承
「はい! それじゃあどうぞ! 智之さん!」
「……雪ちゃんも大分慣れたね」
「はい!」
僕の言葉に彼女は初日では考えられないような笑顔で応える。僕はそんな彼女にいつものように抱き着いた。前よりしっかりした身体、ほんのり甘い香り、そして彼女の小さな手が僕の背中に回された。
小雪さんとのやり取りは週に一回の頻度で続いた。忙しいなら日を合わせると言った僕に対して、彼女の返事は何時でもいいというものだった。だから僕達は人目の少ない火曜日の正午に毎週会う様になった。たまにただカラオケをしたり、一度だけずっと制服で来る彼女に対して服も買ってあげた。ただ彼女は頑なにしかるべき時に着ますと、制服で来続けた。
明らかに学生である彼女が、どうしてニート生活を送る僕に日を合わせられるのか。疑問がない訳ではなかったが、それを聞くことはしなかった。
そういう条件をつけたのは僕だし、何より当初と違い、僕よりも彼女の方がこの会合を楽しみにしているようだった。それに水を差すのは気が引けた。
なんなら彼女から会う頻度を増やそうという提案も受けた。でも僕は小説を書く時間をあまり削るわけにも行かないので、それを断った。
彼女はそれに対して少し落ち込んでいたので、代わりに僕らはお互いを名前で呼び合う様になった。会うたびに彼女は化粧が上手くなり健やかで綺麗になっていった。
僕はそんな彼女に対して嫌な予感が拭えなかった。
「雪ちゃんはどうして僕に会おうと思ったの?」
会ってからそぞろに会話をしていたある日、僕は遂にそんな言葉を漏らしてしまった。言うべきでない言葉で、それはルール違反だった。
すぐに僕は「ごめん、気にしないで」と言ったけれど、彼女はそんな僕を取り繕って、自分の過去を話始めた。
「私、先生に犯されてたんです」
彼女の最初の言葉はそうだった。
金子 雪は僕と違って恵まれていない環境で育った。母の育ちはそれなりに良い家だったそうだが、厳しい教育で人生に退屈していた彼女の母親は、ある刺激的な男に恋をした。
両親の反対を押し切って駆け落ち同然で彼女は結婚し、そうして雪さんを授かった。最初の頃は幸せだったそうだ。貧しくはあったが両親ともに雪さんに優しかった。夢見がちだが賢い母と、多少野蛮ではあるが家族には優しい父親だったそうだ。
そんな幸せが崩れたのは雪さんの父が犯罪で捕まってからだという。暴力事件で雪さんの父親はその容疑者として捕まった。彼女の父は最後まで冤罪を訴えていたそうだが、審議のほどは有罪。世間の目も雪さんの父親を知るものほど厳しかったそうだ。
雪さんは学校で虐められるようになった。これまでも目を付けられなかったことがない訳ではなかったが、父親居た時はそういう事は起きなかった。だが、捕まってからは遠慮の必要がなくなったのか、それはもう壮絶ないじめを受けたという。
そんな雪さんに転機が訪れたのが中学になってから、彼女を庇ってくれる男の子が現れたそうだ。真面目で優しく優等生だったその男の子は、どうにも雪さんに恋をしていたらしい。そんな彼に対して雪さんが好意を抱くのもまた自然なことだった。
二人はひっそりと付き合う様になった。男の子のおかげでいじめは沈静化を迎えていたが、それはいじめの主犯格である子がその男の子に恋をしていたのが原因だった。もし付き合っているのがバレたらそれ以上の事が起こる可能性が高かった。
ひそやかに、だが深く二人は愛し合ったそうだ。そして上手いことにその関係性を二人は隠し通したらしい。徹底的に学校では接触を避けて、会うのも休日、しかも都外でだ。それが平穏に続いて、とても幸せだった二人は同時に物足りなさも感じ始めた。だから当初は避けていた接触を二人学校でも行い始めたそうだ。
雪さん曰くそれは愚かな行為だった。それが雪さんに悲劇を齎した。
ある日関係性がバレた。それもいじめの主犯格の女の子だった。その子は怒り狂い、いじめを再開した。それも以前より壮絶なものを男の子に対して。
雪さんも勿論いじめられてはいたそうだが、男に対するそれはとても激しいものだった。下手をすれば命を落としかねない。そんな代物だった。
雪さんは何度も頭を下げ、彼と別れること、だからいじめを自分だけにするようにと訴えた。しかし女の子はそれを受け入れようとはしなかった。
このままでは彼が死んでしまう。そう考えた雪さんは頼る人間を探した。この壮絶ないじめの状況を打開できる人物を。そうして雪さんは先生を頼った。小学校の頃に一度頼って、何も解決しなかった経験があった彼女だが、それでも今回は何か違うかもしれないと、大人を頼った。
雪さんの望みは叶った代償として彼女の身体を差し出すことで。先生の力で目に見える範囲の特に深刻ないじめは収まった。雪さんの彼も比較的平穏が戻り、そして週に何度も雪さんは先生に呼び出されたそうだ。
何度も、何度も、何度も、一年間。それは続いた。
「……もしかしたらこれが一生、卒業しても続くんじゃないかって当時は思ってました。でも彼を守れるならそれでいいって私は思いました。……そう思って頑張ってたんですけど、終わりは突然来ました」
