第7話 ここが地獄かな?

 吸血のあとしばしの休息をとり、エディとシャーロットは教室へ歩き出した。


 廃墟と化している校舎の横を通ってさらに奥へ。右手には広大な森があって、怪獣大戦争みたいな鳴き声が響いている。エディは聞こえなかったことにした。


 すでに一限開始の時間に迫っているのだろう、周囲に生徒の姿は見えない。


 しかし何もいないわけではない。槍を持っているインプたちがエディの頭上をぐるぐる旋回している。シャーロットがひと睨みすると離れていくが、またすぐ戻ってきてキイキイ騒いでいる。


 地底へと続く巨大な大穴もあった。ダンジョンだ。入り口にはオークと思わしき男性が道を塞いでいて、エディを射殺さんばかりに睨みつけくる。


「クソガキ! 早速遅刻か!? アァン? ここは授業以外立ち入り禁止だ。どっか行けカス、クソガキ」


 なぜそこまで罵倒されるのか理解できなかったが、シャーロットは無視したのでエディも無視する。通り過ぎたあとで尋ねた。


「今のは?」


「ダンジョンの管理人。普段陽の光を浴びてないから気が短いの。日光は大事ね」


「吸血鬼からそんな台詞を聞くとはな。ていうか、学校内にダンジョン?」


「……ないと困るでしょう。あなたの故郷の学校にはダンジョンがないわけ?」


 エディは黙って頷いた。驚くのはもうやめにしよう。


 敷地はかなり広いようで、二人は十数分も歩くことになった。


 そして教室へとたどり着く。


「ここよ」


 その建物はふつうの平屋の民家くらいの大きさだった。校舎とはいえないが、決してみすぼらしくはない。白い屋根はきれいに磨かれていて外装も落ち着きがある。居心地は良さそうだ。


「いいじゃないか。思ってたよりまともだぞ。俺は針山地獄で勉強することも覚悟してたんだが」


「C組なことに感謝するのね。一番マシなクラスよ。他のところじゃこうはいかないわ」


 シャーロットはガラガラと扉を開けた。


 そこはごく一般的な教室であった。黒板があり、机が並んでいて、後ろにはロッカーもある。


 ただ、ふつうの教室と異なる点もたくさんあった。


 まず天井の隅に逆さに張り付いた蜘蛛女アラクネが糸で芸術的な建築を作り始めている。


 教室の真ん中では机がどけられて、子ドラゴンとミニゴーレムが熾烈な取っ組み合いを繰り広げていた。それを囲み囃し立てているのは獣人やら悪魔やらの男子生徒たち。


 最前列に座り背筋を伸ばしている生徒もいれば、寝袋を持ち込んで眠っている生徒もいる。


 エディは眉間をよく揉んだ。


 教室の扉が開いたにも関わらず、そのことに気づいているのはたった一人。


 新品のスーツを着込んだ紫色の肌の女――ダークエルフだ。彼女はエディとシャーロットを見て柔らかな笑顔を作った。


「その瞳は――シャーロット・スカーレットブラッド・ラヴシーカーさん。その角は――リリムス・オーガくん。……ですよね?」


 二人は揃って頷く。


「良かった! 徹夜して名前を覚えてきた甲斐がありました! 少々遅刻ですが、初日ですし、迷ったのでしょう。もちろんお咎めはありませんよ」


「ありがとうございます」


 エディは頭を下げる。鬼人族はみな上下関係に厳しいので、そのように振る舞うことを心がけていくつもりだった。


 ダークエルフは驚いたような顔になる。


「リリムスくん、私にそんな態度をとる生徒はこのクラスで唯一あなただけです! 泣いちゃいそう……」


 シャーロットが腕を組んでダークエルフを見る。いや、見るというより値踏みする、だろうか。


「お名前を伺ってもよろしいかしら? 私だけ名前を知られているというのは少し不快なのだけれど」


「ごめんなさい。私はアリシア・ドラウパープルです。アリシア先生とか、シア先生って呼んでね。シアちゃんも親しみがあっていいかも」


「アリシア・ドラウパープル。記憶するに値する名前であるといいのだけれど」


 女ダークエルフ――アリシアの笑顔は強張った。明らかに怯えている。


「よ、よろしくね……」


「よろしくお願いします、アリシア先生」


「リリムスくん……私こそよろしく……あなたが希望の星です……未熟な先生だけど頑張ります……さあ入って。好きな席に座ってください!」


 シャーロットが壁際の席を選び、エディはその隣に座る。


 アリシアが声を張り上げた。


「みなさん! 九割の生徒がそろったのでホームルームを始めちゃいます! ――巣作りは止めなくてもいいですよ。耳だけ傾けてくれれば結構。――子ドラゴンはさすがにしまってください。え? ゲージがない? 誰が連れてきたんですか? あ、飛んでっちゃった。まあいいでしょう。――さあ起きて! お・き・て!」


