第三話 馮 程の長安通信、其の四。

【誰だっけ? をなくす! 名前ガイド】



 ・藤原ふじわらの清河きよかわさまのお嬢さま= 嬉嬢キジョウ


 ・大伴おおともの宿禰すくね継人つぐひと大伴おおとも遣唐判官けんとうはんがん殿=変態さん。


 ・上毛野君かみつけののきみ大川おおかわ上毛野かみつけの遣唐録事けんとうろくじ殿。


 ・海上うなかみの真人まひと見狩みかり海上うなかみの遣唐判官けんとうはんがん殿=にゃは様。


 ・韓国からくにのむらじみなもと韓国からくに遣唐録事けんとうろくじ殿=福耳ハイスペックイケメン。


 ・緑の布を髪に飾った女=スイ ショウ 嬉嬢キジョウ仕女しじょ




        *    *   *





 やあ、みんな!

 オレは遣唐使の留学生るがくしょう葛野くずののつくり文手ふみて、十八歳。

 唐名、フウ テイだ。


 最近、遣唐使の高官たちが、機嫌が良い。

 藤原ふじわらの清河きよかわさまのお嬢さまを日本に連れ帰る目処めどがついたからだ。

 そもそも、この遣唐使の一行は、前の遣唐大使の藤原清河さまを迎える、という勅命をいただいていた。

 残念ながら、遣唐使が長安についたら、藤原清河さまは鬼籍にはいってしまっていた。そのお嬢様を日本に連れ帰る、その説得の場で、大伴遣唐判官殿がまずい事を言って、お嬢さまの機嫌を損ねていたらしい。

 それが解決したんだ。

 良かったよ!

 大伴遣唐判官殿が、自分のせいだっていうのに、お嬢さまのかたくなな態度にイライラして、まわりにあたるもんだから、外宅(遣唐使に割り当てられた宿舎)の空気が悪くなってたんだよね。

 ふう。

 大伴遣唐判官殿は、イライラ状態から、普段の陰険さに戻った。眉間にある古い刀傷も、シワがよらないで、眉間が広々してるってもんさ。

 もう、あの人にも困ったもんだよね。変態さんだし。


 ただ、気になるのは、上毛野かみつけの遣唐録事殿かな。

 ずっと塞ぎ込んでるんだ。

 何か考え事をして、ため息をついたり、庭で遠くの空を見ていたり。

 海上うなかみ遣唐判官殿と、韓国からくに遣唐録事殿が、


「にゃはは〜、恋かな。」

「そのようです。」


 と会話をしていた。オレは、ハク さんの事かな、と思った。

 茶肆ちゃし木蘭のハク ケンさん───、上毛野かみつけの遣唐録事殿の女装の剣舞を一緒に見たあの人は、実は男じゃなかったんだよ。なんと、女だったって韓国遣唐録事殿から教えてもらった。

 なんでも、ちょっとした茶目っ気でお兄さんのフリをしていたらしい。唐の女性の考えることは神秘に満ちている。

 オレ、一回、茶肆ちゃし木蘭に、お茶を飲みにいっちゃったもんね。そしたらいたよ。ハク ケンさんじゃなくて、ハク さんが。

 楚々そそとした美人だよねぇ。

 上毛野かみつけの遣唐録事殿が恋するのもわかるし、二人とも美男美女だから、並ぶとお似合いのはずだ。

 上毛野かみつけの遣唐録事殿はこいわずらい中……。ただでも美男なのが、悩ましい色気が増してるんだよね。

 はあ、とため息をつくと、あたりの空気が桃色に染められるようだ。

 それを海上うなかみ遣唐判官殿と、韓国からくに遣唐録事殿は遠巻きに見守ってるし、大伴遣唐判官殿は、声はかけないんだけど、ニヤついて見てる。

 あの人、目線がいやらしいんだよね……。困ったもんだよ。







 さて、オレは今、長安の書肆しょし(本屋)に来てる。

 書肆の表から。


「じゃあ、良いのが買えたら、あたくしにも読ませてね。」

「はい。どのような書物が読みたいですか?」

「それはね、ぐふふ、ここでは言えないようなヤツよ。」

「ああ、華岳夫人……。」

スイ ショウ! みなまで言うな! それよ。」


 と、女性二人の声がして、表から去ってゆく足音と、書肆に入ってくる足音に別れた。

 書肆に一人で入ってきた十五歳くらいの若い女は、髪の毛に緑色の布を飾っていて、さっぱりした顔立ちだ。


(あ、あの女性、前にも……。)


