第20話

「細かいこと言うな。――葵衣、こっちに来い」

 来いと言いつつ、貴臣は私の腰を引き寄せると、ソファに並んで座る。ふたりの体はぴたりと密着していた。それだけでもう抱かれるときの体温が伝わるようで、頰が熱くなってしまう。

 室内には薬師神と咲夜がおり、ふたりは平然として後ろに立っていた。

「あの……貴臣。おふたりに見られているのだけど……」

「何をだ」

「だから……私たちがくっついているところ……」

 貴臣はことあるごとに私に触れてこようとするのだけれど、人目のあるところではさすがに遠慮してほしい。それとも組長という立場なので、王様みたいに常に部下がついているから気にならないのだろうか。

「それがどうした。おまえが愛しいから、いつでも傍に置きたいんだ」

 かぁっと頬を熱くさせた私は気を取り直して、先ほどの電話で母から聞いた情報を話した。

「ところで、貴臣は会社に融資をしたり、私の借金を払ってくれたのね」

「ああ、それか。俺の女の面倒を見るのは当然のことだ。気にするな」

「でも、決して安くはない金額だわ。それにクローゼットにはいつの間にか着物やアクセサリーがしまわれているでしょう。あれはいらないと断ったのに、どうして……」

 ふいに唇に人差し指が当てられ、塞がれる。貴臣の熱い指の感触を唇で感じながら、私は目を瞬かせた。

「プレゼントは俺が勝手に贈っているだけだ。お嬢は何も返さなくていいし、気に病まなくていい。気分転換に使いたくなったら、使え」

 ああ、そうなのね……と、私は妙に納得した。

 私は跡取りを産むだけのかりそめの花嫁なので、あの数々の贈り物はいわば、私へ宛てたものではないのだ。

 貴臣が極道の嫁として相応しい女性を迎えたとき、その人のためにあれらの着物や宝石が使用できる。会ったこともない許嫁の私のために屋敷まで建設した貴臣のことだから、将来を考えて用意しておくということなのだろう。

 そう解釈した私は、ぎこちなく頷いた。

 贈り物をいただかなくてよいというのに、なぜか落胆が胸を占める。

「わかったわ……。でも、お借りしたお金は必ず返すわね」

 目を伏せた私の表情を凝視していた貴臣は、低い声音を絞り出す。

「俺の言い方が悪かったようだな。俺はお嬢を喜ばせたいだけだ。いったいどうすれば笑ってくれる?」

 しっかりと手を握られ、真摯な双眸を向けられて、どきりと胸が弾む。

 貴臣はとても私を気遣ってくれる。

 極道なんて、怖いだけだと思っていたのに。

 まだ何も返せないけれど、彼のことをもっと知りたいと思った。

「そうね……それじゃあ、貴臣と公園を散歩したいわ」

「……ほう。散歩するだけか」

 奇妙なことを耳にしたかのように、貴臣は軽く目を見開く。

 ここへ来てからすでに半月ほどが経過していた。その間、屋敷から一歩も出ていないので、違う景色を見たいと思っていたところだ。

「そう、散歩するだけ。ふたりきりでゆっくり話したいの」

「いいとも。さっそく行くぞ。――おまえらはついてこなくていい」

 軽く手を振って薬師神と咲夜に指示を出した貴臣は、私の肩を抱いて立ち上がった。

 玄関へ赴くと黒塗りの車とともに若衆が待機していたが、「歩きで公園に行く」と貴臣が告げる。それを聞いた若衆たちは目を丸くしたのだった。


 快晴の空に薄く棚引く雲が美しい。

 外の空気を思いきり胸に吸い込んだ私は、ふうと息をついた。隣を歩く貴臣も、目を細めて空を見上げている。

「たまには散歩するのもいいもんだ。車で移動となると、天気もよくわからないからな」

「そうね。歩くのは健康にいいから、毎日でも行ったほうがいいのよ」

 貴臣の案内で近所の公園に辿り着くと、犬の散歩をしている人や、小さな子どもを遊ばせているお母さんを見かける。天気がよいので、川縁の遊歩道からは心地よい風が吹き抜けてきた。

 ふと、遊具で遊んでいる三歳くらいの子の無邪気な笑顔が目に入り、かすかに心の奥底がかき乱される。

 私も……あんなに可愛い子を、産めるのかしら?

 契約花嫁として貴臣の子を産むことを、理屈としては受け入れていたけれど、いざ出産したら自分の子を手放せるのだろうか。

 その前に、妊娠するかもわからないのだけれど。

 毎晩、貴臣から情熱的に抱かれて、体の奥に精を注がれている。無我夢中でそれを受け止めるばかりで、実際に妊娠して出産したあとの子どものことは考えていなかった。

 子どもはひとりの人間であり、感情を持っているということを、心のどこかに置き忘れていた。もしかしたら、見ないふりをしたかったのかもしれない。

 私の視線の先を追った貴臣は、ふいに問いかける。

「葵衣は、子どもが好きなのか?」

「えっ……ええ、好きよ。無邪気でとても可愛いわよね。育てるのは、大変だと思うけど……」

 私は貴臣との子どもを産みたいのだろうか。

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