第19話 醜い子というもの

 二限には歴史学、三限には地理学と続いた。エディにとってはどちらも貴重な情報であったが、クラスメイトからすれば退屈の極みであったようだ。


 授業中、シャーロットが霧となって出ていくのを皮切りに、一人また一人と姿を消して終わり際にはたったの数人となっていた。


 地理学担当の大鷲族の獣人ピョートルはそのことに気付くことなく、


「アレレ? 今年のC組はずいぶん少ないですね。まあそれはともかく――ごきげんよう! ワシは説明したフェレンクス大連峰の様子をちょっくら見てきます」


 と言って窓から飛び立った。風が巻き上げられてドーピーは吹き飛ばされ、ミミが飛び上がってキャッチし難を逃れる。


「これだから鳥は嫌いなのよ! 小人を虫と間違えてしょっちゅう飲み込むんだから! 今度あったらクチバシを縫い付けてやる!」


 プリプリ怒っていた。


 そんなふうに午前中を終えて。


 シャーロットはいまだ戻って来ないので、エディとミミは二人で食堂へ向かうことになった。


 食堂はまだ空いていた。二人は窓際の一番いい席を確保し、短い行列に並んで注文する。エディが選んだのは「今日のおすすめ定食」なるもの、ミミは再び魚の刺身盛り合わせである。


「わたしの村ではお魚はご馳走だったんです。この三年間でいっぱい食べておかないと」


 エディが受け取ったプレートは一汁三菜とパンという基本的なものだったが、食材は一度も口に入れたことのないものばかりだった。三面六臂の阿修羅のような生物の姿焼きを前にして、エディの手はぴくりとも動かない。


「まったく食欲が湧かない…… だってどこから食べればいい? 右の頭か左の頭か真ん中の頭か。どれから食っても残り二つが暴れ出しそうだ」


「子どもみたいなことを言うんですね。どの頭も味が違うから人気なんですよ」


 ミミの解説を受けながら、エディは少しずつ食事を進めた。


「こっちの食事に慣れないと」


「そうでしょう」


 ミミは悟ったような顔で頷いた。


「なんでも教えてあげます。この学校でうまくやっていけるように」


「助かるよ。右も左も分かんないからさ」


 二人は食事を終え、ストローでジュースを吸い上げながら駄弁り始めた。


「魔法の便器ってやつ、見たか?」


「見てないです」


「腰を抜かすと思うぜ。――ちょっとお手洗いに行ってくるよ。食堂のは普通の便器だといいけど」



 エディは席を立ち、三分と経たずに戻ってきた。


 しかし。


 ミミは忽然と消えていた。テーブルの上ではグラスが倒れ、氷とストローが散らかっている。トイレに行ったというわけではなさそうだ。


「どうなってる……」


 四方に視線を飛ばしてミミの猫耳を探すがどこにもない。


 さっきまで空いていた食堂はあっという間に混んでいた。主な客層は……赤い制服。B組の獣人たちだ。授業が終わって一気に流れ込んできたらしい。数の多い彼らはエディのテーブルの周囲を埋め尽くしている。


 そして、独り立ち尽くすエディに対して悪意のある視線を向けてきていた。馬鹿にするような、からかうような、差別的な意図を含んでいる。それはエディを貶めるというよりも、鬼人の間抜けさを嘲笑うような目線だ。


