第九話 應 俰、三夷教について教えてもらう事。

 大川は、青い目のハク ケンと、その家奴かどである 疎雨ソウと、三人で長安、西市を歩く。


 大川が一番背が高いが、 疎雨ソウも背が高い。ハク は、男としては背が低い。


 大川には、この左頬に刀傷のある、陰気な顔をした男が、自然体でありながら、まわりに常に気を配っているのがわかっている。


 西市には人通りが多い。

 貴人や官僚、文人墨客ぶんじんぼっきゃく、将校や遊俠の士がひっきりなしに歩いている。

 それだけではない。実にいろんな衣、いろんな人種がいる。


「長安に来て驚いたのは、まずこの、人の多様さです。」


 大川が話をふると、ハク ケンはすぐに答えてくれた。


「ええ。突厥とっけつ回紇かいこつなど遊牧民族からの使節。

 新羅しらぎ渤海ぼっかいからの留学生るがくしょうや留学僧。

 西域からの商人、職人、芸人、宗教関係者がいますね。」


(宗教関係者?)


「やはり、仏教……?」


 ハク ケンは小さくクスリと笑った。

 バカにしたような笑いではなく、柔らかい笑みだった。


「世界は広いのですよ? オウ クヮ

 摩尼マニ教、けい教(ネストリウス派キリスト教)、けん教(ゾロアスター教)、この三つが三夷教さんいきょうといわれ、長安にもかなりの信徒がいます。」

「仏教ではないのに、唐は許している、と……。」

「西域から珍しい奢侈しゃし品を駱駝らくだで運ぶ康居こうきょ(ソクド)人たちは、摩尼マニ教を熱心に信奉している人たちでもあります。摩尼マニ教の活動を禁じるということは、彼らを完全に締め出すという事です。ある程度は、布教活動も認められているのです。面白い話もありますよ?」


 大川は話に引き込まれた。


「というと……?」

オウ クヮたちは、回紇かいこつ人のならず者たちから、茶肆ちゃしを守ってくださいましたね?

 その回紇かいこつなのですが、先だっての安禄山の乱で、唐から摩尼マニ教の僧侶を回紇に連れ帰ったのです。

 そしたら、可汗かかん(王)が素晴らしい、と気に入って、今では回紇人の多くが摩尼マニ教を信奉してるそうですよ。」


(可汗。木蘭辭もくらんじの世界みたいだ。日本にいたら、可汗の言葉を良民(平民)の口から聞くことはあるまい。本当に唐に来たんだな。)


 そう思うと同時に、もし日本にも、その摩尼マニ教が入ってきたら、どうなってしまうのか? と不安を覚える。


「それは……。回紇人の多くが、というお話でしたが、具体的にはどれくらい摩尼マニ教は回紇に浸透したのですか?」


 ハク ケンは首をかわいく、ちょこん、とかしげた。


「それはワシも存じ上げませんが、なんでも、回紇の国教にする一歩手前までいったそうですよ。国教にする前に、可汗が亡くなったので、今は摩尼マニ教は下火になった、と言う者もいます。

 ワシが知ってるのは、それくらいですね。」

「そうですか。」


(唐には、いろんなものがありすぎる。日本が余計に混乱するような、日本に相容れないものは、持って帰ることはできない。我々は慎重に選別せねば……。)


「そうそう、回紇かいこつ人が摩尼マニ教を信奉しはじめてから、康居こうきょ(ソクド)人が同じ神を信奉するよしみで、回紇かいこつに新しい集落を作ったそうです。

 彼らはそうやって広く交易するのです。物を移動させれば、回紇では安い毛皮も、長安ではもっと高く売れる……。そうやって世界は繋がり、人が集まる唐は、世界で一番利益の集まる場所と言えるでしょう。」

「ほう……。」


 大川は目を細め、笑顔で頷く。

 新しいことを知る事は快い。


(この方に話し相手になってもらって良かったな。

 知識が豊富だ。

 話もわかりやすく、こちらを見下すような態度もない。これは良き縁だな。)


 大川がしげしげとハク ケンを見ると、ハク ケンは息をのみ、下をむいた。

 心なしか頬が赤い。


 


 大川はすこしだけ、目に冷たさをのせて、ハク ケンを見た。


 ちなみに、大川は、女嫌いである。

 

 どれくらい嫌いかというと、大豪族の跡継ぎ、二十七歳という年齢で、毛止豆女もとつめ(正妻)も宇波奈利うはなりめかけ)も、一人も作っていないほどである!


 かといって、男が好き、というわけでもない。

 大川は、美男子でありすぎた。

 大川のまわりに女は常にあふれ、大川の気をひこうとし、べたべた、いやらしい目で大川を見た。

 大川はすっかり、女というものが、いやになってしまったのである。

 

 大川にとって、女に近づきすぎると、


「あたしの事を妻にしてぇ。」

「あたしと一晩良い思いをしましょうよ。」


 と誘われてしまったり、あからさまに誘われなくても、


「あんたを狩ってやりたい。」


 という狩人のような目で舌なめずりされてしまう。

 大川はいつでも、女に狙われる獲物だった。


ハク ケンは、女のように見えても、女ではない。茶肆ちゃしのご主人が、息子だと言った。

 ご主人が私たちを騙す理由がないからな。

 ……もし、女なら、私はもっと距離をとる。こんなに気兼ねなく話すことはない。)


 大川は常に女に一線をひく、女嫌いだったのである……。




 

    *   *   *





 【要点まとめ】


 ・唐の三夷教さんいきょう

   摩尼マニ

   けい教(ネストリウス派キリスト教)

   けん教(ゾロアスター教)


 唐は商人の交易推進の為、ある程度の布教活動も許していた。


 ・回紇かいこつ(ウイグル)が摩尼マニ教の僧侶を唐から連れ帰ったら、十年しないうちに国教にすえる寸前まで摩尼マニ教に染まった。


 大川は日本に置き換えて想像し慄然りつぜんとする。摩尼マニ教が国教となった日本とは……。


 ●しかし上記の事は読者は忘れて良い。宗教関係はもう触れない。


 重要なのは、大川はハク ケン(正体は)の博識、後進国から来た大川を見下さない態度が気に入る。

 大川は女嫌いなので、もし女だとわかっていたら、もっと距離をとって接していた、という2点。






[参考]『シルクロードと唐帝国』  森安もりやす孝夫たかお  講談社






↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093090588740642



 

 

 

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