第7話 入学式

 エディは二人を連れて講堂に着いた。大きな両開きの扉を押し開けて中に入る。


 入学式はすでに始まっているようで、ステージ上でアリシア先生がつっかえながら話しているが、新入生たちは小声でひそひそ私語をやめない。


「整列とかって概念はないらしいな」


 遅れてやってきたエディたちなんて誰も気に留めていない。


 三人は壁際に空いているスペースを見つけ、そこに落ち着いた。


 薄闇の中、シャーロットが唐突に口を寄せてくる。熱くて甘い息がかかってエディは反射的にブルリと震えた。


「あらかわいい――じゃなくて、あの方・・・がいらっしゃるわよ」


「あの方?」


「ほら……」


 アリシアがステージから降りる。代わりに舞台の袖から現れたのは――


 美女。世界すべてがこの一人のための引き立て役に過ぎないのだというような、一度見れば目から焼き付いて離れないような美女。


 よく手入れされ編み込まれた紫の髪の毛はミステリアスで、きめ細やかな白い肌に映える。ねじれた二本の角は芸術のように繊細な紋様を誇っていた。


 黒い学生服を着ているが、その下の女性的体つきの魅力を隠すことはとうていできていない。装飾品などつけてはいなかったが、ただの制服姿だけで触れがたい高貴さを放っている。エディは呼吸を忘れて見入った。


 会場は静まり返った。男も女もそれ以外もすべてみなが息を呑み、その女の一挙手一投足を記憶に刻み込もうとしている。


 アリシアの朗らかな声が響いた。


「生徒会長ヴァレンシナさん、お願いします!」


 ヴァレンシナ。


 エディはすぐに理解した。


 あの女こそがヴァレンシナ・アルバ・ハイノート。現魔王の娘であり、次代の魔王に最も近い存在。


 ヴァレンシナが小さく会釈する。なんと美しく完成された仕草であろうか。


 万雷の拍手が起こった。


 それに乗じるようにミミがエディの制服の裾を引っ張った。


「リリムスくん大丈夫?」


「――ッハ」


 ようやくエディは呼吸を取り戻した。それほどに抗いがたい魅力を発していたのだ。


 シャーロットが冷めた目線で、しかしどこか得意げにエディの腹をつつく。


「見惚れすぎよ。まあ初めてなら仕方ないかしら」


「紹介してくれ」


「無理に決まってるでしょ。私にそんな力はありません。あってもしません」


 拍手はいっさい音量を落とさず、しかしヴァレンシナが手を上げるとピタリと止まった。


「みなさま、ありがとう。拍手というのは何度聞いても素晴らしいものですね。拍手の力は素晴らしい、わたくしにとっても、またみなさまにとっても、結束の証であります」


 そして微笑む。神の意志を感じる美貌だった。感嘆の息がそこかしこから漏れる。


「風薫る今日、誇り高きサンブリング学園の在校生代表としてお祝いを申し上げられることは、喜びに堪えないところであります。このたび、みなさま119期生が入学されたことで、我が学園の歴史はいっそう厚く揺るぎがたいものとなりました。

 この学園こそ、魔族連合の歴史と団結を永遠に語り継ぐ場所。我らが連合の礎であり、誇りそのものです。

 奇しくも119という数字は、魔族連合に属する種族の数と一致しています。――実は昨年もこのお話がありましたが、ハイアークエルフとアークハイエルフが分裂したことで、わたくしは使いまわすことができています」


