第21話 オリエンテーション
午後の授業も退屈だった。まず政治学、次に戦術戦略学である。昼下がりの陽気に包まれたC組生徒は多くが居眠りをしていた。
真面目な生徒は数人だ。もちろんエディは一つの情報も漏らすまいと背筋を伸ばして座っていた。その横のミミは心ここに在らずといった様子で呆けている。シャーロットはどこかへ消えた。
そして授業は終わり、教師のスライムがぽよぽよ跳ねて教室を出ていくと、入れ替わりでアリシア先生が入ってくる。
「みなさん、今からオリエンテーションなので、講堂に移動です!」
生徒は我先にとドアから駆けていく。
「何するんだ?」
猫耳がぴくりと動いてエディのつぶやきを拾う。
「夕食会だそうです。二年生からの出し物があって、歌とダンスもあるとか」
ミミは口角を持ち上げて純粋無垢な笑顔を作った。
「楽しみですね」
「ああ……」
ふと、黒い霧が窓の隙間から流れ込んできて、凝結して人型をかたどった。シャーロットがゆらりと現れて大きく伸びをする。
「その登場、心臓に悪いからやめてくれないか?」
「心臓に悪いと言われればやめるしかないわね。ごめんなさい」
と口では言いつつも謝罪の意思など毛頭ないようで、シャーロットはちらりと牙を覗かせた。
「夕食会、行ってみましょうよ。血にいいものを食べさせてあげる」
「お嬢様、申し訳ないんですけど、食べたいものを食べたいです」
「却下です」
つかつかと硬質な足音を鳴らすシャーロットを先頭にして三人は歩きだす。ミミがシャーロットの白い制服の裾をちょいとつまんで話しかけた。
「あの、シャーロット様はどんなものがお好きなんですか?」
「なんですって?」
シャーロットは足を止めて振り返った。目を丸くしてミミを見つめる。
「私の食の好みを聞いてるの?」
「ご、ごめんなさい……」
ミミは尻尾を弱々しく揺らして、シャーロットが気まずそうに髪の先をいじる。
「いえ、怒ってるわけじゃないのよ。そんなことを尋ねられたのは初めてだったので、驚いてしまっただけ」
エディは大きく息を吐いた。
「お前ら会話が下手くそすぎない?」
講堂はそう遠くない。
大扉を越えた先には豪華絢爛なパーティー会場が広がっていた。燕尾服を着せられたインプたちが飛び回って飲み物を配っている。料理人のリザードマンが串刺しの巨大肉を炙りながら大鉈で削り取り、肉が次々に運ばれていく。
そして二階ステージの貴賓席には――生徒会長ヴァレンシナがいた。その他者を圧倒する美貌にエディの心臓はいっとき鼓動を忘れてしまい、シャーロットに突かれて動き出す。
「いちいち見惚れないで」
しかしそうなっているのはエディだけではない。ミミも同じく視線が彼女に吸い込まれているし、生徒のほとんどはそうだ。引力を発しているように惹きつけられてしまう。
ヴァレンシナは黒い制服の学生たちに守られながら和やかに階下を見守っている。その穏やかな眼差しがエディを捉えることはなさそうだが……
全身から汗を噴き出しながらエディはC組のテーブルに向かう。席は偶然にも――テナンの隣だ。
男装のサキュバスは手元の本から目線を上げて、厚底メガネの奥の瞳はあっさりとエディの緊張を見抜いたらしい。
「この距離ならバレないよ。お姉ちゃんはボクとは違って父親似だから」
「……ならいいけどな。バレたら死ぬんだし、神に祈るしかない」
「いざとなれば助命を頼んであげる。そして一生ボクのものだ」
テナンはぺろりと真っ赤な舌を出して唇を潤し、エディはさっと目を逸らした。
「あはは」
匂い立つサキュバスの甘い香り。酒でも飲んだように体が熱くなってくる。意識せずとも香ってくるほど強烈なのに、これを感じ取れるのはエディだけらしい。誰もテナンには目を留めない。
「ここではやめろよ」
「かなしーなあ」
甘えるように言って、こっそりと手を絡めてくる。さらりとした肌が触れ合っただけでつばを飲み込んでしまう。
「これは……だめだ。席替えをする。――ミミ、変わってくれ」
