第17話 牛男ムーガン

 三日目、眠れなかったエディは早めに教室に行って机に突っ伏していた。


 堂々と遅刻したシャーロットがやってきて、彼女はエディを見るなり血相を変える。


「あまったるい匂いがするんですけど!」


 すぐに首根っこを掴まれて建物裏に連れ込まれ、壁に押し付けられる。


 シャーロットは瞳を真っ赤に輝かせて怒っていた。エディの首筋を握りしめて叫び出す。


「誰かに血を吸わせたでしょ?」


 額をぶつけそうな勢いで詰め寄ってくる。エディは壁に後頭部を打ち、こめかみを押さえた。


「吸わせてない。噛まれただけだ。……これには深い事情があるんだ。説明し――」


 話の途中でシャーロットは襲いかかって牙を突き立てる。


「朝の日課じゃないんだぞ――ウウッ」


 血管を通って快感が全身を巡っていく。


 シャーロットは一吸いごとに牙を抜いてエディに詰問した。


「どこの! どの女に! どこをされたの! 答えなさい!」


「ウウウッ」


「気持ちよくなってないで……言えっ!」


 なんて理不尽なのだろう。エディは真っ白な意識の中でなんとか言い訳を絞り出した。


「サキュバスに……やられました……」


 シャーロットはいっそう目つきを鋭くしてエディの顔を両手で挟んだ。


「虜になってないでしょうね」


「なってないです」


「私がシメてきてあげる。名前を教えなさい。門に死体を飾ってやるんだから」


 シャーロットは本気だった。エディは必死に首を横に振る。


「だめだ。……この件はこれでおしまい。これ以上は聞いてくるな・・・・・・


 シャーロットは唇を結んだが、代わりに剣幕で怒りを伝えてくる。


「怒るなって」


「大事に育ててるのに横からマーキングされるなんて……許せないわ!」


「……いつから俺は体を切り売りするペットになったんだろう」


 シャーロットはなおも不平を漏らし続け、エディが血を吸わせてやると少しずつ大人しくなる。


「やはりあなたは私の屋敷に寝泊まりするべきよ」


 そう主張するシャーロットに引きずられながらエディは教室へ戻った。


 シャーロットの喚き声はみなが聞いていたらしく、気まずそうにして目を合わせてくれない。テナンだけがこっそりとウインクを飛ばしてくる。




 一限の授業は再び実践訓練だった。C組生徒はのろのろと訓練場まで移動する。


 ムーガンは相変わらずの軍服で、土の上にあぐらをかいて座り込んでいた。


「さて――今日はみなの実力を測るために、組み手でもしてもらおうか」


 ムーガンは実力が近い者同士をペアにしていった。エディとシャーロット、ミミとドーピー、ファングとバーンが組になり、テナンは特別な事情により見学ということらしい。


 ここぞとばかりに憂さ晴らしを仕掛けてくるシャーロットをいなしながら、エディはクラスメイト達の戦いぶりを観察した。


 ミミは弱い。真剣な表情で猫パンチを繰り出すが、ドーピーはひらりと躱しぐさりと針でついている。


 ファングとバーンは爪牙と炎術なしで殴り合っているが、ファングの拳は効かず、バーンの拳は当たらないといった様子であった。


 ムーガンはどうにも獣人たちが気にかかるようで、ファングとミミは特に厳しく指導されていた。


「ファング! お前ならもーっとやれる! もういい――代われ!」


 ムーガンはファングを突き飛ばし、バーンに剛腕を振るった。


 バーンの腹筋に巨大な拳が突き刺さり、悶絶する。


「パンチってのはこうするんだ。分かったか? あれ……ファング?」


 突き飛ばされた勢いでファングは顔から土にのめり込んでいた。起き上がって吠える。


「分かんねえよ!」


 ファングは唸り声を上げながらムーガンに飛びかかっていく。


「いい若さだな。獣人はこうでなくては」


 ムーガンはファングの突進を頭の角で受け止め、そのまま持ち上げ、跳ね飛ばした。


「うあああー!」


 滑稽な悲鳴とともにファングがエディのもとに落下してくる。


 ムーガンの次の標的はミミだ。


「猫族! あまりに弱すぎるぞ! それはふざけているのか? 真面目に取り組む気がないのか?」


 ミミはドーピーによってボコボコにされていた。髪の毛は変なふうに結ばれて、顔には落書きがある。


「そういうわけでは……」


 ドーピーがミミの猫耳の陰からひょこりと顔を出した。


「このコが弱いんじゃなくて、私が強すぎるの。小さいからって舐めないで!」


 ドーピーはそう叫んでムーガンの大きな鼻の穴に飛び込み、派手なくしゃみとともに弾き出される。


