第6話 猫耳少女と吸血鬼
「起きなさい!」
金切り声で意識が覚醒した。エディはぱちくりとまばたきを繰り返し――鼻の上に小人が乗っているのを見つけた。
幻だろうか。そう思って目を凝らす。
やはり小人だった。白い制服を着ている。
「起きなさいってば!」
ドーピーだ。針を構えて今にも鼻の穴に突き刺そうとしている。
エディは慌てて飛び起きた。土台が動いたせいでドーピーは転げ落ち、エディはなんとかキャッチする。
「危ないでしょ!」
「ごめんごめん」
「あんたたちまったく部屋から出てこないと思ったら、三人揃ってすやすや眠ってるなんて。急がないと遅刻よ!」
ドーピーはエディの手のひらから跳躍してバーンの顔の上に飛び乗る。彼女は鼻毛を引っこ抜いたり針でつついたりしたがバーンは目覚めない。
いよいよドーピーは針を鼻に突き刺して、バーンは跳ね起きた。
「うおっ!」
その低い声でファングも目覚める。
「朝から騒がしいな……」
「『騒がしいな』じゃないっ! ほら早く着替えて顔を洗って支度しなさい! 私とミミは先に行ってるから!」
ミミは男子部屋に入ることはせず、開いたドアの向こうで立ち尽くしていた。エディに向かって「おはよう」と微笑む。
ドーピーは彼女の足からスカート、制服を這い上っていき、ミミの胸の谷間にすぽりとはまった。
「ほら男ども! ちゃんと教室に来るのよ! 二日酔いで眠るなら授業中に眠るのね! 私はそのつもり!」
ドーピーはふわわとあくびをする。ミミが手をあわあわ動かして動揺していた。
「ドーピーちゃん、そこはやめてくれませんか……? せめて頭の上とか……肩の上とか……」
「ここが一番安定すんのよ」
ドーピーは左右をパシンと叩いた。揺れるお胸。男性陣は目を逸らす。
「さあ行くわよミミ!」
「ぅぅ――」
鼻歌を歌うドーピーを胸に乗せ、ミミは去っていった。
バーンがぼやく。
「小さいくせに嵐のようだ」
「まったくだぜ。うるさいことありゃしねえ。起こしてくれるのは助かったが、もっと優しくたって困らないんだがな」
フォングの顔の毛はところどころ抜け落ちてまだら模様になっていた。ドーピーの仕業だろう。
三人は急いで制服を羽織り、男児らしい簡素な身支度を済ませて寮を飛び出した。
先頭を走るファングが振り返って言う。
「急げ! 怒られるぞ!」
エディはにやりと笑った。
「俺は気に入られてるから大丈夫だろ。お前ら、言い訳考えとけよ」
バーンがぼそりと言う。
「鬼人に無理やり飲まされたと証言する」
ファングが声をあげて笑った。
「その通りだ! リリムスが言い出しっぺだと言ってやる!」
「おい! なすりつけてくんじゃねえ!」
ボーと角笛のようなチャイムが響く。その余韻が掻き消える直前、三人は教室へ滑り込んだ。
アリシアがぱっと顔を輝かせる。
「おはようございます、ファングくん、バーンくん、リリムスくん。寮生はみな揃ってお酒臭いですが――きっと消毒液のお風呂にでも入ったのでしょう」
ファングが口を開いて、
「先生って最高の先生だと思います」
アリシアは笑った。
「さあ席について。ホームルームです」
エディは空いている席を探す。シャーロットのまわりがぐるりと空白地帯になっていた。クラスメイトも吸血鬼は恐ろしいらしい。
エディは彼女の横に座る。そこはちょうどミミの隣でもあった。
「おはよう」
エディが挨拶すると、二人の少女が揃ってエディを向き――
「私より遅いなんて生意気ね」
「おはようございます」
二人は視線をぶつけた。
シャーロットの目つきは不思議なものをみるようであり、ミミは怯えて目を逸らすこともできなかった。
エディは胃のあたりに締め付けられるような痛みを感じた。
アリシアが元気よく話す。
「おはようございます、みなさん。ダグラスくんを除いて欠席なし遅刻なし、素晴らしいですね。みんなで皆勤賞を取りましょう。さて、今日のホームルームは残念なことに短いです。連絡事項はたったの二つ。一つ目、今から入学式があるので講堂に移動します。先生先輩からのありがたいお話があるので拝聴しましょう」
エディは欠伸を噛み殺した。まだまだ睡眠が足りない。擬態したままのせいで浅くしか眠れないのだ。
