二章 猫耳少女は勇気が欲しい

第1話 猫耳少女

二章「猫耳少女は勇気が欲しい!」


 エディはしばらくの間ベンチに座って、シャーロットと話したことについて考えていた。


 エディは孤児だ。物心ついた時から路上で孤児仲間と暮らしていた。生きるために誰かを殴ってきた。


 魔族が攻めてくるたびに暮らしは苦しくなった。大人たちはこの世の不幸はだいたい魔族のせいだと叫んでいて、エディもそれに賛成だ。戦争は豊かさを吸い上げる。


 十歳にも満たない歳で諜報部隊に入ってからも同じだ。最初は先輩についてまわり、人手不足なのですぐに独り立ちさせられ、命令されるままに魔族を殺してきた。


 エディは死んでいった仲間たちの最期の言葉を思い出した。殺した魔族の死に顔も思い出した。どちらも互いを呪っていた。


「魔族は敵。殺す。人族は味方。助ける。シンプルだろ? 今までと一緒だ」


 エディは口の中で小さく言う。


 鬼人のリリムスとして振る舞うのはあくまで演技だ。本気にしちゃいけない。時折リリムスとエディの境界線があいまいになってしまうが、そんなときは過去を思い出せばいい。孤児だったころ冷たい路地で震えていた自分を。兵士として血に塗れた日々を。


 迷いを振り払う。ゆっくりと息を吸ってゆっくりと息を吐き出す。肺の中の空気を全ていれかえた。


「うし」


(シャーロットとは話しすぎないようにしよう。あれは毒だ。シンプルに考えないと判断が鈍る。判断が鈍ると死ぬ。死んだら…………飯が食えなくなる)


 立ち上がる。足元の石を思いきり蹴飛ばせば、小石は芝生の上を遠くまで転がっていった。


 エディは教室へ向かった。ロッカーに押し込んだ荷物を持って寮に向かわなくてはいけない。


「クソ野郎どもとの楽しい共同生活ってわけだ…… 気が滅入るぜ」


 学園内を歩く生徒の数はもう少なくなってきている。


 教室についた。扉に鍵はかかっていない。というか錠前なんて殊勝なものはなかった。


 扉を開く。


 一歩踏み込んだところでエディは動きを止めた。


 教室は無人ではなかった。


 一人の少女が隅っこにいる。その少女は壁に鼻がくっついているのかとおもうほどに隅っこにいた。


 エディは思った。こいつはなぜ放課後の教室で壁にキスをしているんだ、と。


 扉がキイと音を鳴らす。少女はビクリと震えて振り返った。


 目が合う。


 ネコミミがぴょこぴょこと動いた。金色――に見えるのは光の加減だろう。艶のある黄色の毛並みだ。


 耳と尻尾。猫族らしい特徴はそれだけで、ほかはただの可愛らしくてほんわかした少女である。


 エディは軽く会釈をして自分の荷物を置いていた席へと向かう。


 しかしその間も少女の目はエディを追っていた。気まずさに耐えかねたエディは口を開く。


「やあ。同じクラス……だよな?」


 少女は唇を閉じたままこくこくと頷く。


「そんなに見つめられると照れるな。鬼人族がそんなに珍しい?」


 少女はしばし黙り、ゆっくりと口を開いた。


「絵本でしか見たことないです…… あの、私おいしくないので……」


 細くて小さな、鈴の音色みたいな声だった。エディは意地悪そうに笑う。


「俺はこう見えて貧乏舌でね。食えたらなんでも良いタイプなんだ。――君はソースなしでも美味しそう」


 少女は「ひいいっ」と悲鳴を漏らす。


「ハハ、冗談だ。けっこう誤解されてるけど、鬼人族は獣人を食べない」


「よかった……失礼なこと言ってごめんなさい……その……来てくれてありがとうございます……」


 少女は手を揃えてぺこりと頭を下げる。


 エディは困惑した。


「ええと……?」


 少女も困って眉をハの字にした。


「……机の中に入れた手紙を読んで来てくれたんですよね?」


「違うけど」


 少女はみるみるうちに目を潤ませた。そしてある机の引き出しに手を突っ込み、便箋を引き抜いた。


「……一応言っておくと、それは俺の机じゃない。そもそもどれが誰の机とか決まってないし……」


「ぅぅ――」


 少女はまばたきした。涙があふれて頰を伝う。


「ごめんなさい、わたしって何やってもうまくいかなくて、呼び出したから来てくれたなんて勘違いしてしまって、――もうほんとドジで、――ごめんなさいっ」


 一気に捲し立てた。ネコミミをぱたりと伏せて、少女はエディの隣を通り過ぎようとする。


「まあ待ちなよ」


 エディはなるべく優しく声をかけた。優等生ポジに収まったからにはそれを貫くつもりなのだ。


「手紙を読んでないのに俺はここに来た。唐突に忘れ物を思い出してね。つまり――ご先祖の御霊みたまが導いてくれたってことだ。ある意味運命さ。君の話を聞かなきゃ夢で怒られちゃうよ」


 少女は涙を拭う。


「……わたしなんかに時間を割いてくれるんですか?」


「もちろん。むしろ俺なんかの時間でいいのか心配だ。毎日余って仕方がなくてね、ぜひぜひ使ってくれ」


「なら……読んでください。お願いします」


 少女はエディに手紙を押し付け、すぐに壁の側まで離れていく。


 エディはしわくちゃになってしまった便箋を伸ばしながら手紙を取り出した。


(いったい何だ。俺の今後に関わる重要なことかもしれない……情報が少しでも必要だ……特にクラスメイトの動向は完璧に把握しておきたい……まさか愛の告白じゃないよな?)


