Book 2-III : 幕開け

行く手には舗装された道が続き、その両側には平屋の商店が軒を連ねている。


通行人はまばらで、彼らの殆どは元いた世界の人々と区別がつかなかった。中には、目が3つ以上ある者や手足が2対でない者などもいたが、ここではそれも個性のうちなのだろう。レオは個性的な容姿を持つ人々(「人」という呼称が適切なのかは不明だが)とすれ違っても、驚いたり凝視したりしないよう気をつけた。


しばらく進むと、大きなガラス張りの建物があった。レオ達がそこを通り過ぎようとすると、中から縁の細い眼鏡を掛けた背の高い男性が出てきた。ヴァルバリアを歩いていても違和感の全くない、極めて人間的な容姿だった。ただ、夏場だというのに黒い詰襟のシャツを着ていて暑苦しそうだった。


「さぁ、そこの皆さん! どうぞご覧ください!」


舞台上で挨拶する興行師のような大袈裟な言い方で4人を呼び止めた。


「あ〜オレら今から長旅なんで」


「長旅ですか! そぉれは楽しみですねぇ! 旅行に役立つ便利グッズも豊富に取り揃えておりますよぉ! さぁさぁお入りください!」


テノール歌手の如くよく通る高音で捲し立てる彼に促されるまま、4人は入店した。


店内には、大小様々な石版が並べられていた。その一つ一つに、矢で射抜かれたリンゴが彫られていた。彼はその中でひときわ薄いものを手にとって誇らしそうに見せつけてきた。


「ごぉ覧ください、この薄さ! うっすいでしょう! こちらはね、この秋の目玉商品なんです!」


彼は石工なのだろうか。確かにこれ程までに薄く滑らかに石を削るには相当な技術が必要だろう。しかし、この石版で一体何をするというのか。ただの飾りなのだろうか。リンゴ以外には何の装飾もなければ、文字も彫られていない。ヴァルバリアの針金細工のように、独特な歴史・文化的背景の産物なのだろうか。


レオは困惑しながらも社交辞令として感心している風を装った。


「おぉっと失礼! 申し遅れました。私、ウィルと申します。皆さんはどちらからお出でですか?」


「いやオレら一応人間界在住なんすけど〜ちょっとこっちに召喚されちゃって〜」


レオが返答に困っていると、アンブローズが小声で答えた。


「召喚! ロマンがありますねぇ! っということは皆さん、この石版ご覧になるの、初めてでしょ? 簡単にご説明しますねぇ」


ウィルは葉書大のその石版の、リンゴが付いている側とは反対の面を袖で擦った。


ヴォーン。


何の楽器の音色かは判別できないが、壮大な何かの幕開けを感じさせる音が発せられた。それと同時に、擦られた面が青白く光り、『Salve!』の文字が現れた。わずか数秒でそれが消えると、今度は6行×4列に等間隔に並べられた象形文字のようなものが浮かび上がった。


「これは『パスヴェラ』と呼ばれていましてね、んまぁいろんな機能が備わっているんですが、主に遠くにいる人とのコミュニケーションに使われるんです!」


『遠くにいる人』という言葉を聞いて、レオは当然のごとくニムエのことを想った。


ウィルが象形文字のうちの一つを指で軽く叩くと、それを含む全ての文字が消えてなくなり、代わりに0から9のアラビア数字が現れた。彼がそのいくつかを押すと、店の片隅に飾ってあった別のパスヴェラから、木琴をリズミカルに奏でる音が聞こえてきた。


どこからともなく顔を出したもう一人の店員がそれを持ち上げ、それに向かって『ハロー』と言った。なぜ急にイギリスの言葉を使ったのだろうとレオが思うや否や、なんとウィルが持っていたパスヴェラから全く同じ声が『ハロー』と呼びかけたのだ。まるで店員の分身がその中にいるかのように。


「お次はこれ!」


ウィルが何やらパスヴェラの表面を押したりなぞったりすると、今度は地図が一瞬にして描かれた。しかし、その地図はレオ達が今いる商店街のほんの一部だけを表しているらしく、一見あまり実用的には見えなかった。


ところが、ウィルが表面を撫でると、その地図はそれに合わせて上下左右にずれ、今まで枠外にはみ出していた周辺区域に該当する部分まで見えるようになった。


「どうです、なぁかなかの優れモノでしょう? これがあれば魔界中、どぉこにいても迷うことなどないんですっ!」


ウィルは相変わらず張りのある声で、派手な抑揚をつけながら得意げに宣伝し続ける。


「そちらの青い点はなんですか」


レオは地図の上——丁度、店が位置している辺り——にある青い点を指差した。


「これはジーピーエスですよ」


レオはそれがアクロニムだとは気付けず、どこか遠くの国の言葉かと思った。


「おぉっと、こちらもまだ人間界には存在しないのでしたねぇ。いえいえ、人間界が遅れているなんて微塵も思ってはいませんよっ!? 人間界は古き良き社会を残していて実に美しい! 私も何度か行ったことがありますが、実にノスタルジックな気分になりますねぇ!」


こうして潜在顧客の機嫌を取り、購買意欲を掻き立てる手法が魔界でも用いられているのは、実に興味深いと姫奈は感じた。ここの住民達の少なくとも一部は、元いた世界の人々にかなり近い外見的特徴を持つことが分かってきたが、中枢神経の構造とはたらきも類似性が高いのかもしれない。