 隣のテーブル、猿の獣人が話しかけてくる。


「鬼人。知らないんだろうから教えてやるが、あの猫族は"醜い子"だ。関わらない方がいいぜ」


 エディは猿族をにらみつけ、その強い敵意のこもった眼差しに猿族はたじろぐ。


「睨むなって。親切で教えてやってるんだろ」


「醜い子ってなんなんだ?」


 猿族はきょろきょろと首を振って声を落とした。


「まあ忌み子だよ。獣の特徴が薄くて人族みたいな容姿の獣人のことだ。あの猫族はなかなかいないレベルだな。だいたい幼いうちに殺されるんだが……」


 エディは得心した。これが差別というものなのだ。ミミがどのようにして食堂から消えたのか定かではないが、差別の残り香でさええずきそう・・・・・なほど不愉快だった。


 獣人たちは舞台上のピエロでも見るかのようにエディを遠巻きに眺め、口元を隠しながら聞こえない声量で囁き合う。


 猿族の隣、狐族の男が口を挟んできた。


「こんな場所にいるなんて不愉快極まりない。さっさと処分して欲しいな」


「は?」


 観衆はそうだどうだと頷いた。どうやらそれが獣人の総意らしい。


 エディの表情がすっと抜け落ち、照明を反射して角がぎらりと輝いた。空になったグラスを持ち上げ、狐族の男の前で振ってみせる。


「いいか、よーく見てろ。これがお前の頭蓋骨の未来だ」


 両手でゆっくりと握り込む。手の中でパリンと弾け、さらに小さく小さく擦り潰していく。手を開くとガラスは砂のように細かくなっていた。エディは顔を青くする狐族に微笑みかける。


「これが鬼人の馬鹿力ってやつだ。頭をこうされたくなかったら、彼女がどこに行ったのか教えろ」


「……犬族の女が連れて行ったんだよ。あっちだ。俺は何もしてないからな」


 狐族の男は食堂の外、廃校舎の方向を指差した。


 犬族の女と聞いて想起されるのはただ一人。茶毛の犬族ドーガリアだ。


 エディは弾かれたように走り出した。学生の流れに逆らって食堂をあとにする。




 廃校舎はすぐそこだ。積み重なった瓦礫は奇跡的なバランスを保っていて、強く風が吹けばいまにも頭上に崩れてきそう。


 声が聞こえる。


 ドーガリアの甲高くて耳障りな声だ。


「あんたみたいなのが目に入るだけで最悪の気分になるんだから。生きてるだけでどれだけ迷惑か自覚しなさい!」


「見逃してやろうと思ってたのに、生意気に刃向かってくるからこうなるのよ!」


「こんなツルツルの醜い肌で恥ずかしくないわけ? この耳なんて飾りじゃないの。引っこ抜いてやる!」


 絹を裂くような悲鳴が反響した。声を出すことにさえ怯えているような、臆病で悲痛な泣き声。


 エディは言いようもない不快感で胸がざわつくのを自覚する。音の源に向かいながら自らに問うた。


 なぜミミを助けようとしているのか。彼女がどうなろうと知ったことではない。秘密を守るためにはむしろ死んでもらった方が都合はいい。


「あいつは人族じゃないんだぞ、エディ」


 己の名を呼んで言い聞かせる。


「リリムスって仮面に飲み込まれるな」


 ドーガリアの声が響く。


「あんたは絶対退学させてやる。お友だちができて勘違いしてるようだけど、ここに居場所なんてないんだから」


 また悲鳴が上がった。それから囃し立てるような含み笑いも。


 廃校舎は一種の迷路のようになっていて真っ直ぐ声のする場所へはたどり着けない。


 煩わしくなってエディは壁を蹴り抜いた。


 視界が開けて、うずくまるミミとそれを囲む犬族の獣人たちが目に入る。


 膝を抱え込んで体を丸くしている少女。猫耳と尻尾を除いてほとんど人族と変わりはない。世界そのものを拒否するように目も耳も固く閉じられている。


 そして獣人たちはいつも通り――粗野で獣臭くて暴力的だ。牙から汚い唾液を滴らせてミミを威嚇している。


 気づかぬうちにエディは叫んでいた。


「おい!」


 四人の犬族が一斉に振り向く。新しい獲物の登場に狩人たちは目を光らせて唸り声を重ねた。ドーガリアを中心にして半円状に広がり、恐ろしい牙を剥き出しにする。


「鬼人のくせに獣人の揉め事に口を出してくるなら……角をへし折ってやる!」


 エディは隣の壁を殴りつける。拳は石材を貫通し、ヒビは遠くまで広がって瓦礫の一角を覆った。


 微かな砂ぼこりが崩壊を告げ、のっぺりとしたコンクリートブロックが傾き、倒壊は加速した。雪崩となって石や鉄骨が降り注ぐ。


「あぶない!」

 

