第3話 吸血鬼ってキライ
馬車は夜を徹して進んだ。エディは魔族図鑑や正しい魔族の殺し方なんて書籍を読み漁りながら穏やかな時間を過ごした。残念なことに、魔族の学校でうまくやっていく方法についての書物は見つけることができなかった。
途中の街で数度停車し、エディは研究者に体をいじくりまわされた。死ぬかと思えるほどの手術だったが勇者の強靭な肉体のおかげで生き延びることができたのだ。パワハラ上司への恨み言を研究者たちに言付けておいた。
馬車を使えるのは国境線までだったので、そのあとは徒歩で長い道のりを進んだ。魔族兵士の監視網をくぐりぬけて魔族国内部に入り、一つ目の街にたどり着いた。
もちろん変装をしている。
擬態。
それが勇者としてのエディの祝福だ。
今回の潜入任務では能力を常時発動することになる。擬態先として機関が選んだのは――鬼人族。
鬼人族の容姿は頭に生えた角を除いて人族とそう変わりなく、これであれば常時発動しても負担は少ない。
エディは頭から生えた大きな角の重さを感じつつ、魔族連合の街を歩いている。
そこはオークの街だった。彼らはエディの隣で「この鬼人はどんな食い方をするのがうまいだろうか」と話し合うので、居心地が悪くて仕方がなかった。
おばあちゃんオークが寄ってきて、あなたにはソースなんて必要ないわねと声を掛けてくれた。それが褒め言葉であるらしいと気付くのにエディは半日を要した。
エディは迷いながらもなんとか交通案内所を訪れた。
「首都までの馬車はあるか」
「バシャ?」
オークが言った。
「バシャってなんだ? バカって言いたいのか? ケンカ売ってんのか?」
「違う。首都まで行きたいんだ。手段はなんでもいい」
「なら歩け。急ぐなら……ヒキガエル特急かトロール便があるぞ。おすすめはヒキガエルだ。腹の中はあったかいからな。それに食事付きだぜ、お腹の中の赤ちゃんの気分になれる」
「……トロール便で頼む」
そしてエディは巨大トロールがひく巨大荷車にのった。
尻が腫れあがるほど痛く、トロールは四六時中大声で歌うためまともに眠れなかったが、とにかくかなりの速度で首都に近づいた。
そうして七日ほどが経ち、いよいよ寝不足で幻覚が見え始めたころ。同乗していた三つ目の男が前を指差して言った。
「見えてきたぞ。ノスト・サンブルグだ」
グオオだとかギャアギャアだとメキャメキャだとか、十人十色の歓声が上がる。
エディは目を凝らした。霧が晴れて、街が見えてくる。
天まで届くような壮大な城があった。魔王城だ。星空を背景に大小さまざまな塔が立ち並び、そのいずれもが
城下にも奇妙な建物がたくさんあって、一番前にあるのは口を開けたドラゴンを模した巨大門である。
いや、模型ではない。ドラゴンのはく製だ。エサの気分を味わいながら鋭い牙の下を通り抜ける。
馬車は首都の中央まで連れて行ってくれて、乗客はどんどん降りていき、エディは最後の一人だった。
そして大通りの真ん中でおろされる。
異世界のようだった。見慣れぬ怪人や化け物がひしめき合い、何倍もの背丈がある巨人がエディをまたいで歩き去っていく。
「踏み潰された場合は戦死扱いにしてくれるよな……?」
エディはほうと息を吐いた。いつまでも面食らってはいられないと気合を入れなおす。
「馬車で二十、歩きで三十七、トロール便で八だから……もう明日には入学だ。はやいとこ宿を探さないと」
人の流れに流されながら大通りを歩く。
なかなか見つからず誰かに尋ねるべきかと考えていると。
「ねえ、あなた」
腕を掴まれた。エディは身を固くして振り返る。
そこにいたのは美しい少女だった。腰まで届く輝くような銀髪、血のように真っ赤な瞳、そして唇からはみ出ている鋭い牙。
少女は冷たく命令するように言った。
「ついてきなさい」
「悪い。ナンパは受け付けてないんだ。こう見えて結婚していて、驚くなよ、実は孫もいる。じゃあな」
「――ちょっとッ!?」
振り払って逃げ出す。人ごみの中に紛れ込み、間を縫うようにして駆け抜ける。
「入学前に死ぬなんて笑えない」
数分も全力で足を動かし、振り切ったと確信したところでエディは細い路地に入った。人目はない。壁に背中を預けて息を整える。
「はあ、はあ、はあ」
肩で大きく息をするエディ。その目前に一匹のコウモリが舞い降りた。
「……うそだろ」
コウモリは黒い霧になり、黒い霧は少女になった。少女は不機嫌そうに腕を組んでエディを睨みつけている。エディは後ずさりして頭を壁にぶつけた。
