第8話 モテる男のつらさってやつ

 向かい合う両雄。雌雄を決するときが来たのかもしれない。


 教室は緊張感に包まれていく。エディはこっそり隅に移動し、騒ぐ生徒たちの群れの中に紛れた。


「どう殺されるのがお望み? 一番望まない方法で殺してあげる」


「一番楽な方法で。もちろんシャーロット嬢楽な方法ですよ。たとえそれでも私は殺せないでしょうから」


「ストーップ!」


 アリシアはシャーロットに縋り付いた。


「シャーロットさん、落ち着いて! ね! 先生の言う事を聞いて! さもなきゃ教頭先生を呼びますよ!」


 教頭先生。


 エディにはそれが誰なのかさっぱり分からなかったが、シャーロットもダグラスも気まずそうな顔になり、シャーロットは渋々といった様子で腰を下ろす。


「ふう…… 助かります教頭先生……」


 それはアリシアの呟きだ。


 ダグラスはおもむろに教室の面々を見渡し、口を開いた。


「つまらない顔が並んでいる。このクラスを希望したことを早々に後悔しているよ。まあ長居するつもりはないが」


 この金髪吸血鬼、シャーロットに対しては慇懃無礼な態度だが、他のクラスメイトには取り繕うつもりもないらしい。


 右から左へと舐めまわすように視線を動かし、エディを通り過ぎた。エディは胸をなでおろし――ダグラスの視線が急なUターンをして戻ってくる。


「おい、お前」


 突き刺さるような視線はエディを向いていた。エディはきょろきょろして抵抗を試みる。


「お前だ、一本角のお前」


「……うっす」


 生徒たちがエディの周りから離れていく。


「貴様、いったい何者だ?」


「タネも仕掛けもない鬼人族だが」


「鬼人族がそのような甘い匂いを発するとは聞いたことがない」


「母親がお菓子の国の生まれなんだ。おばあちゃんはわたあめ」


 ダグラスは整った顔を歪める。


「ふざけているのか? それともただ世間知らずなのか? わたあめとは鬼人族の方言だろう、魔都では通じない。どういう意味だ」


「丁寧にどうも。でも俺にも分からないんだ」


「鬼人族はバカばかりだな」


 エディは肩をすくめた。


「ごめんよ同胞たち。俺のせいで一族の評判が右肩下がりだ」


 ダグラスはエディに近づいていく。エディは後ずさった。ピンク色の瞳――シャーロットのそれよりずっと淡い赤色――が輝く。エディは唾を飲みこんだ。まずい。


「待ちなさい」


 シャーロットが再び立ち上がっている。


「彼は私のものよ。手を出さないこと」


「ほう。それは面白い。私もこの男に興味があります」


 クラスがどよめきに包まれる。「三角関係ってやつだ」「どれが男でどれが女だ」「たぶん鬼人が女だ」。


 エディはふるふると首を横に振った。アイコンタクトで救助要請を送るが、シャーロットはエディを睨みつけた。なぜ?


「それでも手を出すというなら覚悟をしなさい。お前と私のどちらかは次の日の出を見れないでしょう」

 

「かしこまりました、シャーロットお嬢様。しかしあなた様はいずれ私のものになります。となれば、その男も私のものということに。でしょう?」


 クラスがまたどよめく。「これが世に聞く3Pってやつ?」「大人だねえ」「鬼人族くんも大変だな」。


 エディはふるふると首を横に振った。


 シャーロットはどしんと机を殴りつける。


「お前とのお喋りはもう飽きた」


「それは申し訳ない。楽しんでいたのはこちらだけのようで」


 ダグラスはシャーロットから一番遠い席まで歩いていき、どっかりと腰を下ろした。しかし目ではエディを食い入るように追っている。


「まったく嬉しくない……」


 エディは好奇の目線を浴びながら倒れた机を戻し、シャーロットの隣に座りなおす。


 アリシアが手を叩いた。


「一件落着! 仲直りも済みました! 雨降って地固まる、ですね! 最後のクラスメイトが揃ったところで説明に戻りましょう。ダグラスくん、聞き逃した部分はお友達に確認してください。さて――」


