第8話
「それはそうだな。葵衣が俺と結婚したら、堂本組の姐御だ。悪くない地位だぞ」
「いやよ。極道の姐御だなんて。私は極道の世界のことなんてまるでわからないのよ。務まるわけないじゃない」
そう言って拒否すると、眉を寄せた堂本さんは考え込むように、手を顎に当てた。
ややあって、その手で膝を打つ。
「わかった。結婚は保留にしてやろう」
「本当⁉」
「ああ。いきなり極道の姐御となると、堅気には重荷だろうしな。ただし、血判状の約束は果たしてもらうぞ」
どういうことだろうと首を傾げる。
結婚しなくても、嫁入りする約束は叶えられるというのか。
私は極道の姐御にならなくて済み、祖父の不義理を払拭できるという方法があるのならば、それが最高の形だ。
「結婚しなくても血判状の約束を果たせるって、それはどんな方法なの?」
期待に目を輝かせる私に、堂本さんは妖艶な笑みを向けた。
「俺と子どもを作れ」
「……えっ?」
予想もしなかった答えに目を見開く。
堂本さんは言葉を紡いだ。
「じいさんは組の跡目ほしさに血判状を交わした。それならば嫁入りしなくても、子が産まれたなら血判状の本来の目的は果たせるわけだ。葵衣が組の姐御になりたくないという意向は汲んでやる。その代わり、俺の子を孕め」
堂々と宣言されて、私は彫像のごとく固まる。
最高の解決法とは、堂本さんの子を跡取りとして産むことらしい。
それならば結婚はしなくてもよいので、組の姐御になることはない。出産さえ終わらせてしまえば、私は極道とかかわらなくて済むだろう。血判状の約束を無事に果たして、祖父の名誉も守れる。
けれど、それを叶えるためには妊娠しなくてはならない。つまり、堂本さんと……
「あの……一応おうかがいしますけど、子どもを作るには、その……」
顔を赤らめて言い淀んでいると、堂本さんは明瞭に言い放つ。
「俺とセックスしろということだ。毎晩な」
「ま、毎晩⁉」
「当然だろう。そのための特別な屋敷が、俺が建てた離れというわけさ。これから俺との子を孕むまで、おまえが籠もる屋敷だよ。もうここから逃げられないぞ」
先ほど離れの屋敷を見ないかと誘われたのは、そういうわけだったらしい。まさか私がこれから住むことになる屋敷だったとは思わなかった。
妊娠して出産するまでは、十か月ほどかかる。それまで屋敷に籠もっていなければならないというのだろうか。
戸惑った私はソファから腰を浮かせた。
「ちょっと待って。私、もう家に帰れないの?」
「帰れるさ。子どもを産んだらな。しばらく堂本家で面倒を見るということは、薬師神が葵衣の両親に説明しているはずだ」
「えっ……じゃあ、訪問したときから、私がここから出られないことは決まっていたのね」
堂本さんはソファから立ち上がった。大理石のテーブルを回り、私を見下ろすように眼前に立つ。
それから口端を引き上げて、悪い男の笑みを見せる。
「今さら何を言ってる。おまえが俺のものだってことは、二十年前から決まってんだよ」
息を呑む私に、さらに彼はとどめを刺した。
「それとも、十億円を丸ごと返すか?」
そんなお金を用意できるわけがない。ただでさえ、借金があるというのに。
完全に口を封じられた私は俯いて、唇を噛みしめる。
「……わかったわ。あなたの子どもを、産みます」
決心してそう告げると、とろりとした笑みを見せた堂本さんは私の肩を抱いた。
「よく言った。それじゃあ、さっそく離れに案内しよう」
不本意だけれど仕方ない。私は堂本さんに連れられて、重い足を動かした。
離れの屋敷は、主屋と渡り廊下でつながっていた。
厳かな廊下からは、枯山水の庭園が見渡せる。光り輝く玉砂利が描く水の流れに、自然の山を思わせる勇壮な岩、そして優美に枝を伸ばす松の木々。
まるで平安貴族が愛でるような美しい庭園は、俗世から隔離された空間に思える。
「さあ、ここがおまえの家だ」
離れの重厚な扉を堂本さんが開ける。
どきどきしながら足を踏み入れるが、そこは至って一般的な日本家屋といった風情で、変わったところは見受けられなかった。間口がやや広く、黒塗りの廊下が伸びている。ずらりと障子が並んでいるので、和室が連なっていると思われた。
「あ……ふつうのお屋敷なのね」
子を孕むために籠もる屋敷というものだから、座敷牢でもあるのかと恐れていたけれど、考えすぎだったようだ。私の肩を抱いて離さない堂本さんは、障子を開けて和室を見せてくれる。部屋には座卓が置かれていたが、がらんとしていた。こちらの離れは、普段は使用していないらしい。
「この和室は部屋をつなげて三十畳くらいにできる。隣は食事をとる部屋だ。ここまで出てくるのが面倒なときは、下でもいいぞ」
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