「やあ、雪ちゃん。早かったね」

「…………」


 泣きはらした赤い目で彼女は待っていた。いつもと変わらない出で立ちだが、その顔に穏やかさはない。

 今日の目的は何時ものようにただ孤独を慰みあうものではない。話し会いだ。僕が彼女に送った内容に対して、話し合う機会が欲しいという懇願に僕が付き合う形になる。


「じゃあ、行こっか」


 僕の言葉に以外にも彼女は黙って従った。もう少し何か口にすると思っていた。彼女にメッセージを送ってからは、毎日のように彼女から連絡が届いた。初めは電話だったけど、僕が出ないのに気付いてからは、彼女はずっと僕に謝罪文を送り続けていた。

 ごめんなさい。何が悪かったのか、どうしてそんなことを言うのか、気に障った事があるなら謝るから、ごめんなさい。

 そんな内容が毎日届くので、僕はもう一度だけ彼女と会う事にした。


 いつものようにカラオケボックスの席に着いた。ただ今回違うのは隣り合う様に座らなかった。僕らは向かい合う形で座っている。


「それで話って何かな?」

「…………」

「黙っていたら意味ないよ。時間だって限られてる。君がただ黙って座り続けていれば、僕が折れると思っているなら間違いだよ。利用時間が過ぎたら僕は出ていく。君ともう会うこともない」

「……何でですか」


 僕の言葉に彼女はようやく口を開いた。歯を食いしばり、血走った目で僕を睨むように見ている。彼女が今僕に向けている感情は憎悪だろうか、怒りだろか、それとも……


「何でって言うのは会わない理由でいいのかな? なら簡単だ。僕がもう君に会いたくないから」

「っ! どうしてですか! 私が何かしましたか!? 智之さんの気に障るようなことを何か言いましたか!?」

「……何も。雪ちゃんは何も悪くないよ。僕の求めに真摯に向き合ってくれたし、僕が出した条件も守ってくれた。……正直付き合ってくれて感謝もしてる。だからもう会わない方がいい」

「だからなんでそうなるんですか! どうしてもう会わないなんて……私の過去ですか? 私が他の男に弄ばれたからですか? それとも父親が犯罪者だからですか? ……裏切られた程度ですぐに手を出す女だからですか?」

「……違うよ。とりあえず、座りなよ」


 僕は興奮状態の彼女を宥めて座らせる。頼んでいた飲み物を一口飲んでから、彼女の目を見て僕は口を開いた。


「雪ちゃんはさ、自分のやってることが普通じゃないのには気づいてる?」

「……どういう意味ですか。……私が普通じゃないなんて私が一番よく分かってます」

「……そういう意味じゃなくてね。ネット上の知らない年上の男と、毎週学校にも行かず面会していることだよ」


 彼女は僕の言葉に目を丸くすると、より一層分からないと言いたげな顔をした。彼女の反応はある意味当然だ。そもそもこの会合は僕が望んで開いたものだ。


「……智之さんは私に学校に行って欲しいんですか?」

「ま、そうだね。そういう気持ちがないと言ったら嘘になる」

「……なら、学校に行けば智之さんは会ってくれるんですか?」


 僕は彼女の言葉に首を振る。正直これ以上はあまり言いたくない。僕が彼女にそんな言葉をかける資格はないからだ。僕がもう彼女に会いたくない理由は、もっと傲慢で、我儘で、自分勝手な理由だった。


「じゃあなんだって言うんですか! いい加減誤魔化さずにちゃんと理由を教えてください!」

「……君が僕に依存しそうだからだよ」


 僕は理由を述べた。彼女に会わないと会いたくないと思った理由を。……僕は他人に依存されることは別に嫌いではない。僕だって人間だ。いくら人間関係が嫌いだからといって誰かに必要とされて嫌な気分にはならない。

 それでも、彼女に金子 雪に依存されることは僕の心が咎めた。


「……そんなことは」

「無いなんて言わせないよ。証拠や根拠なんていうのは君が僕とここまで話そうとしたことで十分だろう」

「っ……」


 彼女は何か言葉を発しようとして下唇を噛んだ。言葉が出て来なかったのだろう。例え何か反論がでたとしても、僕はそれをもう会わない理由に繋げられる。そういう準備をしてきた。


