第32話 魔法騎士大演習 7
美花の動悸は治まらない。恐怖で、支離滅裂な事を呟いてしまう。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
背中が寒い、身体の芯が冷たく、凍りそうだ。
「お母さん、ごめんなさい……!」
「ミハナ、大丈夫だから、舌を噛まないで!」
「ごめんなさい……」
怖くて怖くて、何が怖いのかわからなくてさらに恐怖が押し寄せてくる。
これが、魔蝕。ほんの少し視界に入っただけ。
あの、深い闇。どす黒い汚らしい闇。
こんなモノがこの世界にはあるのか!
「ミハナ!」
カルディの声は美花には届いていない。
「姉さん!」
空中からアレクセイと共に兵馬が現れ、兵馬は姉に駆け寄った。
「うわわあぁぁぁぁ!」
東堂も見てしまったのか、身体が痙攣を起こし、激しく揺れている。
「親父!親父!親父ぃぃー!」
悲鳴のような雄叫びが上がる。
兵馬は泣きながら、結界内の魔蝕に恐怖しながら、琉生斗の名を呼んだ。
「ルート、助けてよ……」
この場にいない、友の名を叫ぶ。
「ルートー!」
「はいはい。聞こえてんよ」
聖女様はアレクセイと共に現れた。
よっと、地に足を付ける。
「ルート…」
涙でぐしゃぐしゃな兵馬の横を、彼は通り過ぎた。
「ルート!」
「アレクが精神保存の魔法をかけてるから、壊れはしねぇよ」
東堂の側も素通りし、結界内の魔蝕に近付く。
片膝を立ててしゃがむ。
「新入りってとこだな」
琉生斗は祈るように聖女の証を握り締めた。
優しい、大きな光が全てを包んでいく。
汚れを洗い切る様な光の中で、闇は緩やかに溶けていった。闇の残りが逃げようと蠢くが、眩い光がエデン平を走り、闇を覆っていく。
何ていう、強い光なのだろうーー。明るい、眩しい、けれど、とても心の中まできれいになるような光だーー。
「よし、浄化完了」
振り返った琉生斗に、ちょうど雲がきれ強く月光が差す。
「聖女様ー!」
魔法騎士達が片膝をついた。
アレクセイが、琉生斗に近寄り手を出す。
琉生斗は、手を重ねた。
その姿は、兵馬さえ赤くなってしまうほど神々しい姿だった。
「ひ、兵馬?」
魔蝕と一緒に浄化されたのか、美花は正気を取り戻した。
「姉さん、大丈夫?」
「だめ、まだ怖い。あんたは?」
「前に同行させてって言ったらさ」
「えっ?行ったの?」
驚きで震えがとまる。へたれなこの弟が、自ら危険に飛び込んでいくとは。
「ううん。殿下にさ、この世でもっとも嫌な事とか、恐ろしい事とかを思い浮かべて、その倍以上の恐怖に耐えれる精神なら連れて行く、って言われてさ」
兵馬は肩を竦めた。
「無理だね、って思ったわけ。生だと姉さんでも怖いんだね」
結界越しだとマシみたいだけど、と兵馬が言う。
「当たり前よ!何あれ!」
「ルートはちっとも怖くないんだって」
「聖女だからでしょ?」
美花は呆れた様に言うと、兵馬は苦笑した。
「姉さん、わかんないの?ルートだからだよ」
ーー?
「聖女の力がルートに宿ったんじゃないんだよ、ルートに聖女の力が宿ったんだよ」
そんな、とんちみたいな事を言われてもーー。
「さすがは聖女様のお仲間です。二人共、先が楽しみですな」
「トードは勇敢で頭が回り、ミハナも根性があります」
アンダーソニーとヤヘルが評した。
「ーーふーん」
琉生斗が口を開いた。青い襟に同色の刺繍がある白い胡服を着て、ズボンには飾り布を巻いている。
「王宮で贅沢してのんびりしていればいいのに、わざわざ困難な道に行くんだなー」
琉生斗は笑った。
「すげぇーな」
その表情に、士長達は少し反省した。
彼らは『聖女様のお仲間』ではなかった。
東堂と美花という、魔法騎士だったーー。
「東堂、大丈夫?」
水を差し出すと、振り払われた。
「……ほっとけよ」
「負けたのがそんなに悔しかったの?」
「うるせぇな」
体調は落ち着いたのか、いつもの東堂だ。いや、いつもよりやさぐれている東堂だ。
「……何かあった?」
死にたい理由は何なのか。
簡単に言える言葉ではないはずだーー。
東堂は、横になったまま、天を仰いでいた。高い空、自分はどのぐらい遠くまで来たのだろう。
「俺さ、」
「うん」
「あの日さ、」
こっちに来た日かな?
