第21話
もし産まれても子どもは堂本組の跡取りになることが決められているので、私が育てるという状況にはなりえない。
でも、本当にそれでいいのか。子どもは母親がいないことを知ったとき、どう思うのだろうか。
それはひどく遠い未来のはずなのに、すぐそこにある気がして身が竦む。
燦々と振り注ぐ陽射しに目を細めた貴臣は、漆黒のジャケットを脱ぐ。眩い純白のシャツが露わになり、彼はジャケットを肩にかけた。
「うちには若衆が大勢いる。子が産まれても、母親ひとりで子育てするということにはならないから問題ない。俺もそうして育てられたしな」
「そういえば、貴臣のお母様は別宅で暮らしているの?」
貴臣の母は極道の妻ということになる。
だが屋敷で見かけたことはなく、話に聞いたこともなかった。
公園で遊ぶ母子を遠くに眺めながら、貴臣は低い声で告げる。
「母親はいない。極道の妻になるのが嫌で、家を出ていったそうだ」
「そうだったのね……。哀しいことを思い出させてしまって、ごめんなさい」
「いや、いい。いずれは知っておいてほしいことだしな。父親は抗争で死んだ。俺がまだ若い頃で、西極真連合も堂本組も、あのときはひどく荒れたもんだ。俺の組長就任を巡って構成員の離脱なんかも起きてな。当時、連合会長だったうちのじいさんがいなかったら、今の堂本組はなかった」
貴臣にとって、祖父の堂本権左衛門は親代わりともいえる存在だったのだ。
彼は生まれながらに背負った使命を果たすため、数々の苦難を乗り越えてきたのだろう。
重々しい内容を、さらりと話した貴臣は微苦笑を浮かべる。
「だからな、俺にとっては、じいさんが親みたいなものだ。子どものときから憧れの極道の親分だったのさ。そのじいさんの膝に座ると、葵衣という許嫁がいるってことを呪いのように聞かされるんだからな。そりゃあ、許嫁を嫁に迎えないとじいさんが化けて出るってもんだ」
面白く話すので、くすりと笑いが零れてしまう。
「貴臣のおじいさんは、そんなに私のことを気に入っていたのかしら。だって会ったこともないでしょう?」
「もしかしたら、会ったんじゃないのか? 血判状が交わされたのは二十年前だ。葵衣は子どものときに、知らないじいさんと面会した思い出はないか?」
思い返してみると、祖父に連れられて、様々なパーティーや会食に顔を出していた記憶がある。
けれど、いずれも会社の重鎮といった風情のおじいさんたちの顔や名前を、小さかった私が覚えているはずもなく、堂本権左衛門という名も聞き覚えがなかった。
祖父から、私に許嫁がいるなどという話はもちろん出たことはない。
「覚えていないわ……。でも、おじいちゃんに連れられていろんなパーティーへ行っていたから、もしかしたら貴臣のおじいさんにも会っていたのかもしれないわね」
「そうか……。俺はずっと、おまえに会いたかった。だから、これまでになくした時間を取り戻したい」
ふいに真摯な眼差しを向けられ、どきりと胸が弾む。
私も、もっと早く貴臣に会っていたかった。
彼が婚約者なのだと初めから知っていたのなら、ほかの人と婚約するなどという事態に至らなかったのではないか。極道の嫁になるという事実も、もっと早期から心構えをしていれば、受け入れられていたかもしれない。
後悔が胸をよぎるけれど、祖父を恨みかけた私は胸の裡でそれを打ち消す。
おじいちゃんは私のためを思って、死ぬまで血判状のことを明かさなかったのだ。
きっと、好きな人と結婚してほしいと願っていたのに違いない。
私の、好きな人……それは……
すぐ傍にいる貴臣を見上げると、彼が向けている熱い眼差しが絡みつく。
「おまえは、俺に会ったときに、どう思った?」
「……借金の取り立てかと思ったわ」
「はは、そうだろうな」
貴臣は朗らかな笑い声を上げる。
彼が艶めいたことを訊ねるので恥ずかしくなり、あのときに感じたことを正直に言ってしまった。
今も、彼が恐ろしい極道だと思っていることに変わりはない。
そのはずなのに、私の心の奥底には淡いものが芽吹いているのを感じた。
「俺もな、子どもの頃はじいさんの言うままを信じていたんだが、大人になったら、会ったこともない許嫁なんて信用ならないもんだと思っていたのさ。堅気のお嬢様が極道の世界に馴染めるわけもない。だから血判状を形の上でだけ処理することも考えていた」
「え……そうだったの?」
許嫁として期待されていなかったと聞き、わずかに傷つく。
貴臣は言葉を継いだ。
「だが、おまえに会って考えが変わった。おまえの目に惚れたんだ。まっすぐで、綺麗な目をしている。だからこの目が曇らないよう、俺が守ってやらないとな」
そう言ってまっすぐに私を見つめる貴臣こそ、澄んだ眼差しをしていた。
とくりとくりと鼓動が甘く駆ける。
胸の奥から迫り上がってくる想いをこらえきれず、唇にのせた。
「私……あなたの、子どもがほしい」
貴臣が目を見開いたことにより、大胆な台詞を言ってしまったことに気がついた。
私自身も驚いて瞠目する。
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