第20話 決断を下して

 ミミが落ち着くまで少しの時間を要し、そのあと二人はカフェテリアまで移動した。


 日差しのあたるテラス席でまずいコーヒーを頼んだわけだが、ミミは一口も飲んでいない。音を立てずに涙を流す気弱な少女の前で、エディも思い悩んでいた。


 この少女をいったいどう扱うべきか。さっきは半ば衝動的に助けたが、あれで正しかったのか判断はついていない。殺すべき魔族でもなく、救うべき人族でもない。その中間、灰色の存在だ。それに少女がなぜ泣いているのか理解しているとは言い難かった。獣人の差別文化なんてついさっき知ったのだから。


 とりあえずは優しいリリムスの仮面でやり過ごすしかない。エディは柔らかい声で話し始める。


「分からないことだらけだよ」


「…………」


「とりあえず、ミミがすごく辛い思いをしてきたってことは分かった。俺には想像もできないことなんだろう……」


 ミミは赤く腫れた目をこすった。


「村ではずっといないものみたいに扱われてきました。お母さんも死んじゃって、厄介払いでこの学校に送り込まれたんです。それでもわたしは、何かが変わるかもなんて馬鹿な期待をしてしまって……」


「本当に馬鹿な期待ね」


 それは鋭く刺すようだった。


 声の主が誰かというともちろん――シャーロットである。いったいいつからそこにいたのか、影から生えたように吸血鬼は現れた。


「自らの手によって世界を変革せよ。スカーレットブラッドの名言よ。変わることを望んでるようじゃダメ」


 シャーロットはエディの隣に軽やかに腰を下ろした。その澄ました横顔から感情は読み取れない。


「どこに行ってたんだよ」


「ちょっと街へ買い物に」


「とんだ不良だな」


「あんな授業受ける価値ないから。それで――この女たらしはなんで子猫ちゃんを泣かしてるわけ?」


 エディは経緯をかいつまんで説明した。その間にシャーロットはエディのコーヒーを強奪し「まずいわ」とつぶやいて返却してくる。


 聞き終わったシャーロットは鼻で笑い飛ばして言った。


「いつまでも受け身ではいられないってことよ。自分の意思で決断なさい」


 ミミの前には濡れた紙ナプキンが山となっていて、さらにもう一つ増えた。


「わたし、決めました」


 青い瞳がエディをまっすぐに見据える。


「退学します」


「……え?」


「これ以上お二人に迷惑をかけるわけにはいきません。ドーガリアちゃんだけじゃなくて、わたしを嫌いな獣人は山ほどいます。そのたびにお二人に戦わせて、後ろで泣いてるなんて……だめだと思うんです」


 シャーロットが鷹揚に手を叩いた。


「一理あるわね。素晴らしい決断だと思います」


「おい」


 エディはシャーロットの偉そうな拍手を手で押さえ込み、ミミを見つめ返す。


「なんでそんな結論になった。別に俺は迷惑だなんて思ってない。こいつもそうだ。この女はミミが友だちになってくれてウキウキなんだぜ」


「はあ? そんなことないです。決めつけないでくださる?」


 シャーロットは殺人者の眼差しで睨みつけてくる。しかしエディは睨み返して言った。


ウキウキですと言え・・・・・・・・・


「ウキウキです……」


 唇を逆U字に歪めて絞り出したそれは呪いの言葉にしか聞こえなかったが、ミミは微笑みながら受け取った。


「嬉しいけど、でも……シャーロット様の言葉で目が覚めました。環境がどうこうじゃなくてわたしが変わらないと」


 エディはテーブルの下でシャーロットの足を小突いた。


「お前のせいで話がややこしくなったんだよ。反省しろ」


「なによ。この子が下した決断なら尊重してあげなさい。周りに迷惑をかけたくないから逃げるなんて、立派じゃない。逃げるのだって一つの選択肢よ」


 シャーロットはエディの爪先をぐりぐり執拗に踏みつけて復讐を果たしてくる。


 エディは言葉を詰まらせた。反論が見当たらない。それでも……それでも退学が唯一の正解ではないはずだ。


 口を閉ざして考え込んでしまったエディを横目に、シャーロットはコーヒーを一口飲んでからミミに問いかけた。


「それで、退学したあとはどうするつもりなのかしら?」


 ミミは困って眉を寄せる。


「それは……まず村に帰って……お母さんのお墓にお参りして……それから……」


 声が尻すぼみに小さくなっていく。


 シャーロットは足を組んで頬杖をつき退屈そうに目を瞬かせた。


「それで? 村でまた幽霊扱いされてお母様もいなくて居場所もなくて、きっとまた逃げ出すでしょう。行くあてなく彷徨い歩いて道端で野垂れ死ぬ。とってもありそうな未来ね」


 ミミの瞳がうるうると濡れていく。シャーロットが不機嫌を吐息に乗せて吐き出した。


「また泣くの?」


「ぅぅ」


 ミミは黒褐色の液体に反射した自分の顔と睨めっこを開始して動かなくなってしまった。


 シャーロットは遠慮なくエディのカップを飲み干して、ついにはミミのにまで手を伸ばす。


「ま、あなたがどこでどう死のうが知ったことではないので、好きにすればいいわ」


「はい……」


「いつ退学するわけ?」


「……今日の夜には思いを紙にまとめて、明日の朝にアリシア先生にお話しします」


「そう。いいじゃない」


 予想だにしない性急さで進んでしまう話にエディはついていけず、ようやく割り込んだ。


「待て待て、なんでそんなことになる。退学なんて……困るよ」


 秘密保持の観点から困る。エディの秘密に勘づいているミミを野放しにすることは避けなければならない。しかしミミはエディの思惑を見透かしたのか、彼女らしくない力強さで言う。


「あのことは絶対誰にも言いません」


 シャーロットがにやりと笑った。


「あのことって?」


「秘密です」


「私、分かっちゃった。この子も知ってるのね。だから世話を焼いてるってわけ」


「……詳しいことは聞いてません」


 シャーロットはエディの手首を掴み取り、脈拍を測るように指を置いてトントン叩き出した。エディは苦々しい表情になる。これをされると居心地が悪い。


「この子は見逃してあげましょうよ。秘密は守るって言ってるし、笑って送り出すのが正解だと思うけれど」


「お願いします」


 ミミは頭を下げて、エディは向けられたつむじと猫耳を前にして固まった。この無垢な少女、そして秘密を知る少女がこの学校から去れば――得なのか損なのか。


 やはり殺すべきじゃないか。エディの中の冷徹な部分がそう言った。最初からそうするべきだったんだよ、退学した後なら殺したってバレないぜと囁いてくる。


 しかし彼女は半分人族なのだ。エディと友達になりたくて声を掛けてきただけのミミをどうして無慈悲に殺すことができるだろう。


 エディは固まったまま二の句を継げなかった。


「決まりね」


 シャーロットがカップの中身を飲み干して立ち上がる。


「この子猫ちゃんは退学する。なかなか勇気ある決断だと評価してあげる。――そろそろ午後の授業が始まるわ。教室に戻らないと遅刻しちゃう」


 そういうことになった。


(ミミが去れば不安因子は一つ減る。どんな不都合がある? 得することしかないだろう)


 なのに、瞬きのたびにミミのあの顔がちらつく。最初の夜、寮で「入学してよかった」と言って朱に染まる微笑みが。


 三人は会話もなく静かに教室へと戻る。まだ日は高い。

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