 くすくすと笑いが起きる。エディはいまいち理解できなかったが、彼女が民から愛されていることはよく分かった。


「今年も連合国全土から多種多様な種族が入学されました――ああ、錫のドワーフ族御一行、肩車せずとも見えていますよ、お久しぶりです、お元気そうですね」


 各所から「殿下!」と呼ぶ声が上がり、皆がヴァレンシナに対してアピールを始める。いつか見た舞台女優みたいだなとエディは思った。


 ヴァレンシナはまた手をかざして静粛を求め、するとピタリとおさまる。


「お一人お一人のお名前をお呼びしたいところですが、お許しください、二限の授業では小テストがありまして、遅刻するわけにはいかないのです」


 また笑いが起こった。


「どんどん台本から逸れてしまいますね。

 ――さて、多種多様な種族が入学されたわけでありますが、この学園では自由と平和が校是となっています。人族との長きにわたる戦争が小休止に入ったいまこそ、我々は結束を高めなければいけません。

 そしてこの学園はつねにその象徴でした。異なる種族同士の軋轢を完全に忘れ去ることはできません。しかしこの地においてこそ、その違いを超え、互いに理解しあう道を見い出すことが我らの力となるのです」


 エディは一言一句を聞き漏らさまいと耳を澄まし、目を凝らして表情に現れたニュアンスを汲み取ろうとする。


 エディがどれだけ見つめようと、ヴァレンシナにとっては百の中の一でしかない。目が合うことはなかった。


「この学園での三年間はあっという間に過ぎゆきます。

 我々は学園の外では身分ある存在ですが、ここではただの学生の一人として振る舞うことができます。一生でかけがえのない思い出となることは間違いありませんし、かけがえのない友を得ることも間違いありません。

 実り多き三年となることを心より祈っております。――以上が在校生代表としての歓迎の挨拶であり、魔族の未来を共に築く者からの祝辞であります。

 在校生代表、ヴァレンシナでした。ようこそ、サンブリング学園へ!」


 ヴァレンシナが微笑む。


 地鳴りのような歓声が講堂を揺らした。どこからか花火が打ち上がって天井で炸裂し、火の粉が降り注いでくる。


 うるわし殿下!


 うるわし殿下!


 声が重なっていく。ヴァレンシナは困ったように眉をハの字にして手を振った。騒ぎはますます大きくなる。彼女が舞台袖へと消えても静まることはない。


 狂ったような熱気に包まれる会場の中、エディは表情をピクリとも動かさない。ヴァレンシナの人気ぶりに恐怖さえ抱いていたのだ。魔王の人気は兵士の士気に直結する。彼女が魔王になれば死をも恐れぬ最強の軍団が生まれるかも。


 アリシアがステージに上がって話し出すも、教科書や食べ物なんかが投げつけられて、彼女は悲鳴をあげながらステージを飛び降りて「入学式はおしまいです!」と大声で叫んだ。


 後ろの扉が開かれて、ぞろぞろと生徒が退出していく。


 人ごみに潰されてしまいそうになっているミミの手を引きながら、エディは考え込んでいた。


(政治的な色のない無難なスピーチだった…… 収穫はなしだ。もっと個人的な場所じゃないと本音は聞けない。どうにか接近する方法を考えないといけないが……)


 容易ではないだろう。ヴァレンシナは「学園ではただの学生の一人」なんて言っていたが、そんなわけはない。クラスが派閥で分けられているのだ。魔王の娘である彼女は手厚く守られている。


 悩んでいるエディの隣でシャーロットがほくそ笑んだ。


「まあ頑張りなさい。私はあなたのもがく様を愉しませてもらうわ」


「……お前も一緒に頑張るんだよ」


 シャーロットが一気に笑顔を引きつらせた。ミミはエディの腕にしがみつきながら必死についてきている。


「いずれチャンスはくる」


 それを逃してはいけない。


 次代の魔王、その思想趣味趣向弱点までを丸裸にする。それがエディの任務だ。持ち帰った情報が人族連合全体の政策さえを左右する。エディはその重みを噛み締めていた。


(それにしても、どこかで見たことがあるような気が……)


 ヴァレンシナの美貌。それは世に二つとないものである。しかしエディは不思議な既視感を感じていた。どこかで会ったことがあるのだろうか。いや、そんなはずはない。いくら記憶を遡ろうと答えは見つからなかった。

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