 アリシアは教室を端から端まで駆けまわる。


 シャーロットが言った。


「もっと遅れてくるべきだったわね」


 エディはなんというべきか分からずとりあえず黙っておく。


 アリシアの奔走により教室はようやく静かになり、その頃には彼女のスーツは少し破れてしまっていた。


「みなさんが静かになるまで十五分かかりました――このセリフ言ってみたかったんですよね――私の名前はアリシア・ドラウパープル。一年間みなさんの担任になります。専攻は医学。医学といっても壊す系の医学なんですが、治す系の医学も高校レベルなら教えられますよ。みなさんの授業を受け持つかどうかはまだ分かりません。でもホームルームは毎日あるので、一年間よろしくお願いします!」


 パチパチとまばらな拍手が起こる。


 エディはしばらくは目立つことを避けるつもりなので、まわりに合わせて拍手をしなかった。それを見たアリシアが今にも泣きそうな顔になったので慌てて手を叩く。


「ありがとう、みなさん、優しい拍手をありがとうございます。少しずつ仲良くなっていきましょう。さて、みんなの自己紹介は――やってる暇がありません! 残念ですね! でももう友だちになった人もいるようで感激です!」


 アリシアは時計をちらりと見て言葉を続ける。


「大事なことをいくつか説明します。よーく聞いておいてくださいね。まず制服! まだ着てない人も多いですが、売店で買ってください。規定の制服じゃ体に合わないという人は、白い何かを身に着けてください。マントとか、マフラーとか、帽子とか、なるべく目立つもので。白がC組のカラーですからね」


 エディは教室を見渡した。制服を着ているのはシャーロット含めた数人だ。


「それから校則! 売店で買える生徒手帳に1877個の校則が記載されているので目を通しておくこと。――私は言いましたよ、読まなくて困るのはみなさんですからね。でも、どうしても困ったことがあればこのアリシア先生に相談してね。なんと私は完璧に暗記しています」


 アリシアは懐から古びた手帳を取り出して掲げてみせた。彼女もここの卒業生であるらしい。


「それからAクラスとBクラスについて! 彼らは衝突ばかりして、内側でも泥沼な政治をやってます。関わり合いになってはいけません! 話しかけられてもムシ! 誘われてもついて行ってはダメ! 合言葉はノー!」


 エディは頭を掻いた。先生には悪いが、それこそがエディの目的であるのだ。忠告には逆らうことになるだろう。


「彼らは各族長や官僚の子どもです。目をつけられると怖いですよー。このCクラスは政治的背景が薄い生徒が集められています。権力争いとは無縁の青春を楽しんでほしいですね。戦争もいったんお休みになりましたし、卒業まで再開しないことを祈ります。――まだまだありますよ、それからそれから――」

 

 ガラガラと扉が開いた。


 全員の注目が入り口に集まる。


「ごきげんよう、余りものクラスのみな――おっと失礼――Cクラスのみなさん」


 白い制服を完璧に着こなした男だ。つまりC組の生徒ということになる。金色の髪の毛、淡いピンク色の瞳、唇の端からはみ出た牙。絵画のように整った顔立ち。


 エディは頭を抱えた。


 アリシアがむすっと唇をひん曲げる。


「余りものクラスなんて言い方よくありません。中立派閥のクラスですよ。ダグラスくん、ですね?」


 嫌味な笑顔を崩さないイケメン――ダグラスはアリシアを存在しないかのように無視した。


 そしてシャーロットの前まで進み出る。


「お久しぶりです、シャーロット嬢。このダグラス、あなたのためにこのようなゴミだめにやって参りました」


「消えなさい」


 シャーロットは冷たく言い放った。


「不快。遅刻なんてクズのすることよ」


 エディは思わず「え?」と呟いた。


 アリシアが二人の間に割って入る。


「ストップ! 喧嘩はしないの!」


 ダグラスはアリシアをやはり見ることもせず――片手で突き飛ばした。


「キャアッ!」


 アリシアは椅子をなぎ倒しながら吹き飛んで、エディの机にぶつかった。


 巻き込まれたエディはアリシアの下敷きになり、アリシアは「大丈夫!?」と叫んですぐにエディを介抱する。


 エディはどうってことなかったが、なんとなく痛がるような素振りをしてみせた。


 ダグラスはそれでもまったく注意を払うことなくシャーロットを見つめる。シャーロットは目を逸らさず正面から睨み返した。


「殺されたいの?」


「シャーロット嬢には無理ですよ。落ちこぼれたあなたにはね。再教育の必要があるでしょう――そうだ、私があなたをペットにしてあげましょうか?」


 シャーロットは弾かれたように立ち上がった。


「死ね下郎がッ!」


 クラスから歓声があがった。「吸血鬼対吸血鬼だ!」「激レア対戦カードだぜ!」と囃し立てる。


 エディは目立たないように屈んだままでいる。そして思った。どうにか関わらずに済みますように、と。

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