 獣人たちは目を丸くして隅に駆け込んだ。


 しかしミミは屈んで震えたままだ。赤子のように顔を伏せて、エディの登場にもすぐそこに迫る危機にも気づいていない。


「チッ!」


 刹那の間に二つの感情が衝突する。


 殺してしまえ。

 殺してはいけない。


 何より任務が最優先だろ。

 罪なき少女を見捨てる任務ではない。

 

 あいつは人族じゃない。なら殺せ。

 あいつは魔族じゃない。なら救え。


「クソッ!」


 鋭く尖った天井の破片がミミの背中にめがけて落下し、重力加速度に従って徐々に速度を増していく。


 思考も葛藤も置き去りにして、エディの体は動き出した。一息でミミのもとまで跳んで次の瞬間には瓦礫に体ごとぶつかって、破片の切っ先はわずかに逸れて彼女の側に食い込んだ。


 細かく散らばった礫はエディの背中を強かに打つが、一粒たりともその下のミミを傷付けはしない。


 崩壊が鎮まり、舞い上がった砂塵が落ち着いていて、ミミはようやく顔を上げた。


「死んじゃったのかな……?」


「残念だけど、まだまだ生きてもらう」


 ミミは青瞳いっぱいに涙を溜めている。まばたきを一度すると雫が溢れ出て頬を伝っていった。


 エディはその両手を優しく握る。


「さあ、立って」


「リリムスくん……」


「もう大丈夫だから」


 ミミは激しく膝を揺らしながら立ち上がった。その瞳には深い悲しみが映し出されている。唇がほんの少しだけ開かれて、細い声が紡ぎだされた。


「わたしなんて、助けなくていいのに……」


 胸がチクリと痛んだ。そんな言葉を受け取るのは初めてだった。いつだって勇者は人族を救い、人族は勇者に感謝する。そう決まっていたのに。


「そんなこと言わないでくれ」


 心の中で渦巻くものを押し殺し、エディはリリムスの仮面を貼り付けて笑顔を作った。


「助けたいから助けたんだ」


(そうじゃない。退学して俺の秘密を言いふらされたら困るからだ。だから助けた。そうだろ、エディ)


