第18話 保健室にて

 保健室には奇妙なものがたくさんあった。緑色の液体につけられた脳みそ、ブレイクダンスを踊っている骨格模型、ふつふつ沸いている大釜。保健室よりも魔女の研究室という様子である。存在するのは怪しげなものばかりで、白いベッド複数だけが浮いたように見える。


 看護教員であるアリシア先生はエディの鼻血をすぐにとめ、今は手術室の分厚い扉の向こうで上級生の血みどろ半死体にかかりきりである。


 そんな中で、エディとミミは並んで座り熱い紅茶をすすっていた。ミミは何度も息を吹きかけて丹念に冷ましている。


「猫舌なんだな」


「はい。猫ですから」


 ミミは紅茶をちぴりと舐めて顔をしかめた。


「熱すぎます……」


「ゆっくり飲めばいい。授業が終わるまでサボってようぜ。あんな暴力教師やってらんないよ」


 エディはそう言って、出された茶請けの菓子をほおばる。


 隣のミミはどこか浮かない表情だった。


「あの、わたし、弱すぎるみたいです……」


 確かにミミに戦闘能力はないようだ。本来の猫族は爪や牙を生かして戦うものだが、ミミにはそれがない。普通の人族とたいして変わらないのだ。


「誰にでも向き不向きはあるから。気にしないでいいよ。これから得意なことを見つけていけばいい」


 しかしミミは俯いて長いまつ毛を震わせる。


「先生がこの学園は兵士と将官を育てるための場所だって言ってました。わたしはぜったい落ちこぼれです……」


「だいじょぶだって」


「わたしに向いてることなんてあるんでしょうか……」


 エディは適当に慰める。丸いチョコレートをつまみ、ミミの口の中に突っ込めば、彼女は目を丸くしながら受け取った。


「なんとなるさ」


 猫耳がピクリと動いた。エディの手は吸い込まれるように伸び、ふわふわの猫耳を弄り始める。ミミはすぐに頬を赤く染めた。


「耳……」


「なに?」


「……なんでもないです」


 エディは獣人は嫌いだが、よく手入れされた毛の手触りに関しては嫌いではない。


「触ってると落ち着くなあ。――ほら、もう一つミミの得意なことを見つけた。俺はミミと話してると安らかな気持ちになるんだ」


 ミミは半分人族である。エディにとってはほかの魔族連中よりもずっと親近感が持てる存在なのは間違いなかった。


「安らかって……大げさですね」


 ミミは少しだけ口角を上げる。エディは耳の付け根に指を這わせながら、その滑らかな毛と髪の感触を楽しんだ。


「リリムスくんって、撫でるの上手です」


「俺は路地裏のネコたちと育ったようなもんだから。必死で盗んだ食い物に群がってきて大変だったんだ」


「それは……ごめんなさい」


 ミミの本気で申し訳ないと思ってそうな声音に、エディはおかしくなって笑う。


「許してあげよう」


「……あの、リリムスくん」


 ミミは少し緊張の色を目の中に浮かべて、エディを上目遣いで見る。


「リリムスくんってとっても強いですよね。どうやってそんなに強くなったんですか? わたしもそんなふうになれますか?」


「うーん……」


 エディは勇者だ。ゆえに強い。しかしそのことを明かすつもりはない。もちろんミミが得ることはできない強さだ。


「俺みたいには無理だな。どうやってそんなになったかと言えば……修行あるのみだ」


 ミミは俯いて長いまつ毛を震わせた。


「リリムスくんは……今日、先生に殴られて鼻血を出したのもわざとでしたか?」


 鋭い指摘にエディはどきっとする。


「正解。よく気づいたな」


「……もしかして、こんなふうにわたしを連れ出してくれるためですか?」


 それは正確ではない。ムーガンと戦い続ければバレそうだと思ったから逃げ出したのだ。ミミはついで。しかしそれを言うわけにもいかないので、エディは濁す。


「そう。可愛いミミがいじめられてたから」


 ミミは嬉しそうにはにかみながらも、小さな声でつぶやいた。


「お世辞ばっかり。秘密主義なんですね」


「ごめんな」


 ミミは「いえいえ」と首を振る。


 十数秒の静寂が部屋を満たし、エディが適当な質問でもしてみようかと口を開くと――


 白衣が真っ赤になるほど血濡れたダークエルフ――アリシアが手術室から出てくる。


「ふう! どんな授業をしたらあんな死にかけになるのか! 連日連夜手術ばかりで、こっちが死んじゃいます!」


 アリシアは白衣をぽいと脱ぎ捨ててシャツ姿になり、エディとミミの向かいのソファにダイブした。


「疲れました〜」


 嘆きながらお菓子をバリボリと口の中に詰め込んでいく。


 エディは担任教員に媚びを売るべく、空いていたカップに紅茶を注いで差し出す。


「お疲れ様です。どうぞ、粗茶ですが」


「ふふふ、私が淹れたお茶ですよ?」


 アリシアはまだ熱いはずの紅茶を水のようにぐびぐびと飲み干し、ぷはあと息を吐き出した。


「そういえば、リリムスくん。一昨日の実力試験で一位だった賞品をまだ渡してなかったので……今お渡ししましょう!」


 そう言うアリシアが部屋の端の棚から取り出すのは――


 ヤギの頭部のはく製である。壁にかけるためのフックなどをつけられたそいつは、頭だけとなってなお「メエ」と鳴いた。


 アリシアは満面の笑みで渡してくる。


「どうぞ! 名前はメロちゃんです! しつけたら毎朝同じ時間に起こしてくれるようになるんですよ!」


 エディは反射的に押し返した。


「いや……いらないです……」


「遠慮なんてしなくていいですよ!」


 ヤギはべろりとエディの手を舐めて、ざらついた舌の感触が気持ち悪い。


「ほんとにいらないです」


「ええ!?」


 アリシアは信じられないと眉を持ち上げた。


「こんなに可愛いのに?」


「可愛くないんで……それに一人部屋じゃないんで置き場所ないですし」


「そっかあ……」


 アリシアはヤギを棚に戻そうとして、ヤギは抵抗してアリシアにツバを吐きかける。


「暴れないの!」


 アリシアは強引に引き出しの中に押し込んだ。


 エディがアリシアには聞こえないようにミミを手招きして、


「(厄介払いしたかっただけじゃないか?)」


「(かもですね)」


 アリシアがべとべとになった手を拭きながらもう一度ソファに倒れ込む。


「なら賞品は何にしましょうかね。別の品なんて用意してなかったですけど……」


「……なら、こっちから注文してもいいですか?」


「もちろん!」


「できればでいいんですけど――学生の名簿とかをくれませんか」


「名簿?」


 アリシアは首をかしげた。


「そんなのが欲しいんですか?」


「新参者すぎて誰の名前も分からないんです。たくさん友だちを作りたいんですけど、気軽に声かけた相手がとんでもなく偉い方だったら困ると思って」


「なるほど! なら――用意しておきますね!」


 アリシアは嬉しそうに手を叩く。


「友だちづくりに積極的なのは素晴らしいことです! 政治争いに巻き込まれないよう気をつけながら頑張りましょう!」




 その後、また急患が運ばれてきてアリシアは忙しくなり、エディとミミはチャイムがなるまで時間を潰した。

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