第16話 鬼と人と
広大な庭のベンチに並んで腰を下ろす。空では夕日が沈み、短く刈られた芝生が黄色みをまして見えた。
なんとなくの雰囲気でベンチに座ったが、シャーロットは黙ったままでいた。
エディは焦れったくなって切り出す。
「なんかあるのか?」
「いえ……ただあなたがどういう存在なのか再認識しただけ」
「仲間を殺されて不快だったか」
「そんなことはないわ……別に私は吸血鬼がどれだけ死のうと悲しくはない。鼻持ちならないやつばかりだから、私以外はね」
エディはウーンと唸り声をあげる。お前もだよという言葉は喉まででかかっていたがなんとかこらえた。
「でも、聞かせてほしい。――なぜアイツは殺して、私は殺さないの?」
紅の瞳がエディを射抜いた。嘘は許さないと目が語っている。
エディは言った。
「可愛く猫の真似をしろ」
シャーロットは悪魔みたいな顔になったが、体は勝手に命令を実行する。腕を上げてあざとく曲げ猫パンチを繰り出してきた。
「ふざけるにゃ、にゃん……」
エディは心底愉快な気持ちになった。しかしシャーロットが歯ぎしりするギリギリという万力のような音が聞こえてきて、真顔になる。
「殺さないのは……役に立つからだよ。絶対隷属の協力者がいるのはすごく便利だ」
それが本心だ。この前提が崩れればエディはすぐにでもシャーロットを殺すだろう。
「そうね」
「俺は勇者、人族の守護者だ。何よりも人族の利益を追求する」
「それって、その、」
シャーロットは言葉を詰まらせた。エディは今だけ人族という単語を使っていいと許可を出した。
「ありがと――それって人族特有の考え方よね。魔族は全体のことなんて考えない」
「魔族は姿形がばらばらじゃないか。人族はせいぜい肌の色だぜ。一体感が違う。それに弱いから団結しないと」
「それってすごく――素敵よ。ねえ、考えたことはない?」
シャーロットはいつになく真剣な眼差しだった。
「なぜ人族はたったひとつの種族で人族なの? なぜ魔族は百以上の種族をまとめて魔族と呼ぶの? 人族だけ仲間はずれな理由は何? なんで人族と魔族で戦争をしてるの?」
そんな疑問は思いついたこともなかった。エディは目の前の敵を殺すことばかりをしてきたのだ。
「分かんない。頭が痛くなりそうだ」
「人族のあなたでも知らないのね」
「きっと誰も知らないさ。どうやって戦争が始まったかなんて、最古の吸血鬼でさえ忘れてるだろうよ」
シャーロットはしばらく沈黙を貫いた。やがて語り始める。
「ひとつ、打ち明けておきます。体内の血液っていうのは入れ替わっていくものなの。古い血は壊され、新しい血が作られる。つまり――あなたの
「へえ初耳だ。さすが吸血鬼。しかしそれは……困るな……」
「そしたらあなたは私を殺すの?」
「…………」
「沈黙は肯定、ね」
「……その入れ替わりってのはどのくらいの期間で起こるんだ?」
シャーロットは記憶を遡っているのか、かなり長い間考え込んでいた。
「たしか……三年……だったはず。うんそうよ。きっかり三年です」
「なら大丈夫だ。潜入任務は三年も続かないだろうから。俺に殺される心配はしなくていいぜ」
「よかった。――私ね、吸血に抵抗を感じていたの。だからずっとしてなかったのに、あなたを見て我慢できなくなってしまった」
「……なんかごめん」
「あなたが悪いわけじゃない」
シャーロットがエディを見つめた。
「私の屋敷には吸血鬼よりも人族のほうがずっと多い。ほとんど彼らに育てられたみたいなものだから……人族をただの家畜みたいに思えるはずないでしょう」
そう言いながらもシャーロットはエディの首筋を撫で回す。捕食者の目つきだった。エディはもぞりと体を揺らす。
「ねえ……」
シャーロットはとても大事な秘密を告白するみたいな囁き声で言った。
「人族と魔族っていい関係を築けると思う?」
「……無理じゃないか。少なくとも俺は前例をしらない」
魔族の内半数は人族を食う。残り半数はお遊びで殺す。エディはとても無理だと思った。
「俺は数え切れないほど殺してきた。これからも殺す。そしてお前は吸血鬼で、血を吸わないとやがて死ぬ。つまり殺し合うさだめにあるってこと。違うか?」
「……それだけなの? 殺し合うだけ?」
「…………」
エディはその問いの答えを持っていない。
シャーロットは膝の上で拳を握った。
「……人族と魔族の戦争はいつか終わると思う?」
「終わっただろ。今は休戦中だぜ」
「どうせすぐ再開するでしょう。休戦じゃなくて、本当の意味での終戦よ」
「さあ……どちらかが滅びたら終わるだろうが……俺は哲学者じゃない。兵士だ。質問攻めにしないでくれ」
シャーロットは呆れたような視線を投げかける。
「思索こそが魔物と知的生命を隔てるものでしょう。思考放棄してしまえば猿と変わりはしない――――いま思ったのだけれど、知的生命っていい言葉ね。人族と魔族合わせて知的生命。どう?」
エディは頭を掻く。
「どうと言われても……」
「はあ。ダメね、あなた」
シャーロットはエディの手首を握り、脈を押さえた。こうされるとまるで心臓を鷲掴みにされているような気分になってくる。
シャーロットは言った。
「私はシャーロット・スカーレットブラッド・ラヴシーカーです」
「……存じ上げておりますが?」
シャーロットは不機嫌になったようで、ちょっと強めに血管を圧迫してくる。エディはどくどく脈打つ血の流れを感じた。
「名を名乗りなさい」
「リリムス・オーガだ」
「そっちじゃない。偽名なんて……吐き気がするわ。本名以外を名乗るなんて吸血鬼的にはありえない行いなの。本当の名前を教えなさい。私はいつまであなたあなたと連呼すればいいわけ?」
「名前だと?」
そう話す間もシャーロットはずっとエディの手首を握りこんだままだ。
「二人きりのとき以外に呼ぶなよ」
「分かってるわ」
「……エディだ。姓はない」
「いい名前ね。エディ、エディ」
シャーロットは語感を確かめるように何度も繰り返した。
本名で呼ばれるのはやはり小っ恥ずかしく、エディは妙な居心地の悪さを感じる。いつも仮面を被って生きているのだ。本名を明かすのは奥の素顔をさらすようで落ち着かない。
「これから長いわ。よろしくね、エディ」
シャーロットは微笑んだ。それがあまりに美しくてエディの心臓はどきりと跳ねる。悟られていないことを願った。
「はやくこの学園からおさらばできることを願うよ、シャーロット」
シャーロットはまたニコリと笑った。皮肉や嫌味が混じっていない笑顔を見るのは初めてかもな、とエディは思った。
「また明日。今日はよく食べてよく眠るように。お風呂にも入りなさい。朝ごはんも食べるのよ、とりあえずは牛肉がおすすめ」
「うるさいやつだ」
「じゃあ、ばいばい、エディ」
シャーロットは立ち上がって小さく手を振った。エディも仕方なく振り返す。
腰まで届く銀髪を風になびかせながら吸血鬼は去った。
エディはベンチに深く腰掛けため息を吐き出す。
「これはタフな任務になりそうだ……」
呟きを聞き届けるものはいない。潜入任務はまだまだ始まったばかりである。
一章
The vampire is looking for something.
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