第11話

 私の予想に反して、彼はあっさりと頷く。

「そうだろうな。風呂で楽しむのは、あとからにするか」

「あとから……?」

「ほら、行くぞ。少々変わった造りの部屋だから、驚くなよ」

 ぽん、と大きな手が肩に触れる。扉を開けた貴臣に促されて、室内へ入った。

 するとその部屋には前室のようなスペースがあり、さらに奥へ行くと、クラシックな長椅子やテーブルセットが鎮座していた。

「とても広いのね。ホテルのスイートルームのようだわ」

「広くないと落ち着けないからな。この部屋だけで生活できるように作っておいた」

 テーブルと椅子があるので、ここで食事をすることもできるだろう。別室にはリビングとダイニングもあるというのに、とても贅沢な造りだ。

 朗らかに笑った彼は私の背を抱くと、部屋の奥を指し示す。

「風呂場はそこだ。ゆっくり体を温めてこい」

「……それじゃあ、お先にお風呂をいただくわね」

 最奥が風呂場という造りらしい。そちらから光が零れているので、どうやら天窓から採光しているようだ。

 風呂場へ向かいかけたとき、室内に薄布で囲われた一角があるのに気づく。精緻な細工が施された台座で一段高くなっているその場所は、まるで舞台のよう。

 どうしてここに舞台があるのかしら……?

 確かに一風変わった造りだった。

 貴臣はテーブルに備えつけられている椅子に腰を下ろすと、虚空を見据えている。考えごとでもあるようだ。

 脱衣所に入って服を脱ぎ、からりと引き戸を開ける。

 するとそこには、黒々とした御影石の湯船から、温かそうな湯気が立ち上っていた。

「わあ……素敵。けっこう広い浴室なのね。ひとりで使うのは寂しいくらいだわ」

 一度に五人は入れそうな大きな湯船は、ここが旅館だと錯覚してしまいそうだった。

 桶で掬った湯で体を流してから、ゆったりと湯船に浸かる。

「ふう……きもちいい……」

 ひと息つくと、血判状の約束が脳裏に思い浮かんだ。

 祖父へ恩返しをするためにも、不義理者という不名誉を負わせたままではいられなかった。

 それに、貴臣の祖父に十億円という大金を出してもらったおかげで、当時の藤宮製紙は倒産の危機を免れたのだ。跡取りが欲しいという貴臣の願いを叶えるのは、堂本家への恩返しにもなる。

 どんなに乱暴に扱われても、耐えなくては……

 湯船の中で、ぎゅっと自らの身を守るように抱きしめる。彼の精を受け入れさえすれば、すぐにでも妊娠できるかもしれないのだから、少しの辛抱だ。

 これまでの貴臣の人となりを見るに、乱暴者には思えないが、もしかしたらベッドでは豹変するかもしれない。でも、今さら逃げ出すことなんてできないのだ。

 不安を抱いていたそのとき、コンコンと室内へと続く窓がノックされた。

「葵衣、のぼせてないか? わざと倒れて病院に搬送されようなんて考えていないだろうな」

「そ、そんなわけないじゃない! 私はちゃんと約束を果たすわ。見くびらないでちょうだい」

 強気で言い切り、慌てて湯船から上がる。

 貴臣にノックされて初めて気づいたが、浴室と部屋を遮る部分は壁ではなく、磨り硝子だ。うっすらと男の影が見えているので、あちら側からも裸の輪郭が透けて見えるのかもしれない。

 たまらない羞恥が沸き起こり、脱衣所に駆け込んでバスタオルを掴んだ。

 手早く体を拭き、ハンガーにかけてある純白のバスローブを着込む。ふわりとした上質な素材が肌に優しい。

 ほっと息をついた私は脱衣所から出ようとして、扉を開ける。

 すると、眼前に貴臣が立っていた。まるで番人のように立ち塞がっているので、思わず身を引いてしまう。

「溺れていなかったな。心配したぞ」

「……ご心配おかけしました。お風呂どうぞ」

「では、俺も入ろう」

 微笑を浮かべた貴臣は、私と入れ替わりに脱衣所へ入っていった。

 彼の安堵した様子から察するに、今の心配は冗談ではなく、本気だったらしい。極道なのに、怖いのか優しいのか、よくわからない男だ。

 でも、今まで私の周りにはいなかったタイプの人だわ……

 ほかほかに温まった体を、長椅子に落ち着ける。そうすると、これから起こるであろう行為が脳裏に浮かんでしまい、自然と体が強張った。浴室からは、貴臣が入浴しているかすかな音が聞こえてくる。

 無理やり組み伏せられたら、どうしよう。

 けれど泣いたりしてはいけない。貴臣がどのようなやり方をしたとしても、受け入れなくてはならないのだ。

 そう覚悟を決めたはずなのに、ぶるぶると体の震えは止まらなかった。

 ややあって、がらりと脱衣所に続く扉が開く。おそろいのバスローブを纏った貴臣は微塵も憂いのない顔をして、大股でこちらに近づいてきた。

「待たせたな」

「ま、待ってないわ。早かったのね、もっとゆっくり浸かっていいのに」

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