第五話 應 俰、己の想いを自覚し、唇を奪う事。
大川は、外宅に、
「大変です、
と告げたのを聞いた時。
外宅を飛び出して駆け出していた。
(
「あら……?」
と
(何があった。どういう状況だ。困っているなら、助ける。)
走り、
敵の郷へ向かう兵士のように、静かに。
見えたのは、背をむけて立つ一人の
その正面に座る
(まずい状況だな。)
大川に気がつかないほど、取り乱している。
大川は会話を聞く。背を向け、頭にぐるりとおおきなカタツムリのような輪を作った女は、威圧的に喋っている。
「あたしは女ですから、今日、力づくで連れて帰ることまでは、
(……この女、
「でも、良いんですの?
意地を張れば張るほど、
どうせ、
(許せぬ!)
大川の血が瞬間的に沸騰する。これは怒りだ。
大川はすぐさま、姿をあらわした。
カタツムリ頭の女は、
ただでも白い肌から血の気が失せて、新雪のような白さになっている。心細そうな目で、怯えた表情で、大川を見た。今にも泣き出しそうな、それを必死に耐えているような、そんな顔で。
(守ってやらねば。私が守るのだ。)
───頭のなかで。
───
───鮮明に。
───
(ああ、恋うてるのだ。)
大川は、カタツムリ頭の女を、きっ、と見た。
「
「え?」
「はあ?」
カタツムリ頭女が、片眉を釣り上げ、気に食わない、という顔で、大川の下から上まで
「はん。嘘ね。」
「嘘なものか。私はニホンコクノカミツケノクニタイリョウの息子。資産はそれなりにある。」
大川は、自分の
(どうせ聞き取れまい。)
大川は、肌の血色も、髪の艶も良い。着ている衣の質もよく、雅楽に鍛えられた動きは洗練され、いつもピンとまっすぐな姿勢を崩さない。
この女が日本を知らずとも、大川が支配者階級の男であるのは、一目瞭然であろう。
「なら、なおさら嘘よ。あなたみたいないい男……。霞姐姐になびくはずがない。」
若い女は、
「ねえ? 霞姐姐、三十歳という年齢をご存知? 早ければ、孫がいましてよ! こんな美貌の男、ひっかけられるわけないじゃない。嘘なら、もっとましな嘘をつくことね。アハハハハ!」
唐では、早ければ、女は十三歳で結婚する。その女が早く子を産み、またその子も早く結婚すれば、三十歳の女は、本当に祖母となる可能性があるのだ。
(
「私が恋人だと言ったでしょう?」
大川は大股で
大川は彼女の
「本気です。」
唇を重ねた。
柔らかく、甘く、頭を痺れさせるような良い匂いがした。
う、と彼女が声をもらすが、その声も大川が飲み込んでしまう。
ふーっ、と不機嫌そうにカタツムリ頭の女が息を吐いた。
「あっ、おまえ……っ!」
大川は
左腕で鋭い拳を防ぎ、
「う……!」
口元をおさえてその場を逃げ出した。薄い緑の紗の
「
大川は
「お兄ちゃん! 話があるの!」
「離せ!」
「離さない! ねえ、帰ってきて。あたしのもとに。たった二人きりの家族じゃない。」
「離せ。」
「さっき、黙れって言ったの怒ってるの? ごめんなさい。
だって
彼が、
「ねえ、戻ってきて。お兄ちゃんがそばにいてくれないと、あたし、寂しいの。」
「戻らない。おまえは主様を裏切った。
命を助けてくださった主様に対してだ!
どうしてだ。なぜ罪を犯した。
許されない罪だ!」
血を吐くような
疎雨の腕を離さない。
「許してよ! もう済んだことじゃない。
こうでもしないと、贅沢な生活なんてできないわ。
ねえ、帰ってきて、お兄ちゃん。
あたしのそばにいて。あたしを助けて。」
「
それならいつでも殺してやる。」
「お兄ちゃん!」
「オレがおまえにしてやれるのは、それだけだ。オレは主様のもとにいる。おまえのぶんも、罪を
頑固な兄に、
「お兄ちゃんのせいよ!
あたしが
あたしから離れるなんて許さない。」
「……帰れ。」
そのまま去る。
「あ、待って、お兄ちゃん。
戻ってきてよ───!」
* * *
目から涙がこぼれてきた。
(ひどいわ。こんなの。期待してしまう。)
口づけは優しかった。
(やめて。
唇を奪われて。嫌じゃなかった。むしろ、胸がときめいた。
(友人だって言ったじゃない。日本に恋した女がいるって言ったじゃない。無理に恋人のふりして助けようとしてくれなくて良かったのに!)
↓挿絵です。
https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093093603451547
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