 犬族の女たちがぐるぐると喉を鳴らしてエディを取り囲み、ドーガリアは声を上ずらせて吠えた。


「その子を渡しなさい! 今から耳を切り落としてやるところのッ!」


「そう言われて渡すわけないだろ」


「雑魚が歯向かってくるのって大嫌いなの。私たちに逆らってどうなるのか、分かってるんでしょうね?」


 エディは肩をすくめた。


「どうなるんだ? 俺、常識とかには疎くてさ。反省文でも書かされるのかな」


「舐めやがって! お望みなら――殺してやるわよッ!」


「やんのか? できれば殺したくないんだけど」


 獣人は吸血鬼とは違う。横の繋がりが厚い犬族を四人も殺せば確実に足がつく。目立つことはどうにかして避けるべきなのだが……


「これ以上手を出すなら死ぬ覚悟をしろよ」


 向かってくる魔族てきにまで慈悲をかけるほど、エディは聖人ではない。毎日毎日この犬族に絡まれてうんざりしていた。


 ドーガリアは瞳孔を大きく大きく開き、ミミを強烈な殺意で貫いた。


「男の背中に隠れてないで……顔を見せなさいよブサイク!」


 エディは唾を吐き捨てた。拳には拳で。剣には剣で。差別には差別で。エディが知る数少ない処世術の一つだ。


 犬族たちは一斉に毛を逆立て、尻尾をピンと伸ばして前後に揺れ始める。相当怒っているようだ。


 エディはミミの前に立った。


「お前の毛色の方がきたねえよ、ウンチ犬女め。全部剃り落として出直してこい」


 獣の咆哮が重なる。


 ドーガリアを皮切りに間合いの内に飛び込んできた。息を揃えて顔、喉、腹、腰と正中線に連なる急所を狙っている。


 対応できるはずもない連携攻撃。


 しかし、勇者にとってはあまりにのろかった。集中すればスローモーションにさえ見える。


 一秒を百等分した内の一つ。それだけで充分だった。固く握りこんだ拳を上から順番に叩きつけていく。


 凄惨な光景を予期して目を閉じていたミミがまぶたを持ち上げて見たのは、エディの前で倒れ伏せる四人の犬族。腕はだらしなく伸びて口から泡を吹いている。


 三人が白目をむいて意識を飛ばしているなかで、ドーガリアだけが床と接吻しながらも戦意を失っていなかった。


「この……鬼人がァッ……」


「どうする、ミミ。もし君が望むなら殺してしまったっていい」


 ミミは慌ててエディの腕にしがみついた。


「殺すのは、だめです」


「そう言うと思ったよ。良かったなワンコ。ミミの優しさに感謝しろ。次やったら殺すから」


 エディが腕を下ろして、最後の腹いせにドーガリアを蹴飛ばしてやろうと思ったそのとき――


 瓦礫の陰から人影が現れた。


「ここで何してる?」


 巨躯の牛男、ムーガン。


「リリムスくんとミミちゃんじゃないですか!?」


 と駆け寄ってくるのはアリシア先生だ。倒壊の音を聞いて来てしまったらしい。


 地に寝転ぶ獣人たち、泣き顔のミミ、足を振りかぶったままのエディ。


「これはいったい、どういう状況ですか?」


「違うんです、先生」


 エディは綺麗な気をつけの姿勢を取った。


「こいつらが勝手にコケました!」


 ムーガンが荒い鼻息を吹き出す。


「いや、分かってるぞ。ドーガリアたちが喧嘩を仕掛けて、返り討ちにされたのだろう」


 ドーガリアは苦々しげに表情を歪めて立ち上がった。


「先生、こいつらが――」


「もう黙れ。――これ以上お前たちは関わるべきじゃないみたいだ」


 ムーガンがぴしゃりと言うとドーガリアは口を閉ざしたが、顔には不満と敵意が満ち満ちている。


「二人はもう行け。犬族四人はアリシア先生に治してもらってから説教だな。――リリムス、この件はこれでおしまいだ。それでいいな?」


 エディが俯きがちな顔を窺うと、彼女はおずおずと頷いた。


「ミミがいいなら俺はなんでも構いません」


「よし。ならもう行け」


 エディはミミの手を引いて歩きだす。背後から憎悪に塗れた視線が突き刺さるが、全て無視だ。

 

 廃校舎を離れてしばらく歩いてもミミは泣き止まず、ぽろぽろ涙を流し続けた。エディはどうやって慰めるべきか思案しているが、いいアイデアは出てきそうにない。


「これで一件落着だといいんだけど」


 しかし嫌な予感は拭えなかった。これは勇者としての直感だ。まだミミには災いが降りかかってくる、そんな気がしてやまない。




 エディはベンチにミミを座らせた。隣に座って背中をさすってみる。


「あんなやつの言葉は気にしなくていい」


 ミミは肩を震わせてすすり泣いた。


「ごめんなさい……」


「こっちこそごめん。一人にしたのが良くなかった。ミミの立場を……理解してなかったみたいだ」


 短く切り揃えられた金髪を揺らし、小さく首を横に振った。手は膝の上で小さく閉じて揃えられている。


「もう、ここには居られません…… 迷惑かけばかり、助けられてばかりで、ドーガリアちゃんの言う通りです。わたしなんて……わたしなんて――」


 その続きを聞きたくなくて、エディは語気を強くして言い切った。


「絶対そんなことない」


 それでもミミの涙は止まらず、むしろ勢いを増して新品の白い制服を濡らしていく。


「こうやって泣いてる自分も嫌いなんです。ここにいる資格なんてないのに……」


 エディはようやく理解した。この少女は――救われることを望んでいないらしい。


 これは難敵だぜ、という勇者のぼやきは真っ青な空に吸い込まれて消えていく。

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