第18話
確かに、玲央が勤めていたレストランで起きたセクハラ事件を引き受け、示談に持ち込んだのが薬師神だった。本人と店主は互いに相手のほうから関係を迫られたという言い分で、主張は完全に食い違っていた。
だが玲央は料理のことしか頭にないような男だ。見目がよいのと、いささか口が過ぎるところがあるゆえに、これまでも似たようなトラブルに見舞われてきたのだと察する。そんな玲央を堂本組の料理番に誘ったのは俺なので、彼に対しても責任があった。
「顔がいいのも考えものだな……。ここでおまえと話していても埒があかない。玲央を呼べ」
「承知しました」
書斎を出た薬師神は、控えていた若衆に言付けてから室内に戻ってきた。
すぐに書斎の扉が軽くノックされる。
「玲央です。お呼びでしょうか」
「入れ」
低く命じると、扉を開けた玲央は一礼して入ってくる。表情は平静そのものだ。
彼には厨房を任せているので、俺や幹部と接する機会が多く、呼び出しに動揺したりはしない。そもそも肝が据わっており、驚いた顔を見たことがなかった。よって秀麗な顔立ちは人形のごとく動じない。女なら、この顔をいくら眺めていても飽きないだろう。
「夕食の仕込みはまだなので、メニューの変更は可能です。本日の夕食はお嬢さんの希望を考慮して、膳に茶碗蒸しをつけます。メインは和牛ステーキの予定です」
ソファに深く背を預けて、淡々と述べられる夕食についての情報を聞く。薬師神は聞き取りを俺に任せるつもりらしく、黙々と書類を整理していた。
「葵衣はどうしている?」
「お嬢さんは咲夜と話しています」
端的にそう告げた玲央は、それがどうかしたかとばかりに瞬いている。話の方向性を変えてみることにした。
「なあ、玲央。おまえ、女にもてるだろう」
「はあ……。顔がいいですからね。でも組長もご存じのとおり、この顔のせいでトラブルに巻き込まれてきたので、もてるからといって嬉しいことばかりじゃないですよ」
己が美形だと認めるところに嫌味がないが、反感を持たれるのも事実だろう。美醜にこだわる人間にとっては贅沢者の悩みだ。
「おまえの意見を聞きたいんだが、女がプレゼントを受け取らないのは、なぜかわかるか?」
葵衣が贈り物をすべて断ったことが、純粋に不思議だった。玲央も似たような経験があるなら、彼の意見を聞きたいと思ったのだが。
ああ、という顔をした玲央は、あっさり言い放った。
「嫌いだからじゃないですか? 俺は『二千万あげるから結婚して』って迫られたことあるんですけど、断りました。その気がないなら、もらうべきじゃないですよね」
「……そうか」
ぐさりと透明なナイフで刺されて重傷を負った。
正式な婚約者として囲っているというのに、葵衣は俺のことが嫌いだというのか。反論しようにも理屈はもっともだ。
さらに玲央は傷口に塩を塗り込んできた。
「お嬢さんがそう言ってましたね。聞こえました。あくまで俺の意見ですけど、あれこれ押しつけられると窮屈に感じるんじゃないですかね」
「……なるほどな」
書類から顔を上げた薬師神が物言いたげに玲央を睨んだが、当人は飄々としている。組長に対して不躾だと言いたいのだろうが、忌憚ない意見を聞きたいので問題ない。むしろ、玲央のあけすけなところは好感が持てた。
「そこでもうひとつ訊ねるが、葵衣は咲夜になびくようなことがあると思うか?」
核心に迫ると、玲央はやや考えてから口を開いた。
「ないですね」
断言されたことに驚く。試したつもりだが、まさかきっぱり断定するとは思わなかった。
葵衣と玲央が直接顔を合わせたのは、つい先ほどである。
俺ですら葵衣のことをすべて理解したわけでもないというのに、何が彼をそう確信させたのか興味が湧いた。
「はっきり言うじゃないか。なぜ、わかる?」
「食事でわかります。浮気性の人って、食べ残しが汚いんですよね。お嬢さんはいつも器が綺麗で、残してるときも美しいというか、そういうところに性格が出るんですよ。だから几帳面で正しくないことはしないタイプかなぁと思います」
俺が横目を使うかどうかで人間を判断するのと似たようなものか。
葵衣は姿勢がよく、食事の仕方が綺麗だと感心してはいたが、食後の器にまでは着目していなかった。
「なるほどな。貴重な意見だ。――薬師神からは何かあるか?」
明かりに眼鏡を反射させた薬師神は、冷淡な双眸を玲央に向ける。
「では、逆はどうでしょう。咲夜は葵衣さんに惹かれると思いますか?」
薬師神にとって最大の懸念事項を、ずばりと訊ねる。
玲央は平然として答えた。
「それはあると思います」
一瞬、俺と薬師神の時間が止まる。
玲央と咲夜は年が近く、仲がよいので、そんなことはないと庇うのが定石かと予想したのだが。
意外だったのは薬師神も同様のようで、彼は眉間を深くした。
「理由は何でしょう」
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