第7話 愛しの聖女様 2

「父上、ふざけ過ぎです」

 アレクセイの声に、王の間は凍り付いた。普段、感情を出さない第一王子が、怒りを顕わにしている。

 普段見ることのない息子の表情に、国王は薄く笑った。

「聖女様、大変失礼した。私はアダマスだ」

 ど、っと声にならない驚きが、王の間に響いた。

「なぜ、わかった?アスターも、クリスによく似ているだろう?」

 静かな声に、ムカムカしながらも琉生斗は語る。

「おっさんの声、アレクとそっくりだよ」

 アレクセイが目を丸くした。

「なるほど、私に声を出させる為に机を叩いたのか。黙っていたらどうしたのだ?」

 警察かよ、このおっさん。

「おっさんの指輪。アレキサンドライトとパライバトルマリンインクォーツの組み合わせ」 

 国王の金色に輝く指輪を、琉生斗は面倒くさそうに指差した。

 左手の薬指の金の指輪には淡い紫のペツォッタイト、右手の中指の金の指輪は、大粒の黒のアレキサンドライト、小指には水色に近い緑色のパライバトルマリンインクォーツが配置されている。

「・・・これは驚いたなー」

 アダマスは唸った。

「謝ったって誰が許すか!ばーか!ばーか!ばーーか!」

 琉生斗はアレクセイを払うと、ズカズカと歩き出した。衛兵が止めるのも振り切り、さっさと部屋から出る。

「父上、御前失礼致します」

 アレクセイは頭を下げた。

「アレクセイ。マシュウが感心していた。知力の高さ、環境への適応力、神力の量ーー」

 顔を上げたアレクセイの目を、アダマスはしっかりと見据えていた。

「おまえの手に余るかもしれない。だが、おまえでなければならない」

 アレクセイは、口を閉じたままだった。

 聖女は孤独だーー。命ある限り魔蝕を浄化し続けねばならない。投げ出す事も許されないーー。

「スズ様が、おまえだと言ったのだからーー」

 アダマスの脳裏には、「魔蝕なんかもう嫌だ」と泣く小さな女性がいた。それをなんとかしていたのが、叔父のコランダムだ。庭に好きな花を植えたり、ペットに子ドラゴンを飼ったり、小さな聖女の為に、自分の生涯を捧げ続けた不器用な叔父上。

 

 アレクセイが退出すると、アダマスは老人達に声をかけた。

「怒らせちゃったなー。どうするかー」

 老人達は姿勢を正した。

「陛下!」

「おまえたちも、普段は足が痛いや、身体が痛いと登城せぬのに、こういうときだけ全員揃うとはなー」

 老人達は、黙った。

「さて、どうしたものかな」

 アダマスはにこやかに、近臣達を見回した。

 



 琉生斗は、迷っていた。

 真っ直ぐ走ったはずなのに、来るときには見ていない場所に出てしまった。

「しまったな。アメでも転がしときゃ良かった」

 軽口を叩きながら、反省する。

 老人のお茶目ぐらい、適当に付き合ってやれば良かった。人の悪口ぐらいしか、楽しみがなさそう奴らだったしー。

「おや、まさか!聖女様ですか!」

 中庭に出ると、ばったり会った男が、はしゃいだ声を出した。

「えっと・・・」

「何と、お美しい!あのアレクセイ殿下から、寵愛をいただくだけはありますなー」


ーー美しい、って冗談だよな。

 あぁ。聖女補正ってやつねーー。

 

 この国の奴ら大嫌い、琉生斗は思った。

 聖女という肩書きでそういう風に見えるだけ。なかったら、その辺の少年と何も違わない。

「迷われましたか?」

「あぁ、そんなところ」

「わたくしは男爵ガルムスと申します。よければ入口までお連れいたしましょう」

 助かる、と琉生斗が言うと、ガルムスは笑った。

 少し、気になる笑いだった。


「うぇっー」

「おや、聖女様、転移魔法で酔われるとは、魔力酔いし易い方ですか?」

 王宮の入口まで連れてきてくれたのはありがたいが、異常に吐き下がする。琉生斗はしゃがみ込んだ。

 車酔いよりひどい、ぐるぐる目が回る。

 アレクセイの転移魔法は、こんな風にならない。

 倒れ込みたいのをこらえ、手の甲にある、車酔いのツボを押そうとする。その手を掴まれる。


「聖女様、休める所にお運び致しましょう」

 ちょっと待てー。

「二人で、ね」

 これはあれじゃねえかーー!