「二つ目、今週末は新入生歓迎のオリエンテーションがあります。みんなでご飯を食べて先輩の出し物を見てダンスもあります! ――それじゃあ、移動開始! 終わったら訓練場に移動して、一限の授業を受けてね。一日楽しく元気に過ごしましょう!」
ホームルームはそれだけで終わってしまった。
アリシアは山のような資料を抱えて一番に駆け出していく。生徒たちはばらばらと立ち上がったり、机に突っ伏したり。
エディが立ち上がると。
「ちょっと」
シャーロットがエディを上から下まで品定めするように観察した。
「あなた……アルコール臭いし、ネクタイは曲がってるし、カフスは左右で違ってる。服の着方も知らないのね」
「じゃあネクタイ直してくれ」
「はあ? なんで私が。メイドではないのだけれど」
「
「なんで私が――」
そう言いながらも不機嫌顔のシャーロットはネクタイをほどき巻いてくれる。命令に逆らうことはできないのだ。
傲慢な女吸血鬼が甲斐甲斐しく世話を焼く姿を、遠巻きのクラスメイトは意外そうに見物していた。
エディは彼女だけに聞こえる声で囁く。
「あえてだよ。鬼人族が完璧に着こなしてたらおかしいだろ?」
「そういうことなら――このくらいの方がお似合いよ」
シャーロットは結びかけのネクタイを抜き取り、さらに第一ボタンを開ける。
「いっそびりびりに破いたら? それがらしいかもね」
エディは手渡されたネクタイをポケットに突っ込んだ。
「鬼人族へのヘイトスピーチでは?」
「言葉狩りだわ。なんて恐ろしい」
さて始業式の会場に行こうかと思い立った瞬間、
「――来なさい」
シャーロットに手を引かれ、教室の扉を出て、建物裏手の暗がりに連れ込まれる。
彼女は震える手でもどかしそうにエディの制服をはだけさせた。エディは少しうんざりした声で言った。
「また? 朝イチで?」
「そうよ。お酒の風味が残ってるうちに味わってみなくちゃ」
シャーロットによって壁に押しつけられる。何度目かの壁ドンだ。
氷のように冷たい指が首のまわりを這い回る。それだけでぞくりとした快感が込み上げてきた。
「あら、子猫が覗きにきた……」
シャーロットがちらりと視線を飛ばす。
そこにはミミが壁に隠れるようにしてこっちを伺っていた。エディと視線を一瞬だけ交錯させ、すぐに隠れたが尻尾がはみ出ている。
「一晩目を離しただけで変な子に懐かれてしまうなんて……大事な大事な血液タンクにイタズラされたらたまらないのだけど」
シャーロットは喉仏をかぷりと甘噛みした。そこはきっと人体でもっとも脆い部分で、肌のすぐ下に気道がある。そんな場所を噛まれているのに、エディが感じるのは快感だけだった。シャーロットを思い切り抱きしめてしまいたい。そんな衝動に襲われる。
「あんないかにも庇護欲そそるって感じが好みなの? それとも猫族だから? ――ああ、だから私に猫の真似をさせるわけ? なんだか屈辱的」
「そういうわけじゃ――ウアッ」
言葉の途中で牙が突き立った。シャーロットに優しく抱きしめられ、血を吸われる。
その肩越しにミミと目が合った。彼女は見てはいけないものを見てしまったかのように口に手を当てている。
「ミミ……」
エディが掠れた声で呼んだ。ミミは立ち尽くしていた。
シャーロットの瞳が嫉妬でギラギラ輝いて、呼応するように快感が増していく。一瞬だけ口を離して、
「あの女に見てもらいなさい。血を吸われて気持ちよくなってるところ。――子猫ちゃん! この情けない顔を見てあげて!」
今度は逆側に食いつかれる。ずいぶんと上の方、耳に近い位置だ。あまりの刺激にエディは崩れ落ちた。
それでも二つの牙は抜かれることなく、エディは地面に押し倒され、シャーロットはその上にのし掛かってしまう。
エディは目を閉じてこらえようとするが、ひとすすりごとに絶頂に似た感覚があるのだ。顔はだらしなくピクついてしまう。
ミミは教科書をつぶれるほど抱いて口元を震わせていた。それが示すのは悲しみなのだろうか、エディの朦朧とした意識では判断がつかない。
エディは逃げる先を求めるように手を彷徨わせて、シャーロットがそれを捕らえる。がっちりと指を絡めるように握られた。
