第2話 猫耳少女と夕食をともに

 エディは目の前の少女を観察する。


 気が弱い。すぐに泣く。自信がなさそう。なによりも圧倒的に弱い。エディが本気になれば一秒で首の骨を折れる。


(殺すべきだろうか…… 任務の継続のためにはわずかな芽でも摘むべきだが、人族まで殺したら俺はいよいよ地獄行きだ。何のために戦ってるのか分からなくなる……だがこいつは人族とはいえないだろ?)


 しばし葛藤し、エディは決断できなかった。結局先延ばしにしてしまうことにする。ヤバくなったらすぐ殺せばいい。


 エディは優しげな口調と笑顔を意識して言う。


「ごめんごめん、冗談だよ。ついついからかいたくなるタチでさ、でももうしない。約束する」


 ミミはゆっくり目を開けた。エディの微笑みを見つけて息を吐き出し、そして胸の前で手を組む。


「よかったぁ、リリムスくんは演技がうますぎて冗談か本気か分かりません」


 ミミは言葉を濁す。


「それで、そのぅ……」


「なに?」


「さっきのことですけど……どうなんでしょう? 人族の血を引いていますよね?」


 エディは唇を湿らせた。


「人族の血を引いているというより――」


 ミミは何かを期待するようにエディを見上げる。


「……やっぱり内緒だ。とにかく――」


 エディはカーテンをばさりと開いた。教室に赤い夕日が射し込んでくる。


「君とはもっとお話をする必要がある。場所を移そう。そうだな……食堂に行こうぜ」


「え……でも……聞かれるわけにはいきませんよ」


「誰も聞いてないさ」


 ミミは不安そうに耳をぱたつかせる。


 エディは扉を開けた。柔らかな風が吹き込んできてミミの細い金色の髪の毛を揺らしていく。


「秘密の過去を打ち明けるなら明るい照明の下じゃないと」


「そういうものでしょうか」


「それに、女の子と暗い部屋で二人きりになる俺の気持ちも考えてくれ。シャイなんだ。特にこんな可愛い子だとな」


 ミミは恥ずかしそうにうつむいて指をもじもじと組み合わせた。


「そんな……お世辞はやめてください……」


「俺からお世辞をとったら会話の九割が沈黙になる。だから取り上げないでくれ。――さあどうぞ」


 エディは扉を開けたまま促す。


 ミミは教室を出た。空は暗くなり始めているが、日没まではまだ余裕がある。生徒の姿もちらほらと残っていた。


 二人は連れ立って食堂までの道を歩く。


「誘ってなんだけど、ミミは帰らなくていいのか? じきに暗くなる」


「私は寮なので……」


「俺もだ。偶然だな」


「よかった。知り合いがいてくれて……もう知り合い、ですよね?」


「知り合い、友だち、親友、どれでも好きなのを選んでいい。それとも俺が決めようか」


「知り合いからでお願いします……」


 その声はちょっと嬉しそうだった。


 二人は食堂についた。ちょうど夕食の時間であり、制服のままの生徒と普段着に着替えた生徒でにぎやかである。


 あれこれと悩んだあげくに、エディは牛肉のステーキ、ミミは魚の刺身盛り合わせを注文した。


 ミミが気色悪い魔族向け料理を頼まなかったのでエディは喜んだ。そういう料理はたいていひどくクサイのだ。


 窓際の四人席に陣取った。柔らかな照明が二人を照らす。


 エディの前にあるステーキは人族のそれと大きく変わらない。少なくとも見た目は。


 さっそく口に放り込んでみる。


「うん、ちょっとワイルドだが、悪くない。付け合わせでこの甲虫がなかったらもっとよかった」


 必要であれば虫も食うが、今はそのときではない。エディは虫を端に除けた。


 さらに、ステーキの横の小皿にはソースがあって、絵の具を混ぜ合わせたような汚い黒色だ。ツンと鼻に来る刺激臭が香ってくる。


「これもいらないな。……なんのソースなんだ? 研究室みたいな匂いがする」


 ミミはそのソースをのぞき込んで言った。


「発酵させたリザードマンの胆汁です。美肌効果があるのと、見栄えが良いので人気なんですよ」


 エディはどろりと粘性の高いソースを見つめる。


「見栄えが良い? ……おっしゃる通りだ。でも俺はすでに美肌だからな。これ以上は困る」


