第9話
彼の説明に小首を傾げる。
下とはどういう意味だろう。まるで階下があるような言い方だけれど、ここは一階だ。
ところが廊下の角を曲がると、階下へと続く階段が現れた。
「まあ。地下があるのね」
「半地下だな。採光が取れる設計にしたから明るいぞ。寝室に浴室、それにリビング、ダイニングルームには小さいがキッチンもついている」
堂本さんの説明を聞きながら、ともに階段を下りる。扉を開けると、半地下とは思えないほど真新しくて明るいリビングに目を瞠った。飴色の調度品でまとめられた室内は趣がある。
「素敵だわ……。なんだか老舗のホテルみたいね」
「俺のセンスは古くさいと若衆に言われたんだが、もし葵衣の好みに合わないなら、家具を一新して改装しよう」
「いいえ! このままで充分よ」
「そうか。気に入ってくれたなら嬉しい」
私のために住まいを用意してくれるばかりか、好みまで考慮するという心遣いに、じわりと胸が綻んだ。亮は新居の手続きを命令して代金を払わせただけなので、彼が私を気遣ってくれたことなど記憶にない。
ううん、比べてはいけないわね……
ふるりとかぶりを振る。事情が異なるのだから、比較するべきではない。
それに私は堂本さんと結婚するわけではない。彼の跡取りを孕むために、ここにいるのだから。
けれど堂本さんは襲いかかってくるわけでもなく、悠然としている。彼は綺麗にクッションが並べられたソファに腰を下ろした。
自然な仕草で手を引かれたので、彼の隣に座る。
広いソファだけれど、堂本さんは大きなてのひらで私の手を包み込み、空いた手は肩に回してくるので、互いの肩がぴたりと触れ合う。
「用があったら、そこのベルを鳴らせ。専属の召使いを若衆の中から見繕っておいたから、呼んだら犬みたいに駆けつける。茶を淹れろだとか、買い物に行ってこいとか何でも命令しろ。ただし、添い寝しろとは言うんじゃないぞ。若衆が小指を詰めることになるからな」
小型の呼び出しベルに目をやっていた私は眉をひそめる。堂本さんの言うことは本気なのか冗談なのか、どう受け止めてよいのかわからない。
「……堂本さんは本当に冗談が下手なのね」
「セックスはうまいぞ。今夜が初夜だ。楽しみに体を洗って待ってろよ」
「……首を洗って待ってろ、の変化形なのかしら。なんだか親父ギャグみたい」
あけすけに言うので、呆れつつも顔が赤くなる。恥ずかしくなり、強靱な胸にそっと顔を伏せた。
そんな私を見た堂本さんは困ったように眉尻を下げる。
「組のやつらにとって俺はオヤジだけどな。若い葵衣から、おっさん扱いされるのは少々こたえるんだが」
「私は二十二歳だけれど……堂本さんは、おいくつなの?」
「俺は二十九歳だ」
私が婚約者だと知らされた二十年前、堂本さんは九歳だったことになる。
許嫁に会いたいと期待に胸を膨らませていた少年のときの無邪気な彼が、目に浮かぶような気がした。
「堂本さんは、おじさんじゃないわ」
「そう言ってくれると嬉しいけどな」
堂本さんは眩しそうに目を細めて私を見た。
くい、と頤を掬い上げられる。
「あ……」
精悍な顔が傾けられ、雄々しい唇が近づいてくる。
吐息がかかるほど顔を寄せた堂本さんは、唇に弧を描く。
「俺と、キスできるか?」
ふたりの視線が絡み合う。
試されるように言われて、私は心を奮い立たせた。
「で、できるわ」
血判状の約束を果たすため、彼と妊活に励んで、子をなさなければならない。
その覚悟を胸に刻み、きゅっと唇を引き結ぶ。
だが緊張した体が、ぶるりと震えた。
その震えは密着している堂本さんに伝わり、彼はフッと笑いを零す。
私が瞬いたそのとき。
ちゅ、と額に温かなものが触れた。
意識したときにはもう、雄々しい唇が私の額から離れていく。初めてのキスは、ほんのわずかな、瞬きの隙間を縫うものだった。
てっきり、唇にキスされるものと思ったのに……
物足りなさを覚えた私は額に手をやりながら、慌てて心の中で否定する。
これではまるで期待していたみたいだ。予想に反して額だったから意外に思っただけで、べつに唇にキスしてほしかっただとか、そういうわけではない。
戸惑った私は、うろうろと視線をさまよわせる。
そんな私の表情をじっくりと眺めていた堂本さんは、甘い声で囁いた。
「可愛がってやる。今夜は安心して俺に身を委ねろ」
かぁっと頰が朱に染まる。
堂本さんのことなんて、好きでもなんでもないのに。
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