第十話 白 霞、口馬行について教える事。

 ハク ケンのふりをしたハク は、美貌の年下男に、じっ、と見つめられて、耐えきれなくなった。


(そ、そんなに顔を見ないでー!)


 男ではないとばれる。

 それ以上に、ただただ恥ずかしい。

 兄のふりをしてはいるが、実際は、阿姨あい(おばさん)なのだ。醜悪な年上男にもお見合いで結婚を断られるような三十歳女なのだ。

 ハク は顔を赤くしてうつむいた。


 オウ クヮは、そんなハク に気がつかなかったように、


ハク ケン、長安では、どこでも(店)をひらけるわけではないのですね?」


 と穏やかに訊いた。


(教えてあげねば。)


 ハク は顔をあげた。


「そうです。東市もしくは西市にを開く事が決まりです。

 こうはご存知ですか?」

「はい、同業者が同じ並びに、を連ねている。この並びを、こうと言うんですよね。」

「そうです。西市には、様々なこう(店舗の並び)があります。

 金銀行、衣行、綵帛さいはく行、帛練はくれん行、肉行、穀麦行、米麺行、菓子行(果物屋)、菜子行(種屋)、鐺釜とうふ行(金物屋)、凡器行(容器屋)……。」


 ちなみに、ハク の元夫は、珠玉しゅぎょくこうの富豪だ。


 実にさまざまなこうたち。歩いているだけで、飽きる事はない。


 オウ クヮが足を止めた。視線の先、手足を縛られた奴婢どひと、馬やラクダ、驢馬ろばが、別々の檻にいれられ、隣に並べられて販売されていた。


「あれは口馬こうばこうです。」


 文化の坩堝るつぼ、唐では、口馬行こうばこう……奴婢どひと馬、ラクダなどの家畜を扱うこうは、おおいに繁盛している。


奴婢どひは細かい種類わけをされています。

 唐産を、家生。

 外国産を、蕃。

 まずそれで分ける。のち、老(60歳以上)、丁(21〜59歳)、中(16〜20歳)、小(4〜15歳)、年齢でわけ、品質の良さで、上、次、下、と分けられます。」


 品質を記した木の札が、首からかけられている。


「男女それぞれいますが、丁と中がほとんどですね。」

「そうですね。その年齢がおもですね。」

「蕃は、唐語がわからないのではないですか?」

「まさか! ある程度、知識を叩きこまれてから、奴婢どひはここに来ます。

 唐語が話せない奴婢どひは、価値が下がりますからね。

 さらには、踊りや歌、何か一芸ができる奴婢ほど価値があがります。」

「家生の次の中婢一口、五千文。家生の次の去勢馬一ひき、五千文……。(唐人の普通ランクの16〜20歳の女奴隷一人、五千文。唐産の普通ランクの去勢馬一ひき、五千文)」

「そう。同じくらいの値段ですね。」

「これは高いのか、安いのか……。」

「難しい質問ですね。

 馬を例にとると、馬を持てるのは、王族や貴族や官僚、富豪に限られます。良民が持てるのは、せいぜい、驢馬ろばです。良民にとっては、高くて手がでないのです。

 ひるがえって、豪富貴顕ごうふきけんの間では、数十万文もする駿馬や細婢(トップランクの女奴隷)がもてはやされたり、贈り物として、奴婢どひを贈り合ったり、自慢しあったりします。

 奢侈しゃし品なのですよ。」


 霞自身は、口馬行を見ても、何か思うところはない。産まれた時から目にしている普通の光景だ。

 母は違う。

 ハン 、……ナーディアは、最上級の高級な細婢さいひだったのだ。

 母は、口馬行の前を歩くのをいつも避ける。

 きっと、母は、口馬こうばの奥の、上客相手の部屋で取り引きされ、馬の隣には立たされなかったであろうが、辛い思い出があるのだろう。


 オウ クヮは、奴婢や馬を買い求めたい、と浮き立つ顔ではなく、すこしの哀れみをこめた顔で、奴婢たちを見ていた。


(この話はこれで切り上げて、次のこうに行くべきね。)


 そう判断したハク だが、


(あ!)


 通りを歩く人影のなかに、古き友、 アンを見つけた。


 左右にそれぞれ子供の手をにぎり、背中に背負いヒモで赤子を背負って、顔に化粧っけもない。

 なぜか、 アンも子供たちも、色も質も悪い、貧しい衣を着ていた。

 手をつなぐ子供が、


「お母様、お腹すいた。胡餅こべい(麦せんべい)を買って。」


 とねだるが、 アンは怖い顔をし、


「うるさい! 銭がないのよ!」


 と叱りとばし、そのままハク に気が付かず、雑踏ざっとうに消えた。


( アン……。

 一年に何回か会う時には、金持ちらしく着飾っていたのに……。

 商売が傾いたのね。あたしには何も言わなかった。言ってくれれば……。)


 ハク には、見栄をはりたい。それしか思っていなかった間柄、という事だったのだろう。


 ハク は、悲しくなってうつむいた。


(あたしは、何も見えていなかった。)


 オウ クヮが心配そうに、


「どうかしましたか?」


 と訊ねてくれた。


「いえ……、なんでもありません。」


(もう昔のこと。 アンがあたしに、真の親愛と友情を持つことはなかった。もう、縁は終わった。あたしはくよくよしない。

 過ぎた事に思い悩んで、あたしの人生を曇り空のようにするのは、もうたくさんよ!

 あたしは前を向くの。)



    *   *   *



 大川の目の前で、ハク ケンは顔をあげ、何かをふりきるように、強い瞳で、道の遠くを見た。


(不思議なひとだな。

 なぜか恥ずかしそうな顔を見せるかと思えば、内面の強さを感じさせる顔もする。

 やはり女ではない。

 この人は女が持つ媚態びたい、男に媚びてくる嫌らしさがない。男がかもし出す色気は相当なものだけど……。

 博識なのも素晴らしい。

 我々の協力者になってほしい人だな。)





    *   *   *




 【要点まとめ】


 唐、めっちゃ栄えてた。

 お店はそれぞれ、同じモノを扱う同士、一列に並んで店を開く決まりだった。(こう


 奴隷売買(口馬行こうばこう)もさかんで、

 ①出身地

 唐産を、家生。

 外国産を、蕃。

 ↓

 ②年齢

 老(60歳以上)

 丁(21〜59歳)

 中(16〜20歳)

 小(4〜15歳)

 ↓

 ③ランク

 上

 次

 下


 で分けられ、馬と同じような売り方で売買された。


 ●このあと、店の種類も、奴婢のランクづけも作中でてこないので、読者は忘れて良い。


 ちなみに、奴隷である「奴婢」は、日本では「ぬひ」、唐では、「どひ」とフリガナをふる。

 日本の歴史を扱う本では、「ぬひ」、中国の奴隷制度にふれる本では、「どひ」と言い表している為。


 筆者の意見としては、奴隷制度には絶対NO。

 人類皆平等! 差別反対!




 見栄っ張りの アンは自分が貧乏になったストレスをハク にぶつけたかった模様。

 再登場はない。






[参考]『シルクロードと唐帝国』  森安もりやす孝夫たかお  講談社




 

 

 

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