ミミをテナンとの間に挟むことで防護壁とする。座ったばかりの席を立ち上がって、両隣をミミとシャーロットに囲ませる。
「これでいい」
「席を選ぶなんて何様のつもりよ」
「シャーロットは隣だ。何かあったら肉壁になってもらう」
「最悪の男ね」
エディはざわめく会場をさりげなく観察していく。もしもサキュバスやら吸血鬼やらがいて人族だと勘付かれれば今度こそおしまいかもしれない。
C組は生徒の数が少ないらしく、AとBの半分くらいだ。赤い制服と黒い制服はそれぞれ数十はある。
中央には先生たちが固まっていて、マイクを握るのはアリシアだ。司会進行を務めるらしい。せわしない彼女の横には牛男ムーガンがどっしりと構えている。
そして赤い制服の群れの中にはドーガリアたちもいる。犬族四人組が隅に固まってしょんぼり肩を落としていた。目が合う。エディが手を振ると小さく唸るが、それだけだ。
「ミミ、あいつらチワワみたいになってる。ヤジりに行くか?」
ミミは小さく笑った。
「行かないです」
ドーピーがテーブルの上に躍り出た。三段のシャンパンタワーを這い上り頂点でグラスの縁に立って、針でカンカンと音を鳴らす。
「さあみなさん、飲み物はお持ちになった? うちのノロマな担任に代わり私が乾杯の音頭をとってあげましょう」
ファングが周囲を見回して言う。
「まだどこも始めてないけど」
「いいのいいの。責任は私が取ります。そもそも待たせる方がおかしいと思わない?」
C組生徒たちは杯を掲げた。ドーピーがジャンプして叫ぶ。
「かんぱい!」
小人は黄金色の酒の中に沈んだ。みなもグラスを合わせてチンと響かせる。
エディは手近なクラスメイトとグラスをぶつけた。しかし隣のシャーロットは誰ともせずに真っ赤でどろりとしたものを口に含んでいる。
それをはじめとしてどの卓も勝手に飲食を開始してしまった。アリシア先生は手元の資料をちらちら見て慌てているが、もはや止めることはできない。ムーガンが彼女の耳に何かを吹き込んで、アリシアは壇上にのぼった。
「みなさん勝手に始めてしまいましたが……社交パーティーでそんな調子ではいけませんよ。まあとにかく――119期生の入学を祝って、乾杯!」
まばらな拍手が起こって、少し不満そうなアリシア先生は壇上をおりた。
会場は賑やかさを増していく。会食というよりは宴だった。
中央のぽっかり空いたスペースに代わる代わる上級生が現れて部活動や同好会の説明をしていく。エディは酒をちびちびと舐めながらそれを聞いていた。
「リリムスくんは部活とか入るんですか?」
「今のところ入るつもりはないけど……」
エディは二階席のヴァレンシナに目をやった。彼女が部活動をやっているのであればそこに入る可能性もでてくるだろう。
「そもそも狩猟クラブとかアフタヌーンティー愛好会とか、まったく興味が湧かない。お貴族様かよ」
「お貴族様なの。泥の中で生まれたあなたとは違ってね」
シャーロットがエディの皿の上に大量の海藻を乗せた。まっくろでうねうね動いている。
「食べられるだけ食べなさい」
「……これは何? 巨人のすね毛?」
「水魔族の伝統料理よ。あんまり馬鹿にすると水鉄砲で狙撃されるから」
エディは一つを口に突っ込んでみてオエッとえずいた。
「ぬめりが凄すぎて……吐きそう」
「あなた、好き嫌いばかりね。なんなら食べられるわけ?」
「まともなものが少なすぎるんだよ……」
オリエンテーションは着々と進行していった。酒の入ったアリシアは陽気に喋りだし、実務はムーガンが担当している。
そして――
「次は希望者参加の舞踏会です!」
照明がぱたりと落ちた。暗闇の中、インプたちが羽ばたく音が聞こえる。
ふと、エディが顔を上げるとヴァレンティナがこちらに手を小さく振っていた。にこやかな笑顔は天使と見紛うほど美しく、エディは口を半開きにして見つめた。
同時に緊迫と不安で胸が激しく締め付けられる。喉が渇いて声が出ない。まさかバレたのか?
