモしていたら、なぜか感心されたものである。

 今日も事務所へ向かう道すがら、影のように付き従う咲夜を振り返った。

「咲夜……いつも私についてこなくてもいいのよ。事務所にはもう何度か顔を出しているし、堂本組のみんながいるから心配ないわ」

 彼は離れでの仕事もあるはずなのに、常に私についていては大変ではないだろうか。子どもではないのだから敷地内で迷子になることもないのに。

 にこりと笑った咲夜は、事も無げに答えた。

「自分がお嬢さんのあとをついていきたいんです。だめですか?」

「だめじゃないけど……仕事のない私と違って、咲夜は忙しいんじゃない?」

「お嬢さんは堂本組の姐御という立派な仕事がありまして、自分はその御方を見守るのが仕事です。そのほかの雑事はさほどでもありません」

「もう! だから私は姐御じゃないと言ってるじゃない」

 咲夜を含めた若衆や舎弟たちは、私が組の姐御になるのだと、すっかり思い込んでしまっているようだ。結婚はしないと説明しても信じてもらえない。かといって、貴臣に囲われている今の状況は『組長の愛人』なので、そう呼ばれても困る。もはや、姐御扱いされるのは仕方のないことといえるので諦めたほうがよさそうだ。

「自分にとっての姐御は、お嬢さんだけですから」

 爽やかにそう告げる咲夜の言葉は居心地の悪いものではなかった。唇を尖らせつつも、まんざらでもなく受け止める。

 事務所へ入ると、その場にいた若衆たちが作業の手を止めて一斉に頭を下げた。

「姐さん、おつかれさまです!」

「みなさん、ご苦労さま。すごい荷物ね。私も手伝うわ」

 室内には数々の段ボール箱が積み上げられていた。まるで引っ越しするかのようだが、ひとつひとつに伝票がついているので、宅配便で届けられた荷物らしい。みんなはその開封作業に勤しんでいたようだ。

 段ボール箱を開けていた若衆のひとりが、戸惑った顔をする。

「いえ、これは……姐さんに手伝ってもらうわけにはいきません」

「どうして? 私にも何か手伝わせてちょうだい。もしかして拳銃が入っているとか、そういうこと?」

 冗談めかして言い、箱の中身を覗き込む。

 そこには無論武器など入っていなかったが、代わりに臙脂色の小箱があった。

 これと似たものを見た覚えがよみがえり、すうっと背筋が冷える。

 ――婚約指輪を入れるための箱だわ。

 結局、私が自腹で購入することになった婚約指輪は不要になり、今は実家にしまい込んだままになっている。あのとき、嬉々として指輪を選ぶ私の横で、婚約者であるはずの亮は目を逸らしていた。

 嫌なことを思い出してしまい、咄嗟に臙脂色の小箱を取り出して蓋を開ける。

「まあ……すごい時計ね」

 中身は指輪ではなかったことに、ほっとした。

 予想に反して、小箱に入っていたのは見るからに高価そうな男物の時計だった。精緻な細工の盤面にはダイヤモンドが散りばめられている。この時計ひとつで高級車が買えるほどの価格だろう。

 時計越しに、貼りつけられた伝票が目に入った。

 宛先は『堂本貴臣様』と記されている。堂本組や会社ではなく、貴臣個人への贈り物ということだ。そして、送り主は――

黒川くろかわ真由華まゆか……。どなたなのかしら?」

 その名を口にしたとき、ぞくりと嫌な気配が背を這い上るのを感じた。明らかに女性の名前だ。

 訊ねると、若衆たちは気まずそうに目線をさまよわせていた。

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