第7話

 私には記憶が無い。でも、普通に生活が出来た。


 たぶん、この時代からそれほど離れていない、世界から来たのであろう。


 異世界、平行世界、過去、もしかしたら現代かもしれない。あらゆる可能性が考えられた。


 私に帰る世界はあるのだろうか?


 ボーっと眺める庭は綺麗に整えられて、庭先には干されている桜花の浴衣が揺れている。幾戸さんとの世界はいつまで続くのであろう。


 そんな事を考えていると、隣に幾戸さんが座る。この場所は庭が一望でき幾戸さんもお気に入りだ。


「立華さん、私、本当は寂しかったです。こうやって、姉の浴衣が揺れていると心が落ち着きます」


 遠まわしの告白であろうか?


 ドキっと胸が高鳴る。隣に座った幾戸さんを愛おしく想う。これが恋心なのかと実感する。


「それって、私が居て嬉しいの?」


 私の心が理性より先に言葉をはしっていた。幾戸さんはうつむきになり、静かにこの場を後にする。


 越えられない壁か……。


 きっと幾戸さんが曖昧にしたがる理由は死んでしまったお姉さんかもしれない。


 私は揺れている浴衣の画像をスマホで撮る。その画像を零菜に送ると、その返事は『私もずぶ濡れだったよ』と干された浴衣の画像が送られてきた。


 気分は雨のち晴れであった。


***


「幾戸さん、インスタントコーヒーが切れたから買ってくるね」


 私はシャツにデニムのパンツとラブな恰好で玄関を開けて出かける。この町にはスーパーは一件しかなく、迷う事なく足を運ぶのであった。


 店中はこの時間は混んでいるのかレジ待ちの行列ができている。正確には名物おばちゃんが、かなりの低速でレジ打ちをしているからだ。


 順番が私に来るとインスタントコーヒーを手にしておばちゃんの前に行く。


「あれ?幾戸さんのところの嫁でないか」


 嫁ではないのに……ここはハッキリ言っておこう。


「私は……」

「あ、あ、炊事、洗濯、掃除、何一つまともに出来ないダメ嫁でメシだけは普通の三倍食べる居候、イヤ、女は居るだけで偉いと思っているダメダメな性格で。あ、あ!な、な、名前が立春?立夏?立秋?立冬?ま、なんでもいいけどね」


 私が説明しようと口を開いた瞬間におばちゃんはマシンガンのように喋り始めた。何か誤解をしているようなのであった。しかし、反論しようとしても返す言葉がない。そう大分、合っているのであった。


「イヤ~この田舎だ、若い娘は居るだけで大体の問題は解決するが、古い考えの人もいるし。大丈夫、この町でインスタントコーヒーなんて物を買いに来る時点で時代は変わったのかと実感するよ」


 何故?インスタントコーヒーなのかは謎だがおばちゃんは独りで納得していた。おばちゃんに気合負けしている。このままでは帰らしてくれそうもない。


「おばちゃん、気合の入るおススメはある?」

「まぁ!!!ませた子ね」

「あ、あ、あ、そういう意味でなくて」

「このマムシドリンクをタダであげるよ」


 おばちゃんはレジの下から小瓶を取り出して、私にくれた。


 こんな物持ち帰ったら誤解される、隠すか?イヤ見つかった時に更に酷いことになりそうだ。家に帰ると自室に入りマムシドリンクとにらめっこする。長考すえ、何故か自室の机の上に置くことにした。


 我ながら意味不明である。


***


 今日はバスケットボールの試合の助っ人であった。試合が終わり片付けをしていると。相手の選手が近づいてくる。バスケットボールの選手だけあって背が高く、ボーイッシュな短髪である。


「あなた、立華さんね、好きな人はいる?もし、宜しければ、私とお付き合いして下さい」


 女子同士とは大胆だな……。


「ごめんなさい、好きな人がいるの」


 幾戸さんと付き合えないなら……いっその事……。


 すると零菜が私をその場から連れ出す。会場の裏口にまで来ると零菜が爆発する。


「立華、私という者がありながら浮気を考えていたでしょう」

「え、いや、その……」


 零菜がそんな目線で見ていたとは初耳……これからどう接して良いのか……。


「ほら、本気にした、立華は騙されやすすぎ」

「さっき告白されたのは嘘には思えないよ」

「同じ事よ」


 そっか、零菜が言いたいことは大体わかる。記憶が無い事を言い訳にしていたのかもしれない。


「零菜は私が幾戸さんの嫁だと思う?」

「な、なに言わせるのよ、この町で幾戸さんの嫁でないと認めていないのは本人だけよ。だから人気者の立華に告白するのは他の町の人くらいなのよ」


 私は色んな意味で途方に暮れていた。幾戸さんの事を想っても報われることのない現実と世間様の解釈が違い過ぎる。


「私の泣いた恋の後もラブラブなのに……あ、その顔、まだ、幾戸さんの嫁だと認めてないのね」

「う、うん」


 私の苦労も知らずに零菜の言葉は結論を得ていた。


 あの雨の日の秋祭りでのずぶ濡れになった幾戸さんは心から冷たい目をしていた。


 私の熱い恋心も冷め切るほど寂しそうであった。


「なに?ボーっとしているの?試合も終わったし帰るわよ」


 そっか、あの幾戸さんを見たのは私だけか。そんな事を思いながら零菜とチームの皆のもとへ行くのであった。

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