第6話 血を吸われると? 人は死ぬ

「…………血を吸わせてほしいの」


 シャーロットは恥ずかしそうに俯いている。エディは表情を凍り付かせた。愛の告白みたいな調子で殺しの脅迫をされた、まさにそれである。


「いやあ、それは…… 昨日の夜は貧血で倒れそうだったんだ。というか倒れた。たんこぶが六つもできた。しかも同じ場所にだぜ。まだ少しフラフラするし……」


「昨日は初めてだったからちょっと吸い過ぎただけ。これからはちゃんと加減するわ。あなたの血液量は私が管理してあげる。鉄分補給の薬は家にいっぱいあるし、ペットの管理法はちゃんと学んでるの」


 エディは眉を寄せた。


「まず俺はペットじゃない…… それに昨日お前は倒れたじゃないか。またあんなことになっても困るし……」


「大丈夫よ。次からはあんなことにはならない。……あなたにとってもいい話のはずよ。私が血を吸う限り隷属の呪いは消えないのだから」


「うーん……」


 エディは唸った。


 一方的な搾取の関係は長続きしない。アメとムチを使い分けるのが賢いやり方だろう、という考えは頭の中にある。シャーロットが少しでも協力的になるのはいいことだ。しかし血を吸わせれば吸血鬼は力を増す。悩みどころであった。


 シャーロットは恋する乙女のようにもじもじと体を揺らす。


「お願い……」


 その豹変ぶりがおかしくてエディはまたくすりと笑った。この少女をからかうのも楽しいだろう。吸い過ぎるようであれば命令して引き剥がせばよい。エディは口を開く。


「……分かった。ただし、可愛くお願いできたらいいぞ。自分が支配される側だということを自覚するんだ。メイドっぽくな」


「……ヘンタイね。このヘンタイ。性癖を私に押し付けないでほしいのだけど」


「べつに俺は吸わせなくたって構わないんだぜ」


 エディは片方の口の端を吊り上げた。シャーロットは長い髪の毛先をくるくるといじる。


「分かった。言えばいいんでしょ」


 スカートの端を両手でつまみ、軽く持ち上げて、綺麗に一礼。媚びるような笑顔をつくって言う。


「お願いします、ご主人様。私めに血を恵んでくださいまし」


 少女の美貌にエディは一瞬だけ呆け、そしてうんうんと頷いた。


「いいじゃないか。普段からそのくらいの態度でいてくれたら俺はもっと優しくなれる気がする」


 シャーロットは羞恥と屈辱で頬を染めている。


「……いつか後悔させてやるから」


 そして狩りをするヒョウみたいな動きでエディを壁に追いつめた。


「さあ、さっそく頂くわ」


「おい、まじか? 今日はさすがにちょっと…… 一週間はあけてくれないか? 初日から保健室に運ばれるなんて、俺は目立っちゃいけないんだ」


「はやく力を抜きなさい。ちゃんと調節するから。一流の吸血鬼は吸い過ぎるなんてことしないの」


 シャーロットはとろけそうな顔でエディの首筋を撫でる。鋭い爪が薄い肌の下の血管を正確になぞり、エディはぞくりと震えた。


 体が近寄る。


 またあの匂いだ。吸血鬼の女が人間の男を捕食するときのみに発する、蠱惑的な匂い。このまま干からびたっていいとさえ思ってしまいそうになる。エディは目を瞑って必死にこらえた。


「私に身を委ねなさい」


「…………」


「息を吸って、吐くの。――そう、いいわ。もう一度。体を楽にして。――そうよ、上手ね」


 シャーロットの柔らかな肢体がエディに密着する。


「いくわよ――」


 牙が突き立った。


 瞬間、エディは電流にも似た快感に襲われる。昨夜よりも丁寧な吸血であった。同意のもとで行われる行為はずっと甘い。


 それはシャーロットにも同様なようで、首にかかる吐息が燃えるように熱い。シャーロットは非常にゆっくりと、味わうように吸血した。


「おい、そろそろ……」


 やめてくれ。エディはそう言おうとしたが、シャーロットの手によって口が塞がれる。


 間近にある真紅の瞳がギラギラと濡れたように光った。ひときわ激しく血が吸われていく。エディが呻く。それは苦痛か、快感か、本人にさえ分からない。


 シャーロットはひとすすり毎にビクビク体を痙攣させながら、しかし昨夜のように倒れることは無かった。牙はしっかりと食い込んで離れそうにない。


「うう」


 エディはシャーロットの背中を叩いてギブアップを伝える。しかしやめてくれなかった。むしろ苛烈さを増す。


 いよいよエディの視界が白くなり、気持ちよさでわけがわからなくなりそうになったとき。


 シャーロットは牙を抜いた。最後の一滴をチュッと舐めとると小さな二つの穴は魔法のように塞がった。いや、魔法そのものなのだろう。


「ごちそうさま」


「ふうー…… やりすぎだ……」


「あら、ちゃんと生きてるじゃない。気も失ってない。肌が白くなってお化粧の必要もなくなった。いったいどんな文句があるっていうのかしら」


「まじで限界ぎりぎりじゃないか…… これ以上一滴でも吸われたら干物になるぜ……」


 エディは目頭を押さえる。シャーロットは腕を組んだ。


「いえ、私の見立てじゃまだまだいけるわ。でも私は優しいから、ここで止めてあげたの。感謝してくれる?」


「殺しかけてくれてどうもありがとう」


「どういたしまして。感謝の品の一つや二つ用意してる? ない? なら血でいいわよ」


 シャーロットの瞳はまだギラついていて、その視線はエディの首筋を捉えている。


「少し休んだら教室に行きましょう。私の完璧な時間配分によれば、あなたが歩けるくらいに回復するまであと十五分。そしたら――たった五分遅刻するだけで済む」


「遅刻してんじゃねえか」


「五分の遅刻は遅刻ではない。私は誰も待ちたくないの。待たせるくらいがちょうどいいわ」


 エディは十五分の休息ではまったく足りないと思ったが、とにかく腰を下ろした。シャーロットはその前で立ったままでいる。


「あなた、名前はなんだったかしら?」


「リリムス・オーガだ」


「それは偽名でしょう」


「そうだが?」


 シャーロットは鼻を鳴らした。


「生意気な鬼人族・・ね」


「生意気な吸血鬼だ。シャーロット・スカーレットブラッド・ラヴシーカーさん? ずいぶん長ったらしい名前だぜ。ト・ド・ーくらいでちょうどいいだろ」


「シャーロットと呼びなさい。よろしくね、血液タンクくん」


「ふざけんじゃねえ」


 このようにして奇妙な協力関係が成立した。支配し支配され、吸血され吸血する。このスタートが幸先の良いものなのか悪いものなのか、エディにはまったく判断できなかった。

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