 エディは首を振った。この少女とは話したことだってないのだ。


 シンプルな封筒の中には十枚を超える数の紙が入っていて――どれもインクが裏写りして読めない。


 エディは少女をちらりと見た。少女は宣告を待つ容疑者みたいな顔をしていた。


 エディは言った。


「裏写りしてて読めないね」


「そ、そんな……」


 今度は死刑が決まったみたいな顔になる。少女は手紙をひったくって目を通し、再び瞳を濡らす。


 エディは内心安堵していた。その手紙は小さな文字でびっしりと書き込まれていたようで枚数も多く、ほとんど小説の分量だったのだ。名前も知らない少女からもらう小説なんてホラーそのものだ。


「口頭で伝えてくれる?」


「ぅぅ――」


 少女は固まっていたが、尻尾だけは元気に動いて動揺を表現している。


「頑張ります。まとまってなくても……角で串刺しにしないでください」


「……角はそんな風に使わない」


「ごめんなさいっ、失礼なことを言ってしまいました」


「気にしないでいい。斬新なアイデアをありがとう。――今度試してみようかな?」


 少女は恐る恐る囁いた。


「それも冗談……ですよね……?」


「正解。分かってきたね。じゃあ次の問題だ――」


 エディは少女に歩み寄った。


「――鬼人族は怯える女をからかい最後には殺すのが日課である。マルかバツか」


 額の角が西日を反射してぎらりと黒光りして存在感を増す。


「ひぃ」


 少女は腰を抜かして尻もちをつく。


「おおお、お助けをォッ!」


 エディは今度はお人よしそうな笑顔になった。もちろん作り物だ。


「冗談だって。仲間にはそんなのもいるけど、俺はしない。虫も殺せない菜食主義者――ではないけど、”いただきます”を欠かさないのが数少ない自慢なんだ」


 エディは少女の手を掴んで立ち上がらせる。細くて柔らかい手だ。軽い体は浮き上がるみたいに簡単に持ち上がった。


「からかいすぎたみたいだ。ごめんね」


「いえ……」


「さあ話してみて。どんなことでも殺すことはないからさ」


 少女はいくぶんか警戒と怯えを和らげたのか、少しスムーズに話し出す。


「私の名前はミミです」


「俺はリリムス・オーガだ」


「知ってます。目立ってましたから……」


「それは……不本意だな」


 猫族の少女――ミミは周囲を見まわした。当然教室には二人きりだ。


 さらに小走りでとてとて扉まで行って、開いたままだったそれを閉め、カーテンまで閉める。


 ぐっと暗くなった。この教室に照明はないのだ。


 ミミはエディの前まで戻ってくる。


「ずいぶんと内緒の話みたいだね」


「はい……」


 ブルーに澄んだ瞳が上目遣いになる。


 ミミはエディの耳元に唇を寄せた。


「リリムスくんって……人族の血を引いてますよね」


「――ッ!」


 それは質問ではなかった。事実をただ確かめるだけの確認。


 エディは呟く。


「ああ、残念だが、やっぱり殺さないといけなくなったかも」


「フフ、また冗談ですか? さすがにもう引っかかりません」


「冗談じゃない――本気だ。なぜ分かった?」


 ぞくりとする声色。エディの優しげな雰囲気は一変した。冷徹な兵士のそれだ。


「すべて吐け」


 エディの視線は鋭く、ミミの心の奥底までを貫こうと突き刺さる。少女は後ずさって助けを求めるべく視線を四方に彷徨わせたが、自らによってここは密室となっていた。


「あ、あの――そんなつもりはなくて――気に障ったならごめんなさい――ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!」


「いいから、なぜ分かったんだ? 早く言え。さもなきゃ死ね。十、九、八、七――」


「わたしもっ――!」


 ミミは喉を震わせる。


「わたしも……実は……人族と猫族のハーフなんです……! ずっと隠してました。バレたら……きっと……誰にも受け入れてもらえないって思ってたから。でも、あなたを見た瞬間……感じたんです。同じ匂いがするって――!」


 ミミはまぶたを固く閉じていて、鼻のあたりにシワがぎゅっと寄っている。


「ハーフ……?」


 人族と魔族のハーフ。


 エディはそんな存在に出会ったことはなかったし、聞いたこともなかった。人族は他種族との子を作れないというのが定説のはず。


 しかしそう言われれば納得できる。猫族にしては特徴が薄すぎるのだ。これじゃあ耳と尻尾を切り落とせば人族と見分けがつかない。


 この告白はきっと真実だ。


「まじか……」


 魔族は敵だから殺す。人族は味方だから助ける。すごくシンプルな基準だ。いや――そのはずだった。


 魔族か、人族か。


 その境界線上に立つ少女を前にして、エディは自分の中の何かがガラガラ音を立てて崩れていくのを感じた。

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