第13話

「そんなに美味いか?」

「ええ、とても」

「俺にはあまり味がわからないけどな」

 なぜか私の顔を見ながら箸を進める貴臣は、手元を見ていない。それにもかかわらず、ご飯のひと粒も零したりはしないのだけれど。彼はいつもそうなので、不思議に思い訊ねてみた。

「あの……貴臣はどうして私の顔を見ながら食事するのかしら。ごはんを見ないから味がわからないのじゃなくて?」

「おまえを見ていたいからだ。一瞬たりとも目が離せない」

 その答えに、私は箸を取り落としそうになった。かぁっと頰が火照る。

「貴臣ったら……もう」

 獲物を見定めるように貴臣は、こちらに眼差しを注ぎながら自らの唇を舐める。妖艶なその仕草に、どきりと胸が弾んだ。

 ずっと彼に囚われていて、心と体は甘い悦楽に浸ってばかり。

 でもそれが、嫌ではないのが戸惑いを生む。

 貴臣の絡みつくような視線に困りつつ食事を終える頃、ふいに部屋の扉が小さくノックされる音が耳に届く。

 そんなことは初めてだったので首を巡らせると、素早く席を立った貴臣が大股でそちらへ向かった。衝立となる壁があるので、テーブルから部屋の出入口は見えない。

 男性の声がひとこと何かを告げると、貴臣は「そうか」とだけ返答しているのが聞こえた。

 戻ってきた貴臣の瞳から、欲の色が消えているのを見て取った私の心は、なぜか落胆する。

 ど、どうして私、がっかりしてるの……?

 まるでもっと抱いて欲しいと願っていたようだ。彼とはあくまでも契約として体を重ねているだけなのに。

 慌てて自らの心を立て直し、平静を装う。

「どうかしたの?」

「上に用意ができた。おまえに見せたいものがあるから、着替えろ」

 見せたいものとは何だろう。

 小首を傾げたけれど、この淫蕩な空間からひととき抜け出せるわけなので、気分転換ができる。私はいそいそと席を立った。

 ところがシャワーを浴びようとすると、貴臣がぴたりと後ろをついてくる。

 まだ一緒にお風呂に入ることは、許していない。明かりのもとですべてを曝すのは羞恥があるから。そう言っているのに、貴臣は果敢にその一線を越えてこようとする。

「……シャワーを浴びるわね」

「俺もだ。一緒に浴びるか」

「それは、ちょっと。恥ずかしいから、だめ」

 上目遣いで断ると、ぐっと息を詰めた貴臣は鋭い双眸を向けてくる。

 けれど、すぐに目元を緩めると、心を鎮めるかのように深い息を吐いた。

「まあ、今から一緒に風呂に入ったら長引くことは間違いないからな。俺は主屋で済ませてくる。ゆっくり支度していろ」

 そう言って踵を返す貴臣の背を見送る。

 なぜか物足りないような想いが胸に吹き込んだけれど、慌てて打ち消した。

 ふう、とひと息ついた私はバスローブを脱ぐと浴室に入り、熱いシャワーを浴びる。

 ふと紅いキスマークが内股に散っているのが目に入る。

「こんなにつけるんだから、もう……」

 迷惑なはずなのに、なぜか声が弾んでしまう。

 けれど、浴室から出て洗面台の鏡を見たとき、さすがに息を呑んだ。

 首筋から胸元にかけて残されている無数のキスマークは、ひどい執着の徴のようで青ざめる。ずっとベッドにいて睦み合っていたので、これほどついているなんて気づかなかった。

 これを貴臣以外の誰かに見られたら、何事かと驚かれてしまう。

「そうだわ。ストールで隠せないかしら」

 着替えのため、部屋にあるウォークインクローゼットへ赴く。そこにはワンピースやブラウス、スカートなどの洋服が取り揃えられていた。引き出しを開けると、下着のほかにストールも置いてある。ここを訪れたときには着古した部屋着だったので、ありがたく用意されていたものを借りることにした。

 白のブラウスにピンクのスカートを穿いて、水色のカーディガンを羽織る。サイズはぴったりだった。シフォンのストールを首元に巻き、姿見に映して、キスマークが隠れているのを確認する。

 そのとき、クローゼットの外から声がかけられた。

「葵衣、どうだ。服は選んだか?」

 貴臣がやってきたので、扉を開ける。

 まだ濡れている亜麻色の髪を、彼は無造作に掻き上げる。すでに漆黒のシャツとスラックスを纏っていた。裸体よりも雄の色気が滲んでいて、どきんと跳ねた鼓動を素知らぬふりをして抑える。

「ええ。着替えたわ」

 私の服装を一目見た貴臣は、双眸を細めた。

 首に巻いたストールを、指先でするりとなぞられる。

「寒いのか? どうして綺麗な首元を隠すんだ」

 どうしてと問われて、開いた口がふさがらない。

 あなたがキスマークをつけるからですけど……

 唇を尖らせた私は、さりげなく貴臣の手を退けて、ストールの位置を調整した。

「寒いからよ。ずっと裸でいたから風邪を引いたみたいだわ」

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