 エディはソースの小皿をテーブルの一番端っこに追いやった。それでも若干匂ってくるが、なんとか堪えて口を開く。


「さて、それじゃあ話の続きだ。――なんの話だっけ」


 ミミはもぐもぐしながら頷いた。飲み込んで話す。


「わたしの生まれについて、聞いてくれますか?」


「聞かせてくれ」


「わたしのお母さんは戦争で捕まった捕虜で、お父さんは猫族の部族の長なんです。お父さんは種族なんか関係ないっていう変人で、結果わたしが生まれました」


「わあ……とんでもない変人だな」


「はい…… それでお父さんの集落で育って、サンブリング学園に来ることになったって感じでして……」


 エディは小さく切り分けてしまったステーキをぱくぱくと口に詰め込んでいく。


「なるほどねえ。それで……どうしてわざわざ手紙を書いてまで俺に打ち明けようと思ったんだ?」


「そ、それは……同じ境遇の方がいたならお友だちになれるかなって……舞いあがっちゃって……」


「はあ。お友だち?」


 なんだよそれ、とエディは思った。重たい出生についてつづった短編小説を渡されて始まる友情なんてたぶんない。


 呆れたようなエディの言葉に、ミミは瞳を揺らした。


「なりません……よね。わたしなんかに言われたって困りますよね。……やっぱりなかったことにしてください」


 ミミは指で小さな刺身をつまみ、もじもじと頬張りながら視線を落とす。


「……いや、もう学校辞めます。わたしなんかが来るべきじゃなかったんだ……」


「そんなことない」


 エディは力のこもった目でミミを見つめる。このままミミを遠くに行かせるわけにはいかないのだ。手の届かない場所にいかれては――口封じできなくなる。


「俺が言いたいのはつまり――もうとっくに親友だろ? ってことだよ」


 先ほど"知り合いから"と決まったばかりだったが、エディはパッションを全面に押し出した。


「だって一緒に飯を食ってるんだぜ。これで親友じゃなかったらなんだ?」


「ぅぅ――」


 ミミは刺身を頬張りながら軽く泣いた。めんどくさいなあとエディは思った。だが秘密を悟られかけているのだ。突き放して嫌われるわけにもいかない。


「俺の事情について詳しくは話せないけど、なんでも頼ってくれ」


「はいぃ……わたしも……お力になれることがあれば、微力を尽くさせていただきたく……」


 肩を縮こまらせながら話す少女を前にしてエディはコロコロと笑った。こんなに堅苦しい友人は初めてだった。


「何をしてくれるわけ?」


「ええと……」


 ミミは拳を握り力強い眼差しで言った。


「毒見が得意です。舌の感覚だけは生まれつきとっても良いんですよ」


 その自信に満ちた表情に、エディは思わず吹き出してしまう。


「得意なことにしては少し……危険すぎるかも。失敗したら死んじゃうよ」


「いえ、野にあるものをたくさん食べてきましたけど、毒だったら舌がピリピリするから、死なないんです!」


「はは、そうなんだ。じゃあ、いつか荒野で彷徨うことになったら助けてもらうかも」


「任せてください。毒見以外はなにもできないですけど……」


 ミミは薄く微笑む。


「リリムスくんに話してよかった。わたし……ずっと思ってました。誰にも言えない秘密を抱えたまま生きるのは、すごく苦しくて、怖いって。でも、同じ匂いの人がいてくれて……受け入れてくれて……」


「そうだね……」


 エディはその表情を見つめていられず、手元に視線を落とす。


 二人はあっという間に食事を終えた。ミミは小食であり、エディは路上暮らしが長かったので飯は詰め込むタイプである。


 食堂では酒を飲んだ連中が乱痴気騒ぎをはじめた。グラスがぶつかる音、皿とスプーンで音楽を奏でる部族がいて、クライマックスでは皿を割りまくってコックたちが猛然と駆けてくる。


 二人はそれをしばらく見物していたが、矛先が向きそうになったので尻尾を巻いて逃げ出した。


 暗くなった道を二人で歩きながら寮へ向かう。一年生から三年生までのC組生徒のうち希望者だけが住まう寮、エディはそこに最長で三年間も過ごすことになるのだ。

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