「雪ちゃん。……いや小雪さん。最初に言っておくけれど、僕は別に君を嫌いになったわけじゃない。むしろ好意すら持っている。……君に向けられる感情だって本音を言えば嫌なものじゃない。だからこそ僕達はもう会わない方がいい」

「……さっきから智之さんの言葉はよく分かりません。嫌じゃないなら……なんで会わないなんてことになるんですか。……私のことを好きならどうして会わないなんて酷いことが言えるんですか。私の気持ちに気付いていて……私のことを思っているなら……」


 彼女の言葉はどんどん弱々しくなっていく。それでも彼女は下を向いて、拳を握りしめてはいたけれど、決して泣こうとはしなかった。……僕が何を一番嫌うのか、彼女はよく知っている。

 ……僕は自分が恥ずかしくなった。こんな状況でも僕のことを思う彼女に対して、僕はまだ自分を守ってばかりだ。……少し拒絶をしすぎた。僕は彼女に詳しい理由を話す事にした。


「……僕という人間はね。救いようがない人間なんだ」


 僕という人間はとても恵まれた環境に生まれた。家族、両親や祖父母、兄弟や従弟、それら全てが僕には身に余る存在だった。真面目で勤勉、優しく誰にも分け隔てない。家も裕福で、近所でも評判の出来た家系。それが僕が生まれた家だった。

 幼い頃からしたいことは何でもやらせて貰えた、欲しいものはなんでも買って貰えた。かといって甘すぎず、厳しさもある、誰しもが憧れる理想の環境。

 そんな中に生まれて僕はある欠陥を抱えていた。人を支配したくなる。そういう欠陥だった。

 僕は間違える人間が嫌いだ。正しさ、生きる上での正解。どうすることが正しいのか、どうあることが正しいのか。こんなことは社会で生きていれば誰しも簡単に分かること、僕はそう考えて生きていた。

 だからそれが分からない人間、出来ない人間というのがたまらなく嫌いで、見ているだけで心がざわついて仕方がなかった。


 人間関係が嫌いなのもこれが起因した。他人に合わせて、それが正道から外れることが嫌だった。理想的に、理知的に、正しい解を選んだ先に辿り着くものに、人と関わることでそれが遠のく気がした。周りの正しくない人間に合わせることで、自分が正しさから逸れていく。我慢ならなかった。


 だから僕は他人を自分に合わせるために支配することにした。他人の思考も、行動も、僕が思う、僕に都合がいいように演じて誘導する。支配する。僕中心の世界が回るように、そうあるように、過ごしてきた。

 そうしてその正しさを貫いたせいで、僕の母は死ぬことになった。


 切欠は些細なことだった。外国人の移住者が僕の住む地域に引っ越してきた。日本で住むと決めたにも関わらず、対して日本語も話せない彼らは、よく他の住人と揉め事を起こしていた。当時の僕はそんな彼らが日に日に問題を起こすので、その内存在が目障りになってきた。だから消す事にした。

 消すと言っても殺そうと思った訳じゃなかった。地域の人と仲が良かった僕はただ有った事実を元に、彼等に対する反感を増大させた。次第にまともに暮らせなくなるように、そういう風に誘導した。

 狙い通りに彼等に対する町の反感は次第に大きくなって、彼等の行動も少し静まったように思えた。居なくなるのも時間の問題。そう思った矢先に町の人と彼等の仲裁に入る人物が現れたそれが母だった。


 母は賢く優しく美しい人だった。困っている人が見過ごせず、争いを嫌う。僕もそんな母をよく知っていたので、彼女が仲裁に入るのは予想の範囲内だった。だからその行動も制御出来ると考えていた。むしろ母の仲裁で穏便に暮らすなら、彼等の移住を手伝ってやるつもりでいた。

 しかし、僕の予想に反して彼等と住民の争いは活発化し、それに巻き込まれ母は亡くなった。当時は大きな事件になったのを覚えている。それから先はあまり覚えていないが、事件の原因になった人々は皆事故死で亡くなった。


 僕は母が亡くなってから、正しさについて疑問を持ち、考える様になった。だって僕の考えによるならば、母は間違っていたから死んだことになる。それだけは認められなかった。だから間違っているのは僕の性分。他人を支配し自分の考えを押し付けようとする僕の行動そのもの。それが間違っている。僕はそう結論付け、社会と関わることを避けるようになった。生きている限り、僕はこれを辞める事が出来ない。それを僕は知っていた。


