第11話 サボり魔たち

 学園のカフェのテラス席で、エディは優雅なひと時を過ごしていた。


 そこには授業時間中にも関わらず少なくない生徒がたむろしていて、賑やかにお喋りしたり日光浴をしていたりする。


「悪くない。最悪の任務だと思ってたが、うまいことやれば休暇にも化けるぜ」


 エディはコーヒーをすすった。


「まっず。魔族の国にはうまい料理がないのか?」


「あなたの舌には合わないかもね。ここの料理は上品だから」


 シャーロットはつんと澄ましてエディの向かいに座っている。


「私の屋敷の料理人ならあなた向けの料理も作れる。さらに好き嫌いまで考慮できるわ。お招きしてあげる」


「それで朝目覚めたら俺の体は干された雑巾みたいになってるって寸法か? その手には乗らない」


「あら、警戒心が強いのね。臆病で可愛らしい」


「バケモノどもの屋敷なんて行ってたまるか」


 エディはパンケーキにフォークを突き刺して頬張る。


「こっちはなかなかイケる。俺の主食はパンケーキになるかも」


「それはだめ。血を作るためにバランスよく食べなくちゃ。――ねえ、やっぱり私の屋敷で暮らしなさい。それが一番よ」


「女性に招かれるのは嬉しいが、血にしか興味ない吸血鬼じゃなかったら最高だったな。俺は寮に入るんだ」


 サンブリング学園には希望したものだけが入れる寮がある。魔都に屋敷を所有する良家のお坊ちゃんお嬢さんが多いため、寮生はそう多くはない。しかしエディはそれを情報収集の場として活用するつもりでいた。


「嫌になったらいつでもおいでなさい。長期休みもありますし。故郷の食事が恋しくなるでしょう」


「いざとなったら自炊するしかないな。寮の飯が食えるものだといいんだが……」


 エディはここまでの旅路で口にしてきたものを思い起こした。生の謎肉や昆虫なんかはまだいいほうで、ヘドロみたいなスープや鉄みたいなステーキが高級店で出てきた時は任務を中断して逃げ出すべきか悩んだほどだ。


 コーヒーの匂いを嗅ぐ。


「ずっとましだな」


「良かったわね」


 シャーロットはワイングラスを傾けた。真っ赤な液体がちゃぷんと揺れる。ワインにしては粘性が高い。


「それはいったいなんだろう。血? 酒? どっちでも昼間の学校で飲むにはふさわしくないと思うんだが」


「血の酒よ。一口飲んでみる?」


 差し出されるワイングラス。エディは慎重に手で扇いで匂いを確かめた。


「牛の血を加工したもの。牛の血ならあなたの仲間でも飲むことはあるはず」


 それはその通りだ。エディはほんの少しだけ口に含んだ。酒精が強くて苦い。


「美味しくはないな」


「おこちゃまね。――その酒には強い造血作用があるの。ほら、みるみる血色がよくなってきた」


 エディは自分の顔をぺたぺた触れた。シャーロットはそれを無表情で観察している。


「また吸うつもりか? 勘弁してくれ」


「もう少し我慢してあげる。本当は一晩寝かせるべきなのよね……」


「うげえ。一日一回吸うとか言うなよ」


「頻度と量は私が決めさせていただきます。よろしくて?」


 エディは黙った。吸血という行為に関して、この少女の執念はとんでもない。逆らうのは悪手だとこの半日で学んだのだ。吸わせるだけなら害はない。それで協力者が得られるならむしろ得のある取引だ。


「理解が早くてよろしい」


 シャーロットは沈黙を肯定だと解釈し、満足げに血の酒を飲み干した。


 気まずい。エディは目を逸らす。


 ゴクゴクという嚥下の音が聞こえてくるうえに、シャーロットの真紅の瞳はいまもエディの首筋を狙っているのだ。


 エディは身を小さくした。


 目に熱を帯びた少女はテーブルの上に身を乗り出すようにして迫る。ちらりと左右を伺い、まわりに人がいないことを確認した。


 真夏の花のような匂いがエディをくすぐる。


 彼女は囁いた。


「……やっぱり、今から、どう? ほんのちょっとだけだから。舐めるくらい」


「…………」


 再び沈黙を肯定と解釈したのだろうか。シャーロットは立ち上がり、エディの背後に回り込む。


「こんな場所ですんのか?」


「誰も気にしてないわよ。一分もかからないし」


 冷たい指がエディの首を優しく撫でていく。上から下まで何度も往復し、圧迫して拍動を確かめるのだ。


「上の方と下の方、どっちがいい?」


「いやあ……どっちでも構いませんが……違いが分からないもんで」


 シャーロットはカプリと首の上に食らいついた。エディはビリビリと強い刺激が脊髄を走っていくのを感じた。


「こっちが上」


 そして今度はほとんど肩のあたりに噛み付く。今度は優しくて甘い刺激が頭を真っ白にしていく。


「こっちが下。ぜんぜん違うでしょ?」


 シャーロットは口を離してトントンと指で叩く。


「どっちが好み?」


 エディはとんでもなく恥ずかしいことを暴かれているような気がした。


「……まあ、下、かな」


「初心者はみなそうらしいわ。でも少しずつ上も好きになるとか。――しばらくは下で慣らしていきましょう。そのあとは……首だけじゃないから。太い動脈があるとこならどこでもいいの」


 鋭い爪がエディの体の各所をなぞっていく。


「楽しみね。マイナーな場所もあるけれど……それぞれ味わいが違うそうだから」


「楽しみじゃないです……」


 エディの声は聞こえていないのか、それとも聞こえていて無視しているのか。


「どんどん良くなっていくのよ。お互いにね。傀儡にしなくたって虜になる例はたくさんあるんだから」


「なら俺は例外だな」


「どうかしら。やってみないと」


 エディは首にかかる焼けるように熱い息を感じた。それからあの甘い匂いも。


「いただき――」


 寸前。


 ボーーーと汽笛のような角笛が響いた。チャイムだ。二限目が終了した。


 シャーロットは大きく舌打ちし、名残惜しそうにエディの首を何度もさする。寸前で救われたエディはほっと息を吐き出した。


「行こうぜ、負け犬の面を拝みにな」


「正直に言えばどうでもいいのだけど……あああ吸いたい……吸いたい……吸いたい。こんなのってないわ」


「諦めな。行かないと遅れるぜ」


「吸いたい吸いたい吸いたい……」


 シャーロットはかじりついた。


 緩んでいた体に牙は深く突き刺さり、エディは崩れ落ちるように椅子に体重を預ける。脳みその核の部分に気持ちよさを流し込まれているのだ。


 十数秒間、シャーロットは激しく貪った。


 そして何食わぬ顔で口を離す。


「ごちそうさま」


「……お粗末様でした……じゃねえよクソ」


「さあ立って。急がないと遅れるわ」


 吸血が短いのもあって回復も早い。エディはチャイムの余韻が消えないうちに立ち上がることができた。


 同時に感じる。少しずつ体を作り変えられているのだ。快感は強く、回復は早く。エディは心の中で強く言い聞かせた。虜になってはいけないと。相手は魔族だぞと。

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