「ハロー、久しぶり、と言いたいところだけど、たぶん人違いだぜ。あんたみたいな女の子は一目見たら忘れないんだ。ハハハ」
「下手なお世辞はやめなさい、失礼よ。私を誰だと思っているの?」
「……夜の街で男漁りをする不良少女」
少女は足を踏み鳴らした。
「違う」
「なら家出して行き場がない不良少女」
「ふざけてるの? それとも真正のバカ? 私は不良少女ではない。親との関係が上手くいっていないことは認めましょう、しかし悪いのはお父様お母様よ」
「ザ・未成年の主張だな。俺もその意見に両手を挙げて賛成です。いいお友達になれそう」
少女はフンと鼻を鳴らした。
「一本角の鬼人がこの私と友人になるなんておこがましいにもほどがあるわ。本当に分かってないのかしら? この瞳を見て理解できないの?」
真紅の瞳がギラギラと輝いた。エディはうーんと首を捻る。
「――鬼人族は世間知らずってのは正しいようね。これだから田舎者は困るのよ。教えてあげましょう。紅の瞳は純血の証よ」
「ご高説どうも。それでなんの純血なんだ? 説教おばさんと説教おじさんの純血か?」
少女は目の端を吊り上げる。
「吸血鬼、よ。吸血鬼って言葉はご存じかしら? 夜の支配者、闇を渡る者、スカーレットの直系。魔都じゃ生まれてどんな間抜けでも私たちを恐れるのだけれど。――ああ、間抜けって言葉はご存じかしら? 分からないなら鏡を見るといいわ」
「存じ上げておりますとも。あんたはちょっと間抜けな吸血鬼だ」
「私は間抜けではありません。……本当に分かっていないの?」
少女は可哀想なものを見る目でエディを見た。エディは首を振る。分かってないわけないだろう。
「はいはい、吸血鬼ね。にんにくが苦手なんだろ? 気持ちはわかるぜ。俺も野菜は嫌いだ」
「純血の吸血鬼はにんにくなんかを恐れないわ。まあ、できれば口にするのは避けたいけれど、我慢すれば食べれます」
「えらいね~、我慢できてえらいぞ~」
「……よほど殺されたいようね。――でも殺しはしません」
少女は怒りをにじませながらも微笑む。
「あなたは私が保護してあげる。どう?」
「保護? どういう意味だ?」
「私の屋敷に連れていくって意味よ、小鬼さん。お名前は?」
「リリムスだ。リリムス・オーガ」
それがエディの偽名だった。一番ありふれた名前である。オーガは鬼人族共通の姓だ。
「そう、リリムス。あなた――最高よ。自覚はあるのかしら? とても鬼人族とは思えないほどに……」
少女はうっとりとした顔で頬をピンク色に染めた。
「こんなにいい匂いがするのは初めてなの。香り高くて、甘い果実みたいで、でも男らしさもある。もうクセになりそう」
少女はエディの胸元に鼻を近づけた。そしてすんすんと空気を吸い込む。
「ああ……やばいかも……我慢できそうにない……あなたの血なら飲んでもいいわ」
エディは眉を寄せた。
「ええ!? 飲んでくださるんですか? そんな、私めの血なんて恐れ多い! 代わりにドブでも啜ってはいかが? ずっとふさわしいと思いますよ」
「生意気ね。でもいいわ、反抗的なくらいが調教しがいがあるもの」
少女はエディの頭に手を伸ばし、黒い角に触れる。
「……本物ね。ふーん。飾りかもしれないと思ったのだけれど」
エディは焦りの表情を隠して怒った顔を作る。
「鬼の角に軽々しく触れるんじゃねえ。首の骨をへし折るぞ」
「伴侶にしか許さないのでしょう? なら触れる権利があるわ。私は今日からあなたの生涯の主人になるの」
「ならねえよ。勝手に決めんじゃねえ」
少女は目をとろんとさせて、エディを熱っぽく見つめる。
「お母様お父様がなぜペットを飼っているのか今理解できたわ。これほど本能を刺激されるなんて……それから独占欲も。この血は一滴だって譲りたくない」
「おい、離れろ」
しかしエディの拒絶は届いていないようであった。少女は迫る。
女性らしい香りが鼻から染み込んできてエディは脱力した。これが吸血鬼の捕食なのだと悟る。
「私の名前はシャーロット。あなたのご主人様の名前だから、忘れないように」
吸血鬼の美少女――シャーロットは無防備になったエディの首筋を撫でた。宝物をいつくしむように優しく。
「うーん、やっぱり……」
シャーロットは嬉しそうに目を細めた。
「あなた、人間でしょう。鬼人じゃありえないわ」
エディは顔をしかめる。少し早すぎるだろうと行き場のない怒りさえ感じていた。
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