 ドーピーは手に一本の極太鼻毛を掲げた。


「牛の鼻毛、取ってやったわ! 欲しい人は売ってあげるわよ!」


 ムーガンは鼻をむず痒そうにこすった。


「売るんじゃない。そんなことより……猫族! お前はしばらく走り込みからだな。授業が終わるまで外周を走ってこい」


「はぃ……」


 ミミは猫耳をパタリと伏せて、とぼとぼ訓練場を後にする。ドーピーがその丸まった背中に声を掛けた。


「ミミ! こんなことで泣かないの! 猫族のトップになるって誓ったでしょ?」


「……誓ってないですぅ」


 ムーガンが丸太のような腕をぐりんぐりんと回し、大きく息を吸った。


「オレも血が滾ってきた。このクラスで一番強いのはどいつかな? いっちょ稽古をつけてやろう」


 クラスメイトは一斉にエディを見た。


「お、おれ?」


 シャーロットが隣でほくそ笑む。


「そうよ」


「いや、俺じゃないだろ。これはもはや――イジメでは? みんなで俺を生贄にしようとしてるな」


「実力試験ではあなたが一番だったじゃない。ゴブリンをたくさん殺して喜んでたでしょう。――先生、この生意気な男に礼儀を叩き込んでくださる?」


 ムーガンは大きく頷いた。


「オレに任せろ」


「なんでこうなるんだ……」


 エディは逃げ出してしまいたいほど頭が痛くなった。気絶するほど負ければ擬態が解ける可能性があるが、勝って目立ちたくはない。


(剣があれば上手く戦えるんだが、素手じゃさすがに厳しいな。いい具合に負けないと……)


 ムーガンは闘牛よろしく砂を蹴っている。エディはついつい口走ってしまった。


「牛さんこちら! 手の鳴る方へ!」


「ンモオォォォ!!!」


 角が迫ってくる。槍のように大きく鋭く威圧的だ。エディは右側――ムーガンの腕が無い方へと跳んで躱したが、巨体に見合わぬ機動力で追撃してくる。


 腹を掴もうとしてくる指先を叩き落として、エディはなんとか距離をとった。


「先生、けっこう速いですね」


「先生だからな。速いんだ」


 ムーガンは楽しそうにゴロゴロ喉を鳴らす。


「伸び代のある若い戦士と向き合うのが醍醐味だよなあ。リリムスは立派な軍人になるぞ」


 なってたまるか。聞こえないように毒付きながらエディは後ずさった。


 ムーガンは無造作にのしのし歩いてきて軽くパンチを繰り出すのだが、一撃一撃がエディにとっては致死性だ。あっという間に壁に追い詰められていく。


 鼻先を掠めた拳が背後の壁にめり込みヒビを入れた。エディは手の中にじっとり汗をかく。


「男同士はやっぱり殴り合わなきゃ」


 上背をいかした打ち下ろすような打撃。エディも腕を合わせて勢いを殺そうとするが、それを貫通して骨が軋む音が聞こえる。


「死ぬんですけど……」


 ムーガンはガババと笑った。


「死なない死なない」


 大振りのフックをかわして壁際から抜け出す。


 ムーガンの明らかな弱点は右側だ。しかし、それを補ってあまりあるほどの巨体。右側へと回ってもリーチの差はない。


(それに、弱点を狙い続けるのは鬼人らしくないし。戦い続けてもボロが出そうだしさっさと終わらせたいところだが……)


 エディは腹を括った。


「うおおお!」


 雄々しく叫びながら跳躍。腕を広げて鷲のように飛びかかる。


「ンモッ!」


 ムーガンは右腕を曲げて力を蓄え――


 全力で振り抜いた。


 その破城槌はまっすぐにエディの顔面に衝突する。


「ブフォオッ!」


 エディは少々大袈裟に吹き飛んだ。鼻血が噴霧器のように舞って、シャーロットが息を呑んだ。


 ごろごろ土の上を転がって、ぐたりと横たわり起き上がらない。


 ムーガンが拳をグーパー開閉した。


「我慢できずに向かってくるとは、まあ鬼人らしいか」


 エディはゆっくり立ち上がる。鼻血がたらたらと伝っていく熱さを感じられた。


「イッてえなこの野郎――保健室に行ってきます」


「そんなのツバで治るだろう」


「いや、俺って温室育ちなんで――ミミ、案内してくれないか?」


 ほんの少し走っただけでバテ始めていたミミをつれて、エディは逃げ出した。


「あんな授業やってられるか。なあ? ミミも走らされるだけだし。保健室でサボろうぜ」


 ミミは鼻の頭に浮かんだゴマ粒のような汗を拭いとる。


「えへへ、ありがとう。あれ以上走ったらわたし心臓が破裂してたかも」


 二人は道に迷いながら保健室へ向かった。

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