第2話 上司の葬式が待ちきれない

 数週間経ったある日。

 夕方、温かな空気がそろそろ冷たくなり始める頃合いである。


 街角のカフェのテラス席で、エディは優雅なひと時を過ごしていた。


 黒い髪と鋭い目つきが特徴で、少年から青年へと変わりかけるような年齢だ。コーヒーを飲みながら新聞を読み、ひさしぶりの休日を楽しんでいる。


 一見どこにでもいるような容姿で街の風景に溶け込んでいるが――彼は勇者であり、それも諜報部員である。


「休戦、か……」


 新聞の一面二面三面すべてで魔族と休戦協定が結ばれたことを取り上げていた。見出しにはデカデカと「20年ぶり137度目の休戦! 次はいつ始まるか!?」と書かれている。


「そろそろ魔族も滅びてほしいもんだぜ」


 エディは砂糖をたくさん入れたコーヒーをすすった。そして「苦いな」とぼやく。さらにミルクを注ぎ込むとコーヒーはクリーム色に変わった。


 頭上を数匹の鳩が飛んでいる。


「ポポポポポーッ」


 けたたましい鳴き声。


 エディが空を見上げると、一匹のまっしろな鳩が錐揉み回転しながら急降下してくる。そいつは食べかけのベーグルに頭から突っ込んだ。


「ポポッ」


 エディは顔をしかめる。


「今日は休みなんだが……」


 鳩はテーブルの上にどでんと座り込み我が物顔で羽を広げた。


「諜報部員に休みなどない」


 渋くてダンディな声だ。とても鳩とは思えない。


 この鳩はエディの上司であり諜報部隊の長官であるMr.D――の操る伝書鳩の一匹である。


「おっさん……頼むよ……今くらいしか休む暇ないだろ?」


「俺も働いてるんだからお前も働け。諜報部員は戦の間こそ戦わなければ。一般兵は戦場で命をかけ、我々は日々の中で寿命を削る。そういう分担だろう」


「そのわりに俺は何度も戦場で殺されかけてるんだが……」


「それはお前が未熟だからだ」


「ならアンタがやれや」


 鳩はやれやれと首を振る。


「俺が現場に出ては誰も指揮ができない。人員不足は深刻だ……だがいつかはお前にこの椅子を譲る予定だからな」


「悪いな。俺には夢がある。穏やかな余生、可愛い嫁さん、湖のほとりの一軒家。それが幸せってもんだろ」


「諜報部員に穏やかな余生なんて存在しない。引退したいなら頭蓋骨の中身はぜんぶ置いていけ」


「ブラックすぎる……」


 鳩はベーグルをつついた。


 エディは嫌そうな表情ながらも鳩の分を切り分ければ、嬉しそうに羽をばたつかせた。


「気がきくじゃないか」


「だって鳩がかわいそうだろ。コワモテのおじさんに体を乗っ取られるなんて、俺だったらかんしゃくを起こして糞尿をまきちらすぜ。街が汚いのはあんたのせいかもな」


「そんなわけない。俺という魂の器になれてポップルワンダーも喜んでいるはずだ」


 エディは首を傾げた。


「ポップルワンダー……? まさか鳩の名前じゃないよな?」


 鳩はうやうやしくお辞儀をした。


「いかにも。ハイセンスな名前だろう。三週間は悩んだんだ」


「お菓子みたいな名前だな。それも罰ゲームにつかわれるようなタイプの」


「馬鹿にしてるのか? だとしたら今すぐ傘を買ってきたほうがいい。三週間は白いフンの爆撃が止まないからな」


 鳩はポポポと鳴くと、エディの頭上に百を超える鳥たちが集まってきて「特別ボーナスだ」とハト文字を作った。


 エディは慌てて首を横に振った。話を逸らすべくコーヒーを飲む。鳩は目をぱちりとした。


「それでなんの用だ? もしかして休暇延長のお知らせ?」


「喜ばしいことに……お前の次の任務が決まった」


「喜ばしくないが」


 鳩は器用にも咳払いをして、エディを見つめて言う。


「次の任務では、魔族の学園に潜入してもらう」


 エディはスプーンを取り落とした。カチャリと音が鳴る。


「馬鹿げた話が聞こえた気がするんだが……なんだって? もう一回言ってくれ。俺の目を見て、胸に手を当てて、神に祈りながら。さあどうぞ」


「魔族の学園に潜入しろ。有力者の跡継ぎどもが集まる名門サンブリング学園にな。――魔王の娘も在籍しているし、同級生は次世代の族長たちだ。お前ならその価値が分かるだろ?」


「行きたくない…… バレたら血も吸われて肉も食われて骨もかじられて魂までしゃぶられつくすぜ」


 しかしパワハラ上司に哀れな部下の不満は聞こえないらしい。都合のいい耳である。


「準備はすべてこちらが整える。身分も、装備もな。最先端のなかの最先端技術――喜べ、まだ実験段階にあるやつをかっぱらってきてやったぞ」


「俺を実験台にすんじゃねえ」


「いくら擬態の・・・勇者といえども、この任務には必要だ。役に立つはず」


「爆発する前に役立ってくれればいいが。前はひどい目にあった。絶対安全・・・・って触れ込みだから使ってやったのに……こんどは実験段階? 勝手に動き出して俺を絞め殺そうとでもするのか?」