 しかし一度ざわめき始めた教室は静かにはならず、アリシアはあらん限りの大声で注意事項を叫んでいる。


 エディはシャーロットに顔を寄せて囁いた。


「あのイケメンは何者?」


 シャーロットは苦々し気な顔でぼやく。


「ストーカーよ。妖精族との混血のくせに血統主義者で、純血の私と結婚したら自分の価値が上がると思い込んでるの。私の絶対殺すリストでもかなりの上位に食い込んでいるわ」


「わお。そんなリストが? 恐ろしいね」


「あなたも載ってるから」


「わあ」


 エディは逃げ出したい気分になった。入学初日にして二人目の吸血鬼の登場である。一人目には完全にバレていて、二人目にもバレそう。ダグラスが吸血する前に言いふらしたとすれば潜入任務は失敗だ。


「彼に血を吸ってもらうってのはどうだろう。そうすれば彼も俺に隷属するわけだ」


 シャーロットはナイフのような鋭い目つきになった。エディの背中を冷たい汗が伝っていく。


「私、獲物の血は一滴も譲りたくないの」


「…………」


「それにアイツは混血よ。完璧な隷属の契約はできない。つまり、あなたの呪いを返す・・・・・血を吸っても完璧な傀儡にはならない」


「ならどうすんだ。アイツ結構強いぞ。シャーロットよりは……まあ……ちょっと弱い、かな?」


「黙りなさい。そしてどうにかしなさい。いや――どうにかするわよ」


「どうにかって?」


「どうにかはどうにかよ」


 エディは天を仰いで手を合わせ、信じてもいない神に祈ってみる。しかし応答はない。アーメン。


(落ち着け、俺。この程度の状況何度だって切り抜けてきた。たったの吸血鬼二匹だ。それから蜘蛛女が一匹とダークエルフが一人と……獣人はたぶん百を超えるな。種族不明は二百だ。ええい、とにかくなんとかなる。ポジティブに行こう)


 エディが難しい顔でうんうん考え込んでいると、唐突に背後に誰かが立った。


 そして髪が掴まれ――エディの顔面は机に叩きつけられる。尖った角が木板を突き破り木っ端みじんにして、エディは地面に倒れ伏せた。


 アリシアが悲鳴を上げる。


「リリムスくん!!」


 凶行に及んだのはもちろん――ダグラス。興味深そうにエディを観察している。


 エディはゆっくりと起き上がる。額がぱっくりと割れていて真紅の血液が流れ出ていた。


 シャーロットがほとんど飛び掛かるようにエディを庇い、流れ出る血を舐めとり、額に口づけする。それで傷は塞がって元通りになった。


 ダグラスは鼻からたっぷりと空気を吸い込んでいく。


「この匂い……うーむ……」


「ぶっ殺すッ!!」


 シャーロットの瞳が赤の鮮やかな純色に染まった。爪がみるみる伸びていき刃渡り1メートル以上の凶器に変わる。


「私のモノだって言ったでしょう!!」


「鬼人族……確かに出会うのは初めてだが……これほど濃厚な血を持つのであればもっと噂になっているはず。特殊個体なのか?」


「コロスコロスッ!!」


 猛り狂うシャーロット。


「おいおい」


 エディは正気を失う寸前のシャーロットを――抱きしめた。そして首筋を晒し吸血鬼の口元に近づける。


 まるで磁石が惹かれ合うみたいに、あるいはおしゃぶりを求める赤子みたいに、シャーロットはその肌色に吸い付いた。


「このくらいなんてことないから」


 牙は食い込んだ。しかし血はほとんど吸われない。シャーロットはエディの限界を正確に把握し、衝動を抑え込んでいた。血走った眼と荒い呼吸が次第に正常に戻っていく。


 ダグラスは反対に目を血走らせ、呼吸を荒げていく。


「妬けるねえ。どちらともにだ……」


「私のモノだの、特殊個体だの、好き勝手いいやがって。俺は血液タンクじゃない。モテる男はつらいぜ」


 エディは深いため息をついた。二人の吸血鬼に挟まれたこの状況、いかがすべきだろうか。エディの十数年の人生経験からは導き出せそうになかった。

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