 スイ ショウと呼ばれていた女は、しばらく書物を物色ぶっしょくしたあと、ひとつの書物を手にした。


「これをください。」


 書肆の店番の男は、若い女から代金を受け取りつつ、とびきりの笑顔をむけた。この男は、十八歳くらいか。


「今日も来たね、可愛い娘さん。この前の書物はどうだった? 面白かった? 良かったら、お茶をしながら教えてほしいな。」


(ほーら、やっぱり! 今日も声をかけたぞ! どうなる?)


りない人。」


 十五歳くらいの若い女は、笑わず、それだけ言って、ふわり、と緑色の飾り布をゆらめかせながら、書肆を出ていった。


「あ〜あ……。」


 店番の男は、残念そうに頭をぽりぽりかいた。

 書肆に居合わせたお客の皆は、なまあったかい目でふられた男を見る。


(今日は、無言じゃなくて、一言もらえたじゃないか。進歩してるぞ! 長安の益荒男ますらおよ!)


 オレは心のなかで応援をおくり、書物選びに没頭しはじめる。

 しばらくしてから、表が騒がしくなったのを感じた。表に出てみると、向かいの茶肆ちゃし木蘭の店先で。


「話をしにきたっていうのに、あたしを追い出すっていうのね?

 帰らないわよ!」


 十七歳くらいの女が大声でわめいているのが見えた。目つきのきつい美女だ。ひとりのお供の男───頰のはった顔立ちの男を連れている。

 女は、それなりの暮らしぶりをしていると見てとれる。

 化粧が濃く、良い衣で着飾っていて、髪の毛もぐるっと丸く派手に結い上げていた。


「そっちがその気なら、あたしはここで、いくらでも叫んでやる! この茶肆ちゃし木蘭もくらんハク はー、夫の家から勝手に出奔しー、夫から帰るように言われてるのにー、その使いを追い返す! 妾を追い返す! 嫉妬深い妻!」


 茶肆ちゃし木蘭の入口に、ひとだかりができはじめている。

 皆、ざわざわしながら、


ハク ?」

「たしか離婚したんじゃなかったっけ?」

「あの女、妾か? いじめられてるのか?」


 と遠慮ない事を言う。


「やめろ薔薇ショウビ!」


 左頬に刀傷のある男が、真っ青になり、わめく女の腕をとらえる。


「離してよ、お兄ちゃん! それとも茶肆ちゃしのなかに入れてくれるの?」


 薔薇ショウビと呼ばれた女は、にぃっ、と悪辣あくらつに笑った。

 茶肆ちゃし木蘭の入口に立ったハク さんが、わなわな震えながら、


疎雨ソウ、腕を離して。奥庭にお通しして。」


 と言った。


(お付きの家奴も、ハク さんも、顔、真っ青だよ? 様子が尋常じんじょうじゃない。大変だ、上毛野かみつけの遣唐録事殿に知らせなきゃ!)


 オレは外宅にむけて走りだした。

 途中、


 コウオウ クヮがグダグダ言ったら、耳をひっぱって連れていくわよ。」

「はい、お嬢様。」


 と会話する、美人のお嬢さんと、そのお供の美少年を追い越した。


(ん? 今、オウ クヮって上毛野かみつけの遣唐録事殿の唐名が聞こえたような? いや、今はかまうな。

 走れ! 葛野くずののつくり文手ふみて!)

 





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