 どうやら、気づくのが遅かったようだーー。



 王城から、聖女の気配が消えると、アレクセイは血相をかえて、辺りを捜し回った。

 彼の普段は目にしない慌てぶりは、聖女への寵愛の深さを物語っており、メイド達は不謹慎ながら、想像でうっとりとしてしまった。


 なぜ、感知できないーー。

 アレクセイは感知能力を最大限に広げる。

 琉生斗の気配を追い続けるーー。

 

 いない。いや、わからないーー。

「兄上!」

 クリステイルが駆けてきた。

「どうした?」

 兄の顔色に、クリステイルは怯みかけた。

「最近、魔導具研究室が、感知魔法に引っかからない、感知阻害の魔導具を開発したそうです」

「感知阻害ー」

「密会用に頼まれたりするらしいです」

 クリステイルの言葉に、アレクセイは短く吐き捨てた。

「恥知らずが」

「これは、魔導具を渡した者達のリストです」

 アレクセイは、ざっと目を通した。

「礼を言う」

「どこに行かれます?」

 クリステイルの言葉に、アレクセイは答えた。

「すべてだ」




「何とお美しい、見れば見るほど神々しい!」

 ベッドの上に置かれた琉生斗は、吐き下とめまいに苦しみながらも相手を睨んでいた。手には拘束具、ご丁寧にもその拘束具をベッドの柵に繋がれている。

「何すんだ!この変態!」

「良い眺めですな。ずっと見ていられます」

 ガルムスはいそいそと琉生斗の革靴と白靴下を脱がせた。足で蹴ってやろうとしたが、すごい力で掴まれていて動きそうになかった。

 涎を垂らしながら、ガルムスは琉生斗の足先から舌を這わせていく。

「おい、やめろって!」

 真っ青になって、琉生斗は叫ぶ。舌は琉生斗の足の指をしゃぶり始めた。

「キモいからやめてくれ!」

「最高です。なんと馨しい。まるで花のような匂いですな~」

 そんなわけあるかーー。革靴履いてたんだから臭いだけだろー。

 ガルムスの行為に、戦意が削がれてしまう。

「おい!やめろよ……」

「ーー震えていますね。あなたの清らかさは見ただけでわかりましたよー」

 ズボンに手をかけられ、琉生斗は叫んだ。

「やめろって!やめろって言ってんじゃん!なぁ」

「きれい過ぎて、汚したいー。あー、考えるともう……。」

 しつこく脱がせようとするガルムスに、寒気を催しながら、琉生斗はもがき続けた。

 何考えてんだよこいつ、マジできもいっつーのーー。手が動けばーー。

 手を拘束具から抜こうとして、無理に引っ張り続けた。柵の金属音だけが、無情に響いた。

 ガルムスが、伸し掛かろうとした。琉生斗は、その大きな影に怯え、目を強く瞑った。

「アレク……」

 

「ひぃっ」


ーーあれ?おれの声じゃねえ。

 琉生斗は薄めを開けた。

「アレク……」

 全身の力が抜けた。震えは止まらなかったが、力が入りっぱなしになっている状態ではなくなった。

 アレクセイは、ガルムスの背後にいた。

 真っ青になったガルムスは、冷や汗もかいている。

「連れて行け」

 これ以上ないぐらいの冷たい声。

「はっ!」

 側にいた女性騎士が、ガルムスを素早く拘束する。

「あー、もう少しで、もう少しで。聖女様を汚せたのにー。あーー」

「黙らせろ」

 美しい口から、吐き捨てるような台詞がでる。

 アレクセイは剣を納めた。琉生斗の手を見て、苦々しい顔をし、すぐに拘束具を外す。

「ーー」

 言葉より早く、琉生斗はアレクセイにしがみついた。小刻みに震える身体を、聢と受け止め、アレクセイは自室に転移した。


「クリステイル」

(はい、兄上)

「ガルムス男爵の館を調べよ。前科がある。関係者もな」

(わかりました。ガルムスは、すでに投獄致しました)

 弟と精神で繋がる。

 こんな雑用、本来はクリステイルがするべき事ではない。団将ヤヘルにでも頼むか、とアレクセイは思った。

「ルート、手を……。ルート?」

「足洗いたい。気持ちわりぃーー」

「手から血が……」

「足洗いたいって」

 アレクセイは琉生斗を抱き抱え、湯殿に連れて行く。常にお湯が出ているので、琉生斗は桶にお湯をすくって何度もかけた。

 石鹸で泡を作り足に擦り込む、何度も足を洗う。洗っても洗っても足りないのか、また泡を作っては、足に擦り込む。

 手の怪我が石鹸でしみて痛いはずなのに、琉生斗は繰り返し、足を洗った。


「ルート、ルート」

 アレクセイの呼びかけに、ハッとなる。

「アレク……」

「もう、大丈夫だ」

 記憶はすぐに消えないだろうがーー。

 

 どのぐらいの時間が経ったのか、琉生斗はようやく湯に浸かった。

 顔まで浸かる。このまま沈んでいたい。目を閉じていると、暗い中から、ガルムスが出てきそうで慌てて開く。深く、溜め息をつく。

 ふと、甘い香りがして、振り向くとアレクセイがバラの花弁を持っていた。湯船に浮かべる。

「・・・なにこれ?」

「落ち着くように」

「逆に落ち着かない」

「それは、すまない」

 文句を言ったが、取り除いてくれる様子はなかった。

「あー、けどいい匂いだー」

「オイル用の花だ」

「そういえば、ばあちゃんも作ってたわ」

 嫌な夢は見ないかもしれないーー。


 その夜、琉生斗はアレクセイの腕の中で包まれながら、眠りについた。

 途中、息苦しくなって目が覚めたときに、アレクセイの静かな寝息に、安堵した。いつまでも見ていられる綺麗な横顔が、気配に気づいた。

「ルート?」

「ちょっと目が覚めただけ、すぐに寝る」

「水は?」

「いいよ」

 甘やかすなよ、と琉生斗は心の中でポツリと呟いた。

 

 

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