Book 1-XV : 日の目を見る
縄梯子を伝って地表に上がり、布製の葉を掻き分けて顔を出すと、そこは見覚えのある学院裏の自然保護区だった。見覚えがあるとは言っても、そこは立入禁止区域となっている。主に松の木が聳えるその林は、毒性のある草花が自生しているという理由から一般人の侵入が許可されていなかった。しかしそれは、平民が穴に転落し秘密の地下経路を発見してしまうのを防ぐための取り計らいに過ぎなかった。
既に太陽が傾き始めていた。順調に鍵を発見できても、それからまた地下を通ってジョヴァンニを港まで送っているうちに宮殿の門限は近づいてしまうだろう。
それはレオにとって好都合に思えた。どのみち食料も護身用品もない今の状態では到底、長旅には出られないし、また睡眠を取ったら夢でニムエが新たなメッセージを送ってくれるかもしれない。一方で、我が家という安全地帯に一度戻ることで、増大していた英気がまたリセットされてしまうのではないかとの不安もよぎった。
いずれにせよ、今日の残りの行程は姫奈とアンブローズの同伴無しで遂行すべきだと思った。アンブローズには今、休息が必要だ。そして、彼だけを置き去りにして港まで向かうとなると、漕ぎ手である自分以外の二人が貸切状態で相席することになってしまう……。
「今日はありがとう。お大事にね。また明日」
レオは、染みが広がる袋を手からだらりとぶら下げているアンブローズの肩に腕を回し、寄宿生である彼が滞在する学生寮の方へ促そうとした。
「え〜だっていまから……」
しまった。アンブローズは今、判断力が鈍っているのだ。ジョヴァンニや第三者の前で口を滑らせたりしたら厄介なことになる。
「先にお水飲んできたら? ほら鳥の巣の横の井戸使って」
咄嗟に姫奈が遮った。
「あ……そうすね」
井戸は学生寮とは反対方向だ。アンブローズは俯いたまま向きを変えてとぼとぼと歩き始めた。フェンシング部の部室に近い学院裏口もそちらの方面なので、他の3人も後に続いた。
本館裏手の塀に沿って歩いて保護区を抜け、角を回り込んだところで、アンブローズは額に衝撃を受け顔を上げた。
ずれた眼鏡を掛け直し、まず初めに気づいたのは、たった今衝突してしまった誰かの服に、自分の袋の中身がぶちまけられていることだった。その次に気づいたのは、その人物が、髪をポンパドールにした大柄の不良少年だということだ。そして、運の悪いことに彼の悪友達もその後ろに立ちはだかっていた。唯一、カタリノンの姿だけが見えなかった。
「ウェッ、なんだこれ!?」
大柄の少年は突然のことに何が起きたか分からないようだった。
アンブローズは、脳内に立ち込めていた霧が一気に晴れたような気がした。
「うわヤッベサーセンしたサーセンしたサーセンした」
驚くような滑舌の良さで平謝りした。
レオの頭の中では、色々な考えが一度に渦巻いた。第一に、昨夜の歓迎会で姫奈を陥れようとした者達の一人に当然の報いがあったことを神々に感謝した。一方で、また彼らが彼女に手出しするかもしれないと緊張感を抱いた。その後、今ここで彼らが誰かを標的にするとしたら、それはアンブローズになると気づいた。
「テメェ! ただじゃおかねぇぞ!」
やっと事態が呑み込めた不良達がお互いに目配せした時、レオの傍で含み笑いが聞こえた。そこに居合わせた全員の視線がそちらに集まった。
「あ? なんだテメェ見かけねー顔だなー。一年か?」
「何様のつもりだゴルァ!? ナメてんのか!?」
「おめーウザス、ウザテロス、ウザタトス」
不良達は早くも標的を変えた。
「いやお前ら俺を誰だと思ってんだよ」
先ほど窃盗犯を捕まえようとした時と同じ顔つきでジョヴァンニは応えた。
「あ? それはこっちのセリフだよ!」
ジョヴァンニは、やれやれとため息をつくと、これみよがしにクロークを少しはだけさせて内ポケットのブローチを見せた。この時点で彼は忘れていたのだった、姫奈からの預かり物のことを。
そして運の悪いことに、不良達は最初に目に入ったフクロウの方だけを見て早とちりしたようだ。
「おやおやガリ勉君ですかー。おっかないですねー!」
「え?」
ジョヴァンニはすぐさま自らの迂闊さに気づいた。
「おれら怒らせるとどーなるか、そのでっかいノーミソで考えりゃわかるよなー」
不良達は指の関節を鳴らしながら臨戦態勢に入った。
「上等じゃねぇか!」
引くに引けなくなったジョヴァンニは、つい現役時代の癖でクロークのボタンを外し、応戦する意を示してしまったが、そこで当時制定した掟が今でも健在か不安になった。
え? こんな時になんで……。
レオは困惑と苛立ちと失望に頭を抱えた。
まさに一触即発という時、カタリノンが現れた。
「テメェらなんの騒what the f*ck!?」
かつてのボスを見た瞬間、彼はみるみる青ざめていった。
