第四話 白 霞、招かれざる客と対峙すること。

 ハク  薔薇ショウビ茶肆ちゃし木蘭もくらんの奥庭に招いた。

 ここなら人の目にさらされない。


 ハク の後ろには、 疎雨ソウが。

  薔薇ショウビの後ろには、 セイの家の家奴かどトウ チュウが付き従っている。


 女二人は、立ったまま対峙した。

 ハク は、こんな女に石造りの椅子をすすめたくなかった。


 十六歳の女、 薔薇ショウビは、前に見た時とすっかり変わっていた。

 ハク 家婢かひ(召使い女)であった時は、当然、化粧もなく、衣も素朴なものだった。

 今は、富豪のめかけとして、質の良い衣をまとい、髪も高く回鶻かいこつけいにまとめあげ、化粧は白粉と紅をたっぷり使っている。化粧が濃すぎて、十七歳くらいに見える。

 表情は、女としての自信にあふれている。


  薔薇ショウビこそ、ハク の元夫、 セイ書斎しょさいの机で寝取った女だった。


茶肆ちゃしの店先で大声をだし、あたしをしざまに言うとは、出世したものね?」


 ハク が厳しい顔で、嫌味たっぷりに言ってやると、 薔薇ショウビは、にぃっ、と赤い唇で笑った。


「お許しくださいまし。あたしはどうしても、こうやってお話しをさせていただきたかったんですわ。霞姐姐。」


 それは、妾が妻にたいして呼ぶ呼び方だ。


「霞姐姐なんて呼ばないで!」

「お気にさわったのなら、謝りますわ。」


  薔薇ショウビは、しなしな、としなを作りながら、その場で膝をついて、深く拝手はいしゅした。妾の礼ではなく、家婢が主に対する時の礼だ。


「主様。あたしの気持ちは、今でも主様の家婢でございます。慈悲深い主様、このとおりですわ。あたしをお許しになって。」


  薔薇ショウビは、殊勝しゅしょうな顔をして、ぱちぱち、と愛らしくまばたきした。媚をたっぷりふくんだ顔である。


(あたしが家婢かひとして 薔薇ショウビを使っている時は、公正明大な主であろうとした。 薔薇ショウビもそれに感謝して勤勉に働いていると思っていた。

 あたしは騙された!

 虫も殺さぬ顔をして、この女は、 セイを陥落しようとたくらんでいたんだわ。)


  セイもさすがに、真っ昼間、書斎で女を手籠めにするのは、やりすぎだ。おそらく、この女からも働きかけがあったのだ───。


「どうか話を聞いてくださいまし。あたしは主様の家婢。 セイ様の妾としてもらった今でも、その過去の恩を忘れたことはありません。」

「恩を自覚しているなら、なぜあのような無法千万むほうせんばん(人の道を非常にはずれ、非常に無礼であること)をしたの。恥知らず!」

「ああ、お許しくださいまし。お許しくださいまし。」


  薔薇ショウビは膝を地面につけたまま、哀れな声をだして、手をもみ、ぶるぶると震え、目を潤ませた。

 まるで、自分は悪くない、被害者だ、というように。

 何も知らない者が見れば、美女が、吹けば消える蝋燭の火のように震える、儚い姿だった。


「どうか、どうか話を聞いてくださいまし。そうでないと、あたしは屋敷に帰れないのですわ。助けてくださいまし。お見捨てにならないで。」


 ハク は眉根をつめて、強くため息をついた。

 どうやら話を聞かないと、ずっとこの調子を続けるつもりのようだ。


「さっさとお話し。」


 ハク は怒りをおさえながら、石造りの椅子に座り、 薔薇ショウビにも椅子に座るようにうながした。

 椅子に腰掛けた 薔薇ショウビは、さきほどの泣き出しそうな顔はどこへやら、媚たっぷりの笑顔になった。上目遣いにハク を見る。


 セイ様が、あたしは主様の家婢だったのだから、おまえが主様を連れ戻してこい、とあたしに言ったんです。それがあたしの役目だと。」

「勝手なことを言わないで! あたしはもう離婚したのよ。」

「ところが主様。 セイ様は納得してないのですわ。主様を、まだ、妻と呼んでいます。」

「なっ!」


 悪夢が蘇る。


「ええ、 セイ様は、諦めておりません。主様を妻として、何がなんでも手元におきたいのですわ。

 愛されておいでですのね、羨ましいわぁ。」


 目を細めて笑う 薔薇ショウビの言葉に、嫉妬と悪意のトゲがまじる。蜂の一刺しのような細く毒のある針。


「こう伝えろ、と。いつまで珠玉肆しゅぎょくしを留守にする気だ。おまえは妻だ。一刻も早く戻ってこい。」


 たまりかねて、 疎雨ソウが、


薔薇ショウビ、もうやめろ。」


 と口をだした。 薔薇ショウビは媚のある顔をかなぐり捨て、鋭い声で、


「口を挟むな! 黙れ!」


 と、兄を睨みつけた。

 家奴かどが、主と、元夫の妾と話しているのを遮るのは、本来は許されないこと。その自覚のある 疎雨ソウは、唇をかんで悔しそうに黙った。

  薔薇ショウビは、ひた、とハク を見据え、にたり、と笑う。


「おまえは何も見てない。

 何もわかってないんだな。

 何を考えてるんだ。

 夫に仕え、夫が思うことを口にする前に奉仕し、夫を喜ばせろ。それが妻というもの。

 わからず屋の女は許さない。

 必ずオレの元に帰ってこさせる。それ以外の運命はおまえにない。そう教えたはずだろう。

 わからないなら、いくらでも教えてやる。後悔させてやる。」


 悪夢がハク に手をのばす。

 ハク は、かたかた、と細かく震えだした。

 頭が真っ白になる。


 くくく、と 薔薇ショウビが残虐に笑った。


「たしかに伝えましたわ。一言一句、間違えないように。ね?  セイ様は、言葉の間違いを許しませんから。あたし、覚えるまで何回も練習させられましたわ。霞姐姐はよくおわかりですわよね。

 あたしの伝言はこれで終わり。

 あたしと一緒に帰りましょう?」

「か、かえらない……。」


 ハク は、恐怖で顔面蒼白になりながら、細い声で答えた。震えがおさまらない。


「あたしは女ですから、今日、力づくで連れて帰ることまでは、 セイ様に要求されていません。

 でも、良いんですの?

 意地を張れば張るほど、 セイ様の怒りを招きますのよ?

 どうせ、 セイ様の執念からは逃げられません。今のうちに帰ったほうが、まだ、折檻もましというものですわ。」


(怖い。助けて。)


 ハク は暗闇であえぐ、溺れた腐りかけの魚のように、呼吸困難になりながら、心のなかで助けを求めた。


(オウ クヮ……。)


 ここにいない男に。


 ざざ、と奥庭の草を踏み分ける音がした。

 あらわれたのは、オウ クヮだ。


(嘘。オウ クヮ。どうしてここに?)


 オウ クヮと目があった。

 眉目秀麗な男は、颯爽と立ち、 薔薇ショウビにむけ、凛とした声をはなった。


ハク は元夫のもとへ帰らない!

 ハク は私の恋人だ。」










↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093093549729482












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