「学校辞めだんだわ」
「えっ?」
背後にいた兵馬が驚いて身を乗り出した。
「前日に、親父が言ったんだ」
言葉に詰まりながら、東堂は続ける。
「親友を殺しちまったって言うんだ。ガキの頃から仲良くしてた、たった一人の親友を」
「………」
告白に、二人は動けなくなった。
「お父さんが本当に殺したの?」
月並みな事しか言えない。
「親父だよ。親父が杉田のおじさんを自殺に追いやりやがった」
よく知った相手だったのだろう。
「なんでなんだ!って問い詰めたら、あのクズ笑ってやがった!まさか、死ぬとは思わなかったって!」
「東堂……」
「でもさ、東堂が死ぬ事ないし、学校も辞める事なかったと思うよ」
「俺のせいだったんだよぉー」
東堂の目から大粒の涙が溢れた。
「俺、親父と杉田のおじさんの、奥さんの子だったんだ。それが、バレたってー。あいつ、ヘラヘラしやがって」
美花が青ざめた。
「親父ひとりで俺育ててくれて、すげぇ感謝してたのによ。杉田のおじさん、しょっちゅう家に来て、飯作ってくれてたんだよ。親友だったのによぉ!ふざけんなよなぁ!」
自分の存在が慕っていたおじさんを死に追いやってしまった。
東堂は苦悩した。父親と親友の妻との間に自分が生まれ、それを十数年隠して、親友面していたなんてーー。
そんな、卑怯な事、なんでできるんだー。
「そっかぁー」
明るい声で兵馬が言った。
「僕達と同じだねー、姉さん」
美花の目から涙が零れ出た。東堂が、身を起こして二人を見た。
「ーー僕達はね、お父さんの子じゃなかったんだって」
東堂がはっとなる。
「お母さん僕達の血液型、お父さんには、違う型言ってたから、なんとなく気づいてたけどさ」
美花は下を向いた。兵馬の声にも涙が滲んだ。
「あの日は、帰ったら離婚会議だったんだけど、お母さんがバレたのは僕のせいって、すごくてね」
ーー前に、僕バイクに当てられて、お父さんと病院行ったんだけど、お母さん動揺がひどすぎて、おかしいと思ったから疑ってたみたいーー。
「お母さんにしてみれば、僕達に自分の罪悪感を擦り付けたかったんだろうね」
困るよね、
「僕ら生まれてきただけなのにさ」
兵馬の目からも、涙が溢れた。
三人共に泣き続ける。
モロフとフルッグは心配そうに、東堂を見ている。
「おい。おまえら帰るぞ」
麗しの聖女様が声をかける。
そのいたわりも同情も無さそうな声に、東堂は切れた。
「うるせぇーよ!この腐れゲイがぁ!」
「そのゲイに助けられたんですかー?天下の魔法騎士様がー?」
「バカ!死んでこい!」
「おまえが、死ぬんだろ?」
冷ややかな声に、東堂は動きを止めた。
「死に場所はどこがいいんだ?どこへでも連れてってやるよ。シルビア岬の断崖絶壁は最高だぜ」
ーー自殺をお考えの方は教会まで、って看板があるけど。
傲慢に見下しながら、琉生斗が言うと美花が叫んだ。東堂は、迷ったような困り顔である。
「ひどい!あんたねぇ!」
「まだ、死ぬ気がないんなら、とりあえず生きたら?
ここには、おまえの親父もいないんだしーー。自分の出生が気に食わなきゃ、違う人間になった気でいればいいだろ」
やけになって演習中に死んでみろ。誰が責任取るんだよ、まったくーー。琉生斗は溜め息をついた。
「聖女様、瀕死なら大丈夫ですよ。教皇の護りがあります」
「まあ、じいちゃんすごいのね」
つくづくふざけたやろうだ、と東堂は吹き出した。
「トードォ、人生何かあるのは当たり前の事だぞ」
ヤヘルが東堂の肩を叩く。
「おまえさんは自分でやらかしてるだけだろぅ」
アンダーソニーは息を漏らした。
「だが、トードォ、おまえの才能は、そんな理由で捨てるのはもったいないなぁ」
そんな、って、そんな、って、東堂はしょげそうになる。そりゃ、常に国を守る事を考えてる人達からしたら、自分の悩みなんかたいした事ないのだろうがーー。
「士長達もおまえの事かってくれてんだなあー」
琉生斗はにかっと笑った。
「さすが、東堂だな」
人は、一言で死ぬときもある。
人は、一言で救われるときもある。
東堂の心に落ちたその言葉は、彼の胸の重石を少しだけ、ほんの少しだけ軽くしてくれた。
そうだ、俺は、今はこのままでもいいんだーー。
辛いけど、自分の傷を自分で深く広げなくてもいい。どうせ、解決のつかない問題なのだから。
「ーーおまえら的に、聖女の仲間だから、って言われんのは不本意だろうけどよ……聞いてんのか?」
「誰が聞くかよ。おまえの話なんざーー」
悪態をついた東堂は、いつもと同じに見える。無理やり繕っているのはみえみえだがーー。
「ほーん。おれ、帰って寝るわ。途中で起こされたから、頭がおかしくて、色々忘れそうだー」
アレクセイに起こされたのだろう。あの、一瞬で転移して琉生斗の用意をして、また転移して、大変だなーー殿下は。
「あぁ、殿下。色々作ってくれてありがとな。あの盾はサービスし過ぎだけど」
「そうか?」
アレクセイの美しい眉根が開いた。
その優しい表情を見て、士長達は口が緩んだ。
「これもおまえが、殿下に尻振ってるおかげだな!」
東堂は琉生斗の背中を叩いた。
「まだ、振ってないわぁぁぁ!」
琉生斗が東堂に蹴りを喰らわす。避けながら、東堂は大笑い。ーー最低、と美花は呟く。
「まだ、って、減るもんじゃねえだろ。振ってやれよ」
「あほかーー!結婚するまでは清い身体でなぁ!」
「おまえの貞操観念がキモすぎるぜ」
「ひどいよー!アレク、東堂がいじめてくるよー!」
「そうだな。私もトードゥが正しいと思うが」
「みんなひどいよー!」
アンダーソニー達や他の騎士までもが、腹を抱えて笑った。
魔法騎士団は、朝日が昇る前にエデン平を後にし、王都へ帰還した。
魔法騎士大演習は終わるーー。
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