第5話 ワン! ニャン!
「とりあえずこっちにこい」
エディはシャーロットの手を引いて、壊れた校舎の裏側まで連れていく。シャーロットは「私に命令しないで!」と喚いたが、黙れと命じると口を真一文字に結び睨みつけるだけになった。
校舎の裏。周囲に誰もいないことを確認し、エディは口を開く。
「もうしゃべっていいぞ。大声は出すなよ」
「ふん!」
シャーロットは仁王立ちになった。
「人族がこんな魔国のど真ん中で何をしようとしているのかしら? それもこの名門サンブリング学園で。生徒? 入学する? バカも休み休み言いなさい。ここは誰でもウェルカムな青空学級とは違う。名家中の名家だけが入れる世界一の名門なの」
シャーロットはそこまで一息に喋った。エディはしかめっ面になった。
「次から大仰な言い回しとか、分かりずらい皮肉とかはやめるんだ。それから短く要点をまとめてくれ」
勢いよく口を開いて――パクパクとさせて――ひと言だけ。
「分かったわ」
「それでいい」
「最悪の気分。死ねばいいのに」
「直接的に言えばいいってもんじゃないぞ」
「だったら何を話せば満足するのかしら? ああ、あなた、今日もツノがとってもすてきで――」
シャーロットは口を閉ざした。命令にひっかかったらしい。とんでもない皮肉でも言おうとしたのだろう。
プルプル震えているシャーロットを前にして、エディはあごに手を当てて考え込んだ。
(勇者だとバレた相手に鉢合わせたときは終わったと思ったが、考えようによっては悪くない。この女は俺の命令に違反することはできないんだ。ガチガチに縛り付けて反抗を封じれば、事情を知る協力者を得たということになる。――いいぞ、ポジティブにいこう、俺)
「よし。改めて命令する。俺が人だと誰にも言ってはいけない。ほのめかすのも禁止。どんな回りくどい手段であっても、俺の身バレにつながりそうな行為はすべて禁止だ。学園内では常に俺の目に届く場所にいること。それから、秘密を守るために協力すること」
「………………」
「理解したらワンと言え」
「……ワン」
シャーロットはすごく嫌そうな顔をしていた。
「よし。もう普通に話していいぞ」
「お願いがあるのだけれど、犬の真似をさせるのだけはやめてくれる? 私、犬って生き物が大嫌いなの。あいつら足が八本もあるくせに、しょっちゅう足がもつれて転ぶのよ。見ていられないわ」
「八本足? どうも俺のイメージする犬とは違うようだな」
「はあ? どういう意味?」
「……いや、いい。気にしないでくれ」
エディはすべてを理解しようとすることを諦めた。ここはまさに異世界。理解する前に寿命がつきるだろう。
「それであなたはどんな御用でノスト・サンブルグまでやってきたってわけ? 何に協力しろって言うのかしら? もしかして献血? 殊勝な心掛けね」
「違う」
エディはしばし悩んだ。そして打ち明けると決めた。協力してもらうのであれば知ってもらわねばいけない。
「俺の目標は魔王の娘だ」
「――ッ! あなたッ!」
シャーロットが今にも飛び掛かりそうな形相になった。
「私に協力しろと!? たった一人のご息女なのよ!」
「落ち着け。殺すわけじゃない。ただ情報を集めるだけだ。穏健派なのか、武闘派なのか。融和的なのか、好戦的なのか。人族への印象はどうなのか。それだけだ」
「ふうん…… 本当に?」
「ああ。神に誓うよ。……神に誓う文化はこっちにないか。とにかく、嘘だったら地獄に落ちたっていい。傷つけるつもりは一切ない」
エディは心の中で「今のところはな」と呟いた。調査した結果暗殺を命じられれば当然従うことになる。神なんてくそくらえだ。
「ならいいわ。少し情報を集めるくらいだったら見逃してあげましょう。ただし私は私の信条に反するようなことは絶対にしない。あなたがしようとしていたら必ず止める。――たとえ呪いで心臓が破裂したとしてもね」
エディは少し呆れながら頷いた。この女の手綱を握ることの難しさを感じ取ったのだ。
「俺は常識知らずだ。人族だからな。鬼人族に擬態しているから多少のやらかしは見過ごされるだろうが、とんでもないミスをやらかすかもしれない。そのときは頼むぞ、シャーロット」
「軽々しく名前をよばないで」
「気に障ったなら謝るよ、シャル」
「やめて。私を愛称で呼んでいいのは私だけよ」
そう言ってシャーロットは首を捻った。
「いえ、私は私のことを
「はいはい」
「はいは一回で充分です。人と話すときの基本的なマナーがなっていないのね。これだから人族は」
エディは「おい」と指を突き付けた。
「それも禁止。誰か聞いていたらどうするつもりだ?」
「どうするつもりだって言われましても……私はまったく困りませんので」
「……お前のせいで俺の
「絶対嫌なんですけど。そんな永遠の命はお断りよ」
「なら協力しろ」
「はいはい。あなたの
「はいは一回では? ……まあいい。それでいいよ」
「注文の多い男ね」
「……さて、それじゃあ教室まで案内してくれないか? いやあガイドがいて助かったぜ。道が分かんなくてさ。新入生に不親切すぎるよな、この学校」
「待ちなさい」
歩き出そうとするエディをシャーロットが引き止めた。
「なんだ?」
「この契約は……不公平よ。あなたばかりが得をして、私には何にももたらされない」
エディはぱちくりとまばたきをした。
「不公平? 当然だろ。お前は俺に隷属してるんだ。それにこういう契約は吸血鬼お得意のやり方じゃないか。自分だけは被害者にならないとでも思ってるのか?」
「私は人族を傀儡にしたことはありません。あなたが初めてよ」
「俺を傀儡にしようとしたのが問題なんだ。この隷属の呪いはただの
シャーロットはキッと目を鋭くした。
「そうね。あなたの言うことは正しい。だったらこういうのはどうかしら。この私が、あなたに、お願いするの」
言葉とは裏腹に、苦いものを口いっぱいに詰め込まれたみたいな顔だった。エディは思わずくすりと笑う。
「寛大なご主人様が可哀想なシャルちゃんのお願いを聞いてあげましょう。まあ聞くだけで終わるかもしれんが」
「いやな男ね……でも……その……血を吸わせてほしいの」
シャーロットは恥ずかしそうに俯いている。エディは表情を凍り付かせた。愛の告白みたいな調子で殺しの脅迫をされた、まさにそれである。
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