第八話 白 霞、應 俰と出会いたる事。

「ようこそ。ワシがハク ケンです。先日は、我が茶肆ちゃしで暴れたならず者を退治していただき、御礼申し上げます。」


 大川は、客室に入ってきて拱手きょうしゅした、ハク ケンの声にびっくりした。

 男にしては声が高く、澄んだ綺麗な声だった。


宦官かんがんか?)


 唐に入り、鴻臚寺こうろじ(市役所)では、大勢の宦官と接した。男であって男でない。

 声が高く、皆、不思議な雰囲気を発していた。

 ハク ケンは、目の色が際立って青く、肌の色も白い。

 ここの茶肆の女主人は、胡人こじんであった。胡人と唐人の血を受け継いでいるのであろう。

 背は低めだが、整った顔立ちもあいまって、かなりの色気を感じる。

 首が細い。


(女……?)


 いや、それはない。茶肆の主人は、


「ワシの息子を紹介します。」


 とハッキリ言っていた。

 しかし、宦官とは、宮闕きゅうけつに仕える者だけがなる。民間である、この茶肆ちゃしの跡継ぎがなぜ宦官なのだろう。


宮刑きゅうけい……。)


 恐ろしい罰である。しかし、そんな重罪人の顔に、目の前の人は見えない。善良そうな顔をしている。


(いや、あれこれ考えるのはよそう。失礼だ。)


 大川は、瞬時に動揺から立ち直り、にこり、と笑ってみせた。


「乱暴者を見過ごせなかっただけです。当然のことです。こちらこそ、話し相手になって欲しい、などと、あつかましいお願いをきいてくださり、ありがとうございます。」


 そして、後ろのお供の男を見た。

 白 健は、肌の白さ、目の青さ、たちのぼるなまめかしさゆえ、目がいってしまうが、大川としては、もっと気になるのは、この、白 建の後ろから入室した背の高い男だった。


 雰囲気が暗い。小狡こずるい、というのではなく、ただただ、発する雰囲気が鬱鬱うつうつとして暗い。

 鋭い目。左頬に刀傷。背丈は三虎くらい。

 鍛えられた身体。流れるような身のこなし。顔にはなんの表情も浮かんでいないが、隙がない。


(強いな……。)


 帯刀していないのが不思議なくらい、武人としての雰囲気を発している。


 ハク ケンは、明るい善良な雰囲気を発している。陽の気だ。

 後ろの背の高い男は、陰の気だ。

 二人はそれぞれ、相容あいいれない気を発し続けている。


(面白い組み合わせだな。)



   


     *   *   *





 ハク は、わくわく、ドキドキしながら、


(ばれるかしら?)


「ワシがハク ケンです。」


 と名乗った。結果、目の前の男は、何も疑問をさしはさまなかった。


(騙せたわ!)


 もし、ここで、


「あなたはご婦人のようですが?」


 と言われたら、素直に、


「ほほ、ちょっとした茶目っ気ですわ。唐では、女が男装するのが当たり前ですの。本日はあたしを話し相手としてくださいな。男でないと困る、というのでしたら、また、次には、兄をよこしましょう。」


 と言おうと思っていた。多分、それで大事には至らないだろう。


(今、あたし、男だと思われてる! たーのし───!

 どうしてばれないのだろう?

 三十歳をすぎると、女は、女というより、阿姨アイ(おばさん)という生き物になるんだろうか。

 そして、阿姨アイは、男に変装したら、なかなかばれないものなんだわ。

 阿姨アイ万歳───!)


 ハク は、満足して、むふー、と笑った。


 それにしても、目の前の男、オウ クヮは、すごい美形だ。

 背が高く、切れ長の涼やかな目、男にしておくにはもったいないほどのきめ細やかな白い肌。(あたしのほうが白いけど)

 整った鼻梁。

 微笑むと、星光が散るような、華やかな美男だ。


(若い頃の セイなど目じゃないくらい……。)


 三十歳の阿姨アイであるハク は気後れし、目を伏せそうになる。

 年齢ははっきりしないが、年下であることは明らかだ。

 若い美男の前におかれた、しおれた阿姨アイほど、惨めなものはない。

 ハク には、目の前の男の美貌は、眩しすぎた。


 しかし、思い直し、顔を上にあげる。


(今のあたしは、ハク ではない。ハク ケンなのだ。

 会ってすぐ、目を伏せるのは、おかしい。兄ならしない。)


 男らしく堂々と顔をあげ、目の前の美男の顔を見る。


(ふぉ〜、どこからどう見ても美形だわ。不思議な顔立ち。ちょっと新羅しらぎとか、あっちの方の出身の人に似てる。)


 オウ クヮハク の後ろを見た。


「そちらのお方は? お名前を教えていただけませんか?」


 家奴かどの名前を訊くとは珍しい。主であるハク が答える。


 疎雨ソウです。」


 表情を動かさない 疎雨ソウと、秀麗な笑みを口元にたたえたオウ クヮは、拱手しあう。


 おう くゎは、ハク に向き直った。


「まず、お尋ねしたい。私の唐語の発音はおかしくありませんか?」

「はい。おかしくありません。」

「良かった。

 私は、日本から、遣唐使として来ました。」

「日本……。」

「ええ、揚州ようしゅうから黄海をわたり、新羅、耽羅たんら(済州島)の、さらに先です。

 ぜひ、唐の現地の方と、親しく話をしたかったのです。

 どうか仲良くなって、私にいろいろ教えてください。」

「わかりました。」

ハク ケン殿、とお呼びすれば良いでしょうか。」

ハク ケンでけっこうです。」


 敬称は、普通の間柄では使わない。

 ただ、下の名前で呼ぶこともしない。

 下の名前で呼ぶのは、家族、もしくは、主が奴婢どひを呼ぶ時だ。


「ワシもオウ クヮとお呼びしましょう。」


 オウ クヮが、じっ、とハク を見た。


「……ここの茶肆ちゃしの女主人もそうでしたが、とても綺麗な目の色ですね。

 深い、青い色……。カワセミの羽のように鮮やかだ。

 唐では、多いのですか?」

「唐では、さまざまな国の人が行きかいますから。目の色、髪の色もさまざま。ワシのような雑胡ざっこ(ハーフ)も珍しくありません。でも、そうですね……。」


 母、。兄、ケン。そして。この三人は、雑胡でも際立って目の色が美しい。青い色がハッキリ鮮やかだからだ。

 そうでなくば、母は茶肆ちゃし木蘭の蒼玉ラズワード、霞はしょう蒼玉ラズワードと呼ばれはしない……。

 自慢のように聞こえないで、この事を伝えるには、どういう言葉を選ぼうか、ハク はすこし考え込んだ。


「先日、酒肆で、同じような目の色の淑女を見ました。」


 どき───っ!


 ハク の心臓が跳ねた。


(あっ、この男、先日、酒肆で泣き顔を見られた男じゃない!)


 ちらっとしか見なかったけど、すごい美男だったから、間違いない。


(なんてこと。女ってばれる?!)


 「いや、けっこういますね。これくらいの目の色の人は。ははは。」


 ハク は冷や汗をかきながら笑った。もともと、嘘がうまいわけでもない。


「……そうですか。」


 オウ クヮはなんの疑いもなく、にこにことうなずいた。


(危なかった───!

 大丈夫。女とばれてない。)


 ハク は、ほっ、と密かに息を吐き、安心するとともに、


(このドキドキ、クセになるわ!)


 にまっ、と笑ってしまったのだった。








↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093091078992290


  

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