吸血は続く。
「フーッ――フッ……フゥ……」
次第にペースを落として、エディにも呼吸を整えるくらいの余裕ができた。しばらく牙を刺しているだけの時間が続いた後、シャーロットは最後の一滴をチュッと舐め取った。
「お酒の風味も悪くないけど……たまにでいいわね。元の良さが損なわれてる」
シャーロットはエディの胸板の上にあごを乗せて、手は繋いだまま、エディの息が落ち着くのを待っている。
エディには突き飛ばすことも振り払うこともできなかった。
「あら、子猫ちゃん、いなくなっちゃった。刺激が強すぎたかしら」
言葉の通り、ミミは立ち去っていた。エディの脳裏を少しの不安が掠める。
「……なんでこんな見せつけるみたいなことするんだ」
「あなたが私のものだって示しておかないと。一滴だって譲らないんだから」
「……俺はお前のものじゃない。血を吸うのはいいが、独占欲を拗らせるな」
シャーロットはちろりと舌を出した。反省の色はない。エディはため息をつく。
「あの子にはよくしてくやってくれ。少しワケありでね」
「それは命令?」
「そうだ。殺すのも傷付けるのもだめ。手元に置いておくことになる」
シャーロットはエディの首筋から胸元にかけて甘噛みをしていく。まるで味見でもしているようだ。そして言った。
「私、あの子嫌いよ」
「……話してもないだろ」
「控えめで弱気で大人しくて、男に縋るようなタイプでしょ。だいたい私が悪者にされるのよね。少し話しただけですぐ泣きそう」
「どうせ嫌いなやつばかりだろ。……必要以上に仲良くしないでいいから、俺の目が届かない時に気を配ってやるくらいで」
「それも命令?」
シャーロットは不満そうに唇を尖らせている。エディはめんどくさく思いながら言った。
「命令だ。いちいち全部命令しなくてもやってくれよ。そのために血を吸わせてやってるんだから」
「ハア? 気持ちよさそうにしてるくせに。吸わせてやってるって、何様よ」
「演技だよ。騙されてバカなやつだぜ。俺は女に化けて魔族のジジイの酌をしたこともあるんだ――さあ行くぞ」
エディはシャーロットを引っ張り上げるようにして立ち上がった。
背中についた木の葉を払って教室の裏から出る。ミミがどこかで待っているかと予想していたが、道を見渡しても見当たらなかった。
念のため、エディは扉を開けて教室の中を覗いてみる。
いた。
ミミは唇を噛み締め俯いて、ぽつんと座っていた。
なんだかめんどくさいことになってきたぞ、という嘆きをエディはなんとか飲み込んで、小さく息だけを吐き出す。
▼△▼
エディはシャーロットに手招きした。
「ちょっとミミと話してくるから、外で待っててくれ」
シャーロットは露骨なしかめ面になったが不満を言葉に出すことはない。
エディはコンコンと壁をノックしながら教室に踏み入った。
「ミミ」
小さく丸まった背中が跳ねる。
「俺たちのこと待っててくれたのか? ありがとう。入学式、一緒に行こうぜ」
エディはミミの隣に座った。彼女の横顔には涙が伝った跡がある。
「泣いてるのか?」
「いえ……」
ミミはそれだけ言って首を振った。エディは笑顔を作る。
「もしかしてミミも俺の血を吸いたかった? なら言ってくれなきゃ。一年先まで予約でいっぱいだけど、ミミのためなら特別に空けてやれる」
しかしミミはふるふると頭を振った。エディはとにかく優しい声音を意識する。
「話してくれ」
エディはミミの強張った拳を手に取り、無理やりに解いていく。
「友だちだろ?」
ようやく目が合った。青い瞳は濡れている。
「リリムスくん、とっても気持ちよさそうでした……」
エディは言葉を詰まらせた。だって何と答えればいい? さっぱり見当もつかない。はいともいいえとも言えないだろう。
「リリムスくんとシャーロット様はすごくお似合いです……かっこよくて、気高くて、誰にも頼らず生きていける…… それに比べてわたしなんか……」
「そんなことないよ。ミミはよく気がきくし、機微を察するのが上手い。昨日の夜だってみんなに気を回してくれてただろ? シャーロットにはできないことだ」
「…………わたしは」
ミミは喉を震わせた。エディが手をさすりながら口を開く。