「いや」
横を向けばテナンが手を振り返している。そこにあるのは家族への親愛の情だ。ヴァレンシナはエディを見てなどいない。
「ふう……」
全身から力が抜けて背もたれに身を預けた。汗がまだ止まらない。
シャーロットが小さく罵る。
「厄介なファンみたいで無様ね」
うっすらとした照明がつくと、二人の王女は素知らぬ顔で正面に向き直っている。そこに一瞬前の面影はない。
二人をよーく見比べればそっくりだ。髪色と角の有無こそ違えど双子であると知ればそうにしか見えない。
テナンもきっと着飾ればあれほど美しくなるのだろう。ずり落ちた眼鏡をかけ直すテナンが微笑みかけてくる。
「そんなに見つめてどうしたの?」
「…………」
エディはミミを盾に視線から逃れようとして――
「あれ?」
ミミがいない。
先ほどまですぐ側に座っていたのに忽然と姿を消していた。彼女の席には飲みかけのグラスだけが残されている。
嫌な予感が首裏の毛を逆立てる。それはもはや確信だ。もう二度目だった。決してトイレに行ったとかじゃない。
「ミミは?」
テナンが答える。
「暗転中にインプが連れていったよ。ダンスに参加するんじゃない?」
エディは椅子を倒す勢いで立ち上がり、眼球を痛くなるほど動かして白い制服と猫耳を探した。
すぐに見つかった。
中央ステージの上、照明があたる真ん中、全包囲から好奇の目を浴びるその場所にミミは困惑顔で突っ立っていた。
酔ったアリシアが叫ぶ。
「それでは入場してください!」
控え室の扉が開いて、ドレスとスーツでめかしこんだ生徒たちが現れる。
明るい道に照らされた花道を男女一組になって歩く。輝くような艶のある衣装は誰にだって最高級の品だと理解できた。
ゆったりとした曲調のピアノとともに中央ステージで舞踏が始まった。生まれの良い令息令嬢は慣れた様子でステップを刻む。社交界での振る舞い方を教わってきたのだろう。
ミミはステージの上で、戦場に迷い込んだ子どものようにふらついていた。
一人だけ制服で、ペアもおらず、踊りもしない。注目を受けてその膝は細かく震えていた。舞台を降りようと足を動かそうにも踊る男女に阻まれて進めない。
会場の一角から冷笑が起こった。獣人たちだ。忌み子が泣きそうになっているのが笑えるらしい。
猫耳を完全に伏せてしまったミミは細い手をエディに向かって伸ばして――
大柄な虎の獣人がミミにぶつかり、弾き飛ばされた彼女は尻もちをついて倒れ込む。そいつは助けもせず謝る素振りもなくダンスを続け、むしろ咎めるような視線を投げた。
笑い声がますます大きくなって会場を満たす。腹の底から感情がせり上がってきて、エディは思わず呟いた。
「皆殺しにしたくなってきた」
シャーロットが口の端を吊り上げて、しかし目には冷たい光を宿したまま言う。
「確かに陰湿だけど――ずいぶんあの子に肩入れするのね。
言葉の真意は問いたださなくても分かる。人族のくせに、スパイのくせに、そういう意図だ。
「人族とのハーフが忌み子なんて……侮辱じゃねえか。ハーフでこれなら純血の人族はどうなる? 邪神か?」
「私に聞かないでちょうだい。それでどうするの。皆殺しにするなら付き合うけど」
エディは驚いてまばたきを止めた。シャーロットは笑みを深くする。
「冗談だから」
「……そうか」
転んだまま立ち上がれずにいるミミと視線が交わる。エディの怒りを悟ったのか、口パクで言った。
慣れてるから、大丈夫です。
そして微笑む。いつもの穏やかなそれとは違う、諦めて死を待つような笑顔だ。
エディは奥歯をぎりぎりと噛み締めた。
「なんでだろうな。自分でも分からないけど――助けないと」
大股で踏み出す。照明の下に飛び込んで、ミミにぶつかった男を肩で突き飛ばしておく。転んだそいつを踏み越えて彼女のもとへ。
固く強張った手を取れば、青い瞳からぽろぽろと涙が流れてくる。
エディは掛ける言葉が見つからず、膝を抱え上げて連れ出す。
腕の中で弱々しく言った。
「また助けられちゃいました……」
「何回でも助けるよ」
獣人たちはまだ指を差し手を叩いて笑っていた。泣いている女の子をこんな場所にいさせるわけにはいかない。
エディは扉を蹴り開けて控え室へと向かった。中にいたサボリのインプたちを追い出して、ミミを椅子に座らせる。
シャーロットが追ってきて扉を閉めた。それでようやく笑い声は消えた。
ミミは膝の間に頭を埋めてしまって顔が見えなくなる。嗚咽だけが部屋に響いた。
エディは彼女の前にしゃがみ込んで決意した。
秘密を打ち明けるときが来たようだ。
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