 都合がいい少女を探していたのもそれが理由だ。その子を支配し僕の都合よく誘導すれば、多少なりとも僕の気分を紛らわせる。条件を付けてそれを守ればそう酷いことにもならないだろうと、僕はそう考えた。言うなれば、自分のための欲の解消。やっていることは他の人間と変わらない。行為そのものが間違っていると自覚しても、僕はこれを辞めることが出来なかった。それこそこれ以上の何かがない限り僕は辞める事が出来ないだろう。


 ……だからこそ僕と小雪さんはもう会わない方がいい。これ以上彼女を僕の手で汚す前に、これ以上僕の支配欲が彼女に向いてしまう前に。……もうすでに手遅れかもしれないけれど。


「……だからもう会わないんですか。……私が智之さんに洗脳されているから」

「……僕が君にしてることは僕にも制御が効かないことなんだ。君が僕と居ることを心地いいと感じ、僕と会っている事がなんら不自然でないと感じ、僕と会う事で過去がどうでもいいと感じる。……それはどう考えたって異常なことだよ。たった一人の人間に全てを委ねていいと感じるなんていうのは健全なことじゃない」


 勿論過去を乗り越えようとする心意気は、彼女の生来の強さも影響しているだろう。金子 雪自身が強い人間であることに疑いはない。現にいつもの僕なら彼女が自然と離れるように、そういう風に誘導する。でもそれが出来なかった。

 彼女が過去に語っていた想いや一途さは本物だ。……僕はやはり人を完全に操ることは出来ない。彼女にはこうしてちゃんと話して納得して貰うしかない。そうしなければ彼女は下手をしたら僕の傀儡になってしまう。


「……智之さんは、私が貴方に抱いてる気持ちは全て偽物だって言うんですか」

「……そうだね。うん、偽物とそう言っていいものだよ」

「……私、智之さんに会ってから人生そんなに悪いことばかりじゃないなって、いい人もいるんだって……そう思ってたんです。……それも偽物ですか」

「……ああ、偽物だよ。僕といると全てが上手くいっている気がしてくる。僕がしているのはそういう技術だ」

「……私、別に智之さんに操れていても構いません。私は智之さんの側に居たいです。……むしろ私をそんな風にした責任を感じるなら側に置いてください。……そう言っても駄目ですか」

「……残念ながら、駄目だね。……僕はもうこれ以上僕の欲望で被害者を出したくない。……こんなことをやっておいて勝手な言い分だけれどね」

「……分かりました」


 彼女は目を閉じて、そう小さく呟いた。……どうやら納得してくれたようだ。僕は胸をなでおろす。しかし、突然彼女は、小雪さんは僕に指を一本付き出した。


「一か月、私にください」

「……話を聞いてたかな。小雪さんは僕とはもう会わない方がいいって言ったんだけど」

「はい、分かってます。だから次に会うのが最後です。私はこの一か月で智之さんへの依存状態から脱却します。だからそれが出来たら、私ともう一度だけ会ってください」

「……会う理由が見つからないな。それが出来たならそれで終わりな気がするけど」

「このままじゃ私ずっと振られぱなしです」


 僕は思わず、彼女の言葉に呆気に取られた。彼女が気にしていることそれが理解できなかった。


「ええと……それはそんなに気にすることなの?」

「気にします。男子に何度も振られるなんていうのは女子の沽券に関わるんです。……ここで引いたら私はただ智之さんに振られただけの女です。だから……」


 彼女は立ち上がると僕に向かって指をさした。


「一か月で智之さんを脱却し、一か月後の再会で私は智之さんを告白させてみせます! そして貴方を振るんです!」


 小雪さんは僕にそう宣言する。またもや呆気に取られる僕に対して、小雪さんは僕に近づいて「いいですか!」と聞いてきた。僕はそのまま頷くと彼女は部屋を出て行った。

 なんというか勢いで頷いてしまったもののとんでもない事になった。僕は携帯を取り出して、アプリで先週連絡をくれた新しい女の子に会えないことを伝えた。

 ……少しだけ、彼女が何をしてくるのか、それを楽しみにしている僕が居た。

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