「相応しくない、なんてことない。そもそも友だちに相応しいとか相応しくないとかないんだ。一緒にいて楽しいか、それだけだ」
「……リリムスくんはわたしと一緒にいて楽しいですか?」
「ああ。からかいがいがあってすごく楽しい。すごくビビってくれるから」
ミミは少し笑顔を見せた。
「やっぱりイジワルです」
「ごめんよ。――さて、シャーロット!」
扉が荒々しく開かれる。絶世の美女になることを保証された銀髪の少女が冷たい眼差しで現れた。
「大声で呼び捨て、しかも使用人みたいに呼び出されて……なんてことでしょう。我ながら落ちてしまったものね」
「はいはい。ごめんよシャーロットお嬢様。機嫌を戻すにはおしゃぶりでも必要かな?」
「あら、くださるの? さっきしゃぶり尽くしてあげたら悶えて震えてたけど……また恋しくなった? おしゃぶりさん」
シャーロットはつかつか歩み寄ってきて、エディの首をトントンと叩く。そのリズムは完全に心臓の鼓動と一致していた。
「結構です、お嬢様」
「――それで?」
シャーロットは鼻を鳴らした。腕を組んで仁王立ち、お得意のポーズだ。
エディはシャーロットとミミを交互に見やる。
「二人にはぜひ友人になってほしい。なぜって二人とも俺の大事な友人だから」
まあ嘘だけど、とエディは心中でひとりごち、平然とした顔を作る。
秘密は隠し通さなくてはいけない。しかしシャーロットは知り、ミミは勘付いている。任務のためには二人を手元で管理する必要があった。別に仲良しごっこが必要なわけではないが、あまりに居心地が悪ければミミは離れていくだろう。ゆえに二人の関係構築は重要だ。
二人を交互にやれば、シャーロットは眉を寄せて、ミミは嬉しそうに微笑んだ。対照的な反応だ。
「私とあなたが友人? いつの間に? 私って友人を選ぶ権利まで奪われてしまったのね。そもそも友人なんて不要なのだけど」
「いちいち噛みついてくるな」
シャーロットは口を閉ざし、ただ睨みつけてくる。エディはどうでもいいとその視線を手で払う。
「シャーロット、こちらはミミ。俺とは寮も同じ。毒見が得意らしい」
「よろしくお願いします……」
「どうも」
「ミミ、こちらはシャーロット・スカーレットブラッド・ラヴシーカーだ。シャーロットと呼んであげるとすごく喜ぶぞ。皮肉屋で高慢で孤高を気取ってるが、実は寂しがりや」
シャーロットは目を見開いた。
「寂しがりやですって!? そんなことありません!」
エディは無視して続ける。
「二人には共通点がある。それはぼっちなこと。さあ、そういうわけで――握手しようか」
シャーロットはふんぞり返っていて、ミミは手をもじもじ体の前で握っている。エディは二人の手を掴んだ。
「私、握手なんてしたことないのだけど」
「わたしも……」
「まじで? よく生きてこれたな。とにかく、握手!」
エディは二人の手を重ね合わせる。シャーロットとミミはぎこちなくも握手を行なった。
「初握手おめでとう! めでたい! 二人とも、仲良くやってくれ。俺の胃の穴がダンジョン化しないためにも」
「ふん。まあしょうがないわね。よろしく、子猫ちゃん」
「よ、よろしくお願いします……シャーロット様……」
エディはシャーロットの手を軽くつねった。シャーロットがまた睨んでくる。
「やり直し。ちゃんと名前を呼ぶこと」
「………………よろしく、ミミ。まあ、彼がこう言うので、少しくらいは目をかけてあげましょう」
「ありがとう、ございます…… わたし、お友だちとして頑張るので……」
ミミはぺこぺこ頭を下げた。少し泣きそうになっているのがわかる。もちろん喜びの涙ではない。
シャーロットは握手を終え、お得意のポーズに戻った。
「なんだか私があなたを虐めてるみたいになるじゃない。泣かないでくれる?」
「ご、ごめんなさい、そんなつもりじゃなくて……」
シャーロットは足を踏み鳴らした。ミミがぐすんと鼻をすする。
「私、あなたのことキライ」
「ぅぅ……ううう〜」
ミミは泣いた。
エディは二人の相性はやはり最悪だったなあとため息を吐き出した。
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