「いやはやパスヴェラのようなテクノロジーに頼らず生活するなんて我々には到底ムリな話です。まぁ我々は便利な魔術に頼りすぎてある意味、退化し始めているんでしょうねぇ。失礼! 話を戻しましょう。GPSというのは、Geopeople Spotterの略で、このパスヴェラの所有者が陸上にいる時、居場所を示してくれるんです。ほら、今はこの店の上に点があるでしょう? この位置情報は別のパスヴェラの所有者とも共有できて、それでその人があなたを簡単に探すことができるんです! ちなみに海中にいる人を探すにはMerpeople Spotter、通称MPSが必要になりますが、そっちは別売りなので、お気をつけくださいねぇ!」


誰かを簡単に探す。このまな板のように薄い石板が秘めているという『いろんな機能』の中から、ウィルは図らずもレオ達が最も必要としているであろうものを紹介してくれたのだ。


魔界内でのこの道具の普及率はどれくらいなのだろうか? 4歳くらいの女児でも所有しているものなのか?


いずれにせよ、レオは予算全額を注ぎ込んででもこの代物を入手したいと考えたが、そこでようやく致命的な問題に気付いた。


「大変魅力的な商品ではありますが、あいにくここの通貨は持っておりません」


「心配はご無用です! ここでは人間界の通貨も使えるんです! お客様のように召喚された方や、転生される方がたぁっくさんいらっしゃいますからね! 皆さんはどこの国からお出でですか?」


「イオニア海のヴァルバリア王国です」


「っと言、う、こ、と、は……」


ウィルは料金の換算表を取り出した。


「こちらのモデル『パスヴェラ7s』1点で9シェケルになります! でも今なら夏のキャンペーン実施中で、2点お買い上げでわずか12シェケル! 12シェケルですよ、皆さん! たいっへんお買い得でしょう!?」


現在のヴァルバリアでは、平民一人の半月分の生活費の平均が大体15シェケルだ。それより安い価格で魔法の能力が手に入るなんて素晴らしい話だ。購入して損はないだろう。ただ、購入費の出所が血税ということもあり、念の為、聡明な一国民からのお墨付きが欲しいところだ。


「少々失礼します」


レオは姫奈を店の片隅に誘導すると、小声で尋ねた。


「あれを買うのは賢明な判断だと思う?」


「私に、聞いてるの?」


姫奈は目を丸くし、彼女らしくない、文脈を無視した珍妙な返答をした。


「そ、そうだよ」


レオはやや戸惑いながら頷いた。


姫奈は初めて貴人から進言を求められたことで心拍数が急増したが、すぐに冷静な自分を取り戻して状況分析に入った。それには第二の層まで潜れば十分だったので、わずか数秒で回答が作成できた。


「私は、あまり賢明な判断ではないと思う」


「ぼ、僕もまさにそう思っていたんだ」


レオは即座に思考の軌道修正を行なった。


「魔界の事情に精通していない人間にとっては有益さの割に安価に見えるかもしれないけど魔法を使えばいとも簡単に製造できる物かもしれないし妥当な販売価格はこれよりずっと安い可能性もあるでしょ? 陳列されてる商品にも値札は付いてないし。入手すること自体は賢明かもしれないけど他所でもっと低価格で売っていないか確かめてからの方がいいんじゃないかと思って」


姫奈が回答の根拠を明確にした。


確かにそうだ。それに、先ほどの他人を探すための機能だって、探される対象が同じ道具を持っていないと意味がないようだ。ニムエがこれを所有しているかも分からない現状でそのような技術に希望を見出すのはあまりに楽観的すぎる。


他にもいくらでも疑念は湧いてくる。


他にはどんな機能があるのだろうか。一度買ったらどれくらい長持ちするのだろうか。魔力を有していない者でも難なく使いこなせるのだろうか……。


「2点のお買い上げですね! お目が高い! ありがとうございます! 気に入っていただけて何よりです!」


レオがあれこれ思索に耽っていると、ウィルの甲高い声が店内に響き渡った。


何だって?


「先輩〜! 王子先輩〜! 姫奈先輩〜! ドン・ジョヴァンニさんが2枚まとめて買ってくれることになったっす〜! も〜ガチでてぃびぐらっすよ〜!」


尚、「てぃびぐら」というのは、ラテン語で「ありがとう」を表す「Tibi gratias ago」の略だ。


ジョヴァンニが懐から巾着を取り出して中身を陳列棚の上に空けると、ちょうど代金分があった。


彼が僕にとって有益なことをするなんて、どういう魂胆だろう? そもそも資金源は? 


いや、折角協力的になってくれたんだ。色々と勘ぐるのはよそう。


「ありがとう」


レオは驚きを隠しながら、ジョヴァンニの黒い瞳をしっかりと見据えて礼を言った。


ジョヴァンニは一瞬だけ引きつった表情を見せ、その後は視線を逸らして口角を下げながら肩を竦めてそっけない態度を取った。貴人から感謝されるのは初めてだったので答えに詰まったのだ。


アンブローズの興奮した様子から、ある程度は魔界の実態を把握している彼の目にもこの道具は有益に映ったのだと窺える。それに、たとえGPSの恩恵を享受できなくても、魔界の地図を文字通り手中に収められたのだから、五里霧中の状態よりは幾分堅実な捜索が開始できそうだ。

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