第4話

「それなら話は簡単なんだが、少々ややこしいんだ。ここで立ち話もなんだから、うちの事務所に来ないか?」

「行きません。だって、ヤクザの事務所なんでしょう?」

 私は毅然として対応した。ヤクザに反抗するなんて怖い気持ちはあるけれど、彼らとかかわったらとんでもないことになるに違いない。

 堂本さんは形のよい眉を跳ね上げたが、予想に反して恫喝するようなことはしなかった。代わりに彼は肩を竦める。

「ヤクザじゃなく、極道と呼んでほしいところだけどな。事務所が嫌なら、俺の家に来い」

「どういう理屈なの。もっと行きたくないわ」

「そう言うなよ。あんたのじいさんが残したものを説明するには、俺の家を見てもらったほうが手っ取り早い」

 その言い分に、私は首を傾げた。

 どういうことなのか、まるでわからない。単純におじいちゃんが、堂本さんからお金を借りたというわけではないようだ。

「詳しいことは家で話してやろう。立ち話で済むような内容じゃないしな。――おい、咲夜さくや

 後ろに直立していた部下に、堂本さんは顎をしゃくる。

 咲夜と呼ばれた青年は、「はい」と短く返事をすると、前へ進み出て三和土に跪いた。彼は私の靴を、さっと揃える。

「お嬢さん。自分が靴を履かせますので、おみ足をどうぞ」

「えっ……それはちょっと。玄関に膝を突いていたら、スーツが汚れますよ?」

「おかまいなく」

 なんと彼が私の靴を履かせるつもりらしい。

 幼児じゃあるまいし、そんなことを申し出られたのは初めてだ。

 断ったつもりなのに、彼は微動だにしない。

 妖艶に微笑んだ堂本さんは平然と言った。

「嫌なら、こいつを足で蹴り上げろ。そうしない限り、うちの若衆は退かないぞ」

「ええ⁉ そんなことできるわけないでしょ!」

 咲夜さんは息を詰め、腹に力を込めているようだった。いつ殴られてもいいように準備をしているのだ。

 いくらヤクザの若衆とはいえ、彼は私よりも年齢が若いようで、顔立ちには幼さが残されていた。華奢で瞳が黒目がちなので、まるで子犬のように見える。そんな彼に暴力を振るったら、完全に私のほうが悪人だ。

 ……ということは、ここは大人しく靴に足を入れるしかない。

 覚悟を決めて歩を進めると、すっと堂本さんが優美にてのひらを差し出す。

「俺につかまれ」

「……おかまいなく」

 咲夜さんに言われた台詞を真似る。

 ふっと笑った堂本さんは、かまわずに私の手を掬い上げると軽く引いた。思わず踏み出した私の足に、咲夜さんが素早く左右の靴を履かせる。

 流れるような動きだったので、抵抗する暇もない。

 そのままエスコートする騎士のように、堂本さんはつないだ手を高く掲げながら玄関を出た。

 門の前には黒塗りの高級車が待機している。

 背後にぴたりと付き従っていたもうひとりの男に、堂本さんは命じた。

薬師神やくしじん、おまえはここに残れ」

「かしこまりました」

 薬師神と呼ばれた男性は、眼鏡の奥の理知的な双眸を光らせて一礼した。彼も高身長の堂本さんと同じくらい背が高く、顔立ちは怜悧さに満ちている。おそらくは組の幹部といったところだろうか。

 薬師神さんは落ち着いた声音で、戸惑っている私に淡々と述べた。

「ご安心ください。わたくしは門前に待機しておりますので。番犬とでも思ってくださいませ。ご両親が帰宅されましたら、きちんと事情をお話しいたします」

「は、はい。よろしくお願いします」

 そう言われたら任せるしかない。薬師神さんは丁寧な口調なのでとてもヤクザとは思えず、まるで執事のようである。

 素早く咲夜さんが後部座席の扉を開ける。堂本さんに抱き込まれるようにされて、私は車に乗り込んだ。私の隣に堂本さんが立派な体躯を収めると、扉が閉められる。運転席に滑り込んだ咲夜さんは、ゆっくりと車を発進させた。

 振り向くと、薬師神さんは門の前に直立不動でいるのがバックウインドウ越しに見えた。近所の人たちが遠巻きにして薬師神さんを眺めている。

「お母さんが帰ってきたら、何事かとびっくりするんじゃないかしら……」

 くくっと喉奥から笑いを漏らした堂本さんが、こちらに顔を向ける。

 見惚れるほど端麗な容貌に、どきりと胸が弾みかけたけれど、私はそれを抑えた。

 彼は、ヤクザだ。

 祖父の残したものとは何かという事情を聞くために堂本さんの家へ行くのであって、それが解決しさえすれば、ヤクザとはかかわらずに済む。

「心配ない。薬師神は俺の右腕だ。会社の顧問弁護士を務めている」

「弁護士さんなの? 会社って……あなたがたはヤクザじゃないの?」

「ヤクザだけどな。俺は堂本組の組長だが、複数の会社を経営している代表取締役社長でもある。いわゆるフロント企業だ」

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