先生との関係が他の生徒に見つかったのだ。見つけたのは雪さんの彼氏で、そのまま先生は捕まったという。雪さんが中学三年生、冬のときだったという。
雪さんはその後、彼にも拒絶された。
「それも堪えたんですけど、一番きたのはお母さんの言葉でしたね。なんでお父さんみたいな問題起こすの! って凄いヒステリックに喚いて、いやいやそもそもこうなるまで放置したのは誰だって話ですよ。というか私、お母さんには何度もSOS出してたつもりなんですよね。気付かれなければ意味ないってのはそれはそうなんですけど、どうして娘のサインに気付いてくれないんですかね。……お父さんならこういう時すぐに気づいてくれたんですけど……ま、それを言ったらこうなったのも全部お父さんのせいなんですけどね!」
彼女は笑いながら、努めて明るくそう言った。なんでもないことのように、既に振り切った過去であるかのように。……でもその声は震えていた。
「……それでなんで智之さんと会ったかでしたっけ。……なんていうかアプリを入れたのはほんの偶然なんです。間違って広告押しちゃって、気づいたらインストールされてて、せっかくだし一度使ってみようと思って……色々見てみたら私みたいな子も多かったし、同族意識でだらだら続けちゃったみたいな」
つい仲間を探したくなった。現実で全ての人間に拒絶された彼女は、ネットの世界で仲間を追い求める様になった。そしてそういう生活を続けていたら、彼女は高校に通えなくなっていたそうだ。
「だって人って怖いじゃないですか。私を犯してた先生だって見た目だけなら普通で、結構いい大学出てたそうですから。それなのに私はあんな目に遭って……だったら安全なところに居た方がいいじゃないですか」
「……それならどうして僕と会う気になったの」
「……ああ、すみません。そう言えばそういう話でしたね。……私話すのあんまり上手くないから。……智之さんに会おうと思ったのは全部どうでも良くなったから、行くとこまで行こうと思ったんです。すみません」
全部どうでも良くなった。どうしてそうなったのか。雪さん曰くずっと部屋で籠っていたある日、母親に家を追い出されたそうだ。少しは外に出ろと、日の光を浴びずやつれていた雪さんに、おそらく心配からそうされた。
そう言われて雪さんは初め死んでやろうと思ったそうだ。母なりの気遣いだったのだろうが、それを逆手に取って死んでやろうと、後悔をさせてやろうと考えた。
だがそうして死に場所を求めている時に、ある人達を見つけた。雪さんを拒絶した彼とその横に並ぶ雪さんをいじめていた女の子。
雪さんの中で何かのタガが外れたそうだ。
「私背後から二人を襲いました。襲ったんですけど、私その時凄く痩せてたから力があまり出なくて……上手くいきませんでした。上手くいってたら今頃少年院でしたね。……ほんと血は争えないっていうか、私は結局お父さんの子供なんです。……それからはお母さんも家から出ろとは言いませんでしたし、かといってそれも何だかムカついたので、誰でもいいから私を壊してくれる人を探したんです。……それが智之さんです」
僕を選んだ理由は綺麗ぶってそうだったから。会うと言うのに条件に性的交渉避ける。なんていう善人面の皮を剥がしたかったそうだ。普通に、善人のふりをする人間が醜く変貌する様を見て、人間なんてこんなものと思いたかったそうだ。
そうして自分という人間が落ちるとこまで落ちる様をただ実感したかったそうだ。
「だっていうのに……智之さん本当に何もしないんですもん。ネットだとそんな人間存在しないって、あれ嘘だったんですかね。最初は私が痩せてるからダメなんだと思って、頑張って体重も戻したんですけど、それもどうにも違いますし……私結構可愛い自信がありましたから凹みましたよ。もしかしたら智之さんが不能なのかとも思いましたけど、ハグしてる感じそれも違いましたからねー」
「……悪かったね。一応、僕も男だから」
「別にいいです! 今では智之さんがそういう人で良かったって思ってますし、過去のことも何だか振り切れそうですし!」
彼女はそう言って笑った。それほど壮絶な過去を振り切れそうと言う彼女は、間違いなく強い人間だ。一歩ずつでも確実に前に向かって歩こうとする。それが出来る人間のどれほど少ないことか。
僕は、もしこれが僕の関わらないところでの話なら、きっと手放しで褒めたことだろう。でも、おそらく、彼女がそうやって前に進もうとする原因になったのは僕だった。
僕は雪さんの話を聞いたあと、今までと同じように会話をして別れた。
家に帰ってアプリを開く。新しく、女の子から会いませんかというメッセージが届いていた。過去に僕の配信を見てくれていた子だった。僕はそれに返事をしてから、雪さんに「会うのを辞めよう」そう送った。
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