「き、貴様ら、このお方を誰だと思ってんだ!」
「うぃ? なんかガリ勉の……」
「なーに寝ボケてんだよぉー! このお方こそが
「あのジョヴァンニ様!? だってこいつガリ勉のバッジ……」
混乱する子分の頭をカタリノンは引っ叩いた。
「テメェらの目は節穴か!? この御尊顔が見えねぇのか!?」
「え? うぉっ……うぉあー! サーセンしたサーセンしたサーセンしたサーセンした!」
不良達はジョヴァンニ様の前で頭を地面に打ちつけ、先刻のアンブローズの数倍の熱量を込めて謝り倒した。
「いやーこのアホ共がサーセンしたほんと! シプタミヤ奢るんで!」
カタリノンは必死でジョヴァンニ様の機嫌を取ろうとしたが、久々にメリストクラット兼(元)番長の座に相応しい扱いを受けた彼の心は、もういつにも増して和やかになっていた。しかし、その待遇さえも太陽の沈まぬ国の誘いには敵わない。
「悪いけど今お前らの相手してる暇はねぇんだよ」
「あ、サーセン……」
「そんなことよりさ」
「ハ、ハイ!」
不良少年でもこんな歯切れの良い返事ができるのか。レオは新たな発見をした気分になった。
「あの鍵、ちゃんと部室の床下に隠した?」
「え鍵!? あー鍵っすね!? ハイ、確かに隠しましたッ!」
尻尾を掴まれそうになった場合に備え、証拠隠滅を図るための隠し場所を予め決めておいたのだった。先生達は見落としていたが、ジョヴァンニは菜園に出る直前にカタリノンに鍵を投げてよこしていた。実際には彼は現行犯として捕まる形となったため、そんな隠蔽工作も当然無意味になると思われた。しかし、大人達はその直後の怪事で気が動転し、異例の対応に追われ、鍵の行方について知っているであろう取り巻き達に白状を迫ることはなかった。
「そんでどうなった?」
「えっとーなんかパチモンが作られてーそいつが博物館に送られてーでなんかー」
マルチェッロとカタリノン、情報源は大体同じかもしれないが、普段あまり互いと接することのない二人が口を揃えて言うのだから、不良達の間で語り継がれているという「裏話」は概ね正確なのだろう。
よく状況が理解できないままモゴモゴと喋るカタリノンを置いて、ジョヴァンニ、レオ、姫奈は散らばった松ぼっくりを避けながらまた歩き出した。萎縮する不良達を生まれて初めて目の当たりにしたアンブローズは、まだ平伏したままの彼らを物珍しそうに見つめながら3人の背中を追った。
*********
レオとジョヴァンニはフェンシング部の部室に到達した。
ジョヴァンニは部屋を見回した。具体的な隠し場所についても取り決めておいた気はするが、よく思い出せない。
「床板を剥がす時、何かで引っ掻いたでしょ? その跡を探すの」
背後からいきなり声が聞こえた。いつの間にかそこには姫奈とアンブローズが並んで立っていた。ちょうど井戸の方面に自宅がある姫奈は、水飲みに向かうアンブローズに付き添うと申し出たため、レオは彼女に礼を言い裏口付近で別れたはずだった。翌朝、再会する際にはブローチも返せると約束して。しかし、先刻のジョヴァンニ様による迅速な事態沈静化に感銘を受け、活力と良好な内臓機能を取り戻したアンブローズは、鍵発見の瞬間に立ち会うことを熱望したのだった。
姫奈は部屋内部まで進み出ると、おもむろにしゃがみこんで、床板一枚一枚の縁を丁寧に指でなぞり始めた。
これはいい案だ。レオはすぐに彼女を模倣した。
ジョヴァンニも素直に従った。彼がアテナの館の者の言いなりになるのはこれが初めてかもしれなかった。締め切られた窓のカーテンの向こうから差し込む暖かな西日を背中に受けながら、夕刻を告げる神殿の鐘の音を聞くと、もうヒラルダがすぐそこにあるような心持ちになった。
一方、アンブローズは祖父の杖を取り出し、床にかざしながら部屋を徘徊し始めた。
「何してるの?」
レオが聞いた。
「今、金属に反応して光る設定にしたんで」
「え、それは……」
成人なら犯罪行為だ。
そう言う前に、他でもない自分がもっと重大な逸脱行為に手を染めようとしていることを思い出した。ここで再び決意が揺らいだ。法などあってないようなものだというカンマルフィーリャにいるのと、過去11年に渡って校則一つ破らず品行方正な生活を送ってきた学院にいるのとでは、心持ちも大きく変わってくるのだった。
レオが言葉に詰まっていると、部屋の奥からしらみ潰しに板を調べ始めていたアンブローズの杖がボワっと緑色の光を放った。
「あ〜ほらほら、ここっすよ!」
4人は杖の真下の床板の元へ集まった。確かに、この床板の縁には針金で引っかいたような無数の傷がある。
アンブローズが杖の先端を使って床板を引き剥がした。
4人は絶句した。
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