「うるさいやつめ。そんなんじゃ時代の流れに取り残されるぞ」


 エディはわずらわしそうにベーグルを詰め込んだ。もぐもぐ口を動かしながら言う。


「諜報部員になんてなるんじゃなかったぜ」


「ストリートで死にかけてたお前を拾ってやっただろう。立派に育ったじゃないか、死ぬよりずっとましだ」


アンタに・・・・殴られて瀕死の俺を、誘拐した・・・・の間違いだろ?」


「腰にも届かないような背丈のくせに俺からカツアゲしようとしたからだ」


 エディはわざとらしく息を吐き出す。言い争いでは勝てたためしがない。いつも丸め込まれて死地に放り込まれるのがお決まりだった。


 鳩は背負っていた筒の蓋を外し、紙の束をテーブルに落とす。


「目を通しておけ。向こうでの身分と経歴が練られてある。好きに改変しろ」


「はいはい」


 エディは紙の束を手に取った。そこには新しい名前やら生まれやらが詳細に記されている。ざっと目を通していくが、なかなか上手い設定だ。


「心優しい善良な青年ってのが俺にぴったりだ。――それで具体的には何をすればいい? 魔王にでもなってこようか?」


「それも面白いな」


 鳩はゆっくり頷いて、話す。


「いや、魔王は無理だが……魔王の娘をたぶらかして来い。それで子を産ませろ。その子を二代後の魔王に据えるんだ。そして外戚として国を裏から操り、崩壊させる。やがて魔族連合は人族の統治下に組み込まれ世界平和の達成だ。もっとも現実的な和睦への道かもな」


「どこが現実的なんだよ。二十年も向こうにいたら血が腐っちまう。それに殺人鬼どもの親玉と結婚なんて……想像しただけでアソコが限界まで小さくなってきた」


「もともと小さいだろ」


「………………」


「黙るなよ。ほんとに小さいのか? 気にしてたならすまんな。そんな顔をするんじゃない、大事なのは大きさじゃなくて愛情だ。それにまだ成長期だろう」


 とにかく、とハトははねを組む。エディは心の中で「小さくないよな?」と自問自答していた。


「結婚云々は冗談だが、第一目標は魔王の娘だ。思想趣味趣向から弱点まですべて丸裸にしてこい――物理的に丸裸にしたっていい――融和的ならそれでよし。好戦的なら、まあそのときの情勢次第だ。第二目標は他の権力者の子ども。石の裏のダンゴムシくらいにうじゃうじゃしてる」


 エディは苦々しそうに顔の真ん中にしわを寄せた。


「魔王の娘、将軍官僚の子どもたちか…… 金持ちなうえに魔族なんて、俺の嫌いなもの特盛って感じだな。クソどものクソ大将の子とくればクソに決まってる」


「具体的な指示は追って伝える。伝言役を定期的に送るから無視しないように」


「無視なんてするわけないだろ。メイレイ、ゼッタイ。サカライマセン」


「……分かってるならいいが」


 Mr.Dはいつになく優しい声音で言った。


「お前はまだまだ若い。年齢もそうだが、精神的にもな。本当はもっとまともな学校に行かせてやりたいが…………まあ魔族の学園で十分か」


 エディは少しくすぐったくなって乱暴に言い返す。


「ふざけんな。学校なんてどんなところでも退屈だろ。任務じゃなきゃ行かねえよ」


「そんなことはない。俺も若い頃に王子の護衛として半年だけ通ったんだが――いやこの話はやめておこう。威厳ある上司でいたいからな」


「ぜひ聞かせてくれ。あんたの葬式で思い出として語らせてほしい。爆笑間違いなしだぜ」


「断る。それに残念だが俺の葬式なんて行われない。裏の人間ってのはそういうものだ」


「なおさらトップになんてなりたくないな」


「さあもう行け。詳細はその紙に書いてある。移動中に読み込んで、頭の中に叩き込んだら燃やすんだ」


「了解」


「魔族内地への潜入スパイなんて人族初だから、基本は現場判断に任せる。命を大事にな」


「命を大事に? それは違うな。死ぬのが最善なら派手に死んでやるよ。仲間が大勢死んでるのに俺だけ生きていこうなんて虫のいい話はねえ」


「……それを含めて任せる。元気でやれよ、エディ」


 久しぶりに名で呼ばれ、エディは頭を掻いた。その本名を知っているのはいまや世界でほんの数人だ。この上官と孤児仲間くらい。コードネームとか擬態先の人名で呼ばれるのに慣れすぎたせいで、本名だと小っ恥ずかしくなるのだ。


「じゃあなおっさん。俺が戻るまではくたばんなよ。戻ってから死ね。そしたら葬式はしてやれるぜ」


「ハハハ」


 Mr.Dは珍しく声に出して笑った。


「なら頼むよ」


 上司はパタパタと飛び去る。


 それと入れ替わるように、黒くて大きな馬車がカフェの前で停止した。


 エディには黒塗りの車体が棺桶のように見えて、もっと明るい色にしてくれればいいのにと思った。今回は特に無茶な任務だ。だがそれが必要だと上が判断したのであれば、実行しなければいけない。


「やるしかないな。休戦なんておかまいなし、だ」


 コーヒーを飲み干し、充分な金を置いて――というかポケットの中の硬貨全て。向こうでは使えないのだから――立ち上がる。


 馬車に乗り込めば、挨拶もなしに走り出した。


 夕日を背中側から受けて、赤く染まる街並みを眺める。向かうは東。魔の領域だ。

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