第14話

「それはいけないな。裸でいさせた詫びとして、身を纏うものをプレゼントしてやろう」

 微笑んだ貴臣は私の腰をさらって部屋を出る。階段を上って一階へ行くのは久しぶりだ。

「でも、服はクローゼットに入っているから……」

「まあ、見てみろ。これをおまえのために用意させた」

 一階に到着すると、貴臣は和室の襖を開け放った。

 飾り気のない和室だったその部屋から眩い光が零れる。

「まあ……」

 そこには数々の豪奢な着物が衣桁掛けにされて飾られていた。

 鮮やかな百花繚乱が舞う朱の友禅に、可憐な桜吹雪の白綸子、漆黒の縮緬地には怜悧な月夜が描かれている。いずれも意匠を凝らした高価な代物だ。しかも着物だけではなく、金彩や黒繻子の帯に、色とりどりの帯締め、それから螺鈿細工のかんざし、鼈甲の櫛などの小物もずらりと揃えられている。

「どれにする。お嬢に似合うものをすべて持ってこいと並べさせたが、これじゃあ足りないな。――おい、咲夜」

「はい、ここに」

 廊下に膝を突いていた彼は、初日に家を訪れた若衆だった。華奢な体格で気づいたけれど、この和室で夕食をいただいたときに給仕してくれた黒子も彼だった。

「呉服屋に伝えろ。すべて購入するから、もっと着物を持ってこいとな。お嬢を着飾らせるのに、こんな数枚じゃどうしようもない」

「承知しました」

 貴臣の言い分に驚き、息を呑んだ。

 腰を上げかけた咲夜を慌てて止める。

「ちょっと待って、咲夜さん! それは必要ないわ」

 こんなに高価なプレゼントを贈ってもらうわけにはいかない。着物は一枚だけでも大変な高額だ。それどころか貴臣は店ごと買い取りそうな勢いである。

 私が制止したことに、貴臣は眉をひそめた。

「おい、葵衣。こいつに限らず、組の者に敬称をつけるな。全員を呼び捨てにしろ」

 そちらのことかと思ったが、呼び名にも極道のルールというものがあるらしい。それに応じないと話を聞いてくれなさそうなので了承した。

「わかったわ。それじゃあ呼び捨てにするわね。それはともかくとして、こんなに高価な品物をプレゼントしてもらうわけにはいかないわ。もちろん追加の着物もいらないから」

「ほう……」

 貴臣は世にも奇妙なものを見るように目を瞠って、私の意見を受け止めていた。

 どこに驚くような要素があったのかわからない。私は妙なことを言っただろうか。

 驚いていた貴臣だったがすぐに笑みを浮かべ、ぐいと私の肩を引き寄せる。

「わかった。宝石だな。服だけあっても仕方なかったな」

「全然わかってないじゃない! ほかのものが欲しいって言ってるわけじゃないの。着物も宝石も、私には必要ないわ」

 今度こそ虚を突かれたように、貴臣は仰け反る。

 彼は焦燥を滲ませて、私を説得しにかかった。

「何を言ってるんだ。俺の女に相応しい物を贈るのは当然だろう。遠慮しないで受け取れ」

『俺の女』と言われて、どきりと胸が弾む。

 けれど私は貴臣の恋人ではないし、まして結婚するわけでもない。ベッドをともにした女への報酬のように物を与えられるのは傷つく。

 私は頑なに首を横に振った。

「遠慮なんかしてないわ。私は貴臣の恋人でもなんでもないのだから」

 絶句した貴臣は、呼吸を止めている。

 ごく当たり前のことを言ったつもりだけれど、なぜか彼に驚愕を与えてしまったようだ。

 私たちのやり取りを見かねた咲夜は、正座していた廊下に手をつく。

「殴られるのを覚悟で自分から組長に申し上げたいことがあります」

「なんだ咲夜。言ってみろ」

 貴臣に促された咲夜は困り顔で助言する。

「組長のセンスが、お嬢さんの好みと合っていないのではと思われます。お嬢さんは堅気ですから、高価なもので着飾る機会がありません。好みではない着物を贈られても困るんじゃないでしょうか」

「そのとおりよ。私は宝石や着物を贈られても困るわ。普段は今着ているような服でいいのよ」

 目を眇めた貴臣は納得がいかないらしい。

「服でも宝石でもなかったら、おまえは何が欲しい。どんな贅沢でもさせてやるから、望みのものを言ってみろ」

 彼は私に何らかの贈り物をしないと気が済まないようだ。

 どう言えばよいのか悩んでいたとき、廊下に人の気配がした。

 つと振り向くと、咲夜とは反対側に金髪の若衆が平伏している。

「お話し中、失礼します。薬師神さんがお呼びです」

 薬師神とは、貴臣の会社の顧問弁護士だ。堂本組の幹部でもあるらしい。

 貴臣は数日、私とこの屋敷に籠もりきりだったので、仕事が溜まっているのではないだろうか。両親への説明がどうなったのかも知りたいところだ。

 嘆息を零した貴臣は、私の肩を一度ぎゅっと抱くと、するりと離して立ち上がった。

「ちょっと行ってくる。――おまえら、お嬢を頼んだぞ」

 咲夜と、もうひとりの若衆は頭を下げた。

 重厚な足音が主屋へ向かうため遠ざかっていくのを耳にし、胸にすきま風が吹いたような心許なさを覚える。

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