第四話 白 霞、望まぬお見合いに連れ出される事。
離婚した
(実家で
という事だった。
離婚して、心は楽になった。
と、同時に、今までの生活で、自分がどんなに傷つき、追いつめられていたのか、やっと実感した。
実家に帰った
でもそれ以上に、中身のほうがボロボロに傷ついていたのである。
七十歳の父親、
「おお、我が娘よ、可哀想に。」
「辛い目にあわされて。もう李家のことは忘れなさい。」
手を握ろうと、手をだしてきてくれたが、霞の両手に包帯が巻かれてるのを見て、いたましい、という顔をして、肩を叩いてくれた。
だが、五十歳の母、
「離婚するなんて……、子を産めずに返されてくるなんて、恥ですよ。」
「お母様!」
(離婚する女なんて、今は普通なのに。ごまんといるのに。お母さまの考えかたは、いつも古くて、ガチガチに固まってるわ。どうしてなの……。)
「まあ、
黒髪黒目、いかにも唐人らしい、といった風貌の父親は、母親を優しくなだめた。
ちなみに、ここにいる者は、皆、黒髪だが、目が黒いのは父親だけだ。
母親も、兄も、霞も、黒髪、
母親はいかにも
そして、この家で一番わがままなのも、母親だった。
唐の妓楼で舞い踊る、
ある者は、
二十歳差の若い妻に、父親は甘かった。
母は、全然、財産を持っていない。普通なら威張れないところだが、母は、わがままだった。持って生まれた性格なのだろう。
母に困ると、父親は決まって、
生まれた息子も娘も父親に似て穏やかな性格で、
「お母様。せめてこれからは、
この母親には、
つんっ、と
「表の茶肆には立たないでちょうだい。お客の目に触れないように、
(今は、離婚する男女はごまんといる。多少噂になっても、出戻り娘と、おおきく後ろ指さされるような、そこまでの恥ではない。
顔を隠して暮らさねばならないようなことはない───。)
腹の底で、黒いものがうねるように、悔しさがこみ上げる。
(あたしがどんなに酷い目にあって、十五年耐えてきたか、わかってくれようともしない。)
白 霞は唇を噛む。
(どうしてこんなに冷たいの、お母様。十五歳で嫁ぐ前は、こんなに冷たくはなかった。お母様はワガママでも、仲良く温かい家族のはずだった。
離婚したからか。
離婚した出戻り娘というのは、こんなにも、何もかも境遇を変えてしまうものなのか。)
腹に渦巻いていた悔しさが、ふっ、と冷えた。
白 霞は冷静になった。
(そうだ。あたしは三十歳。もう大人で、
霞はこの現実を、
「……はい。お母さま。」
* * *
白 霞は、実家の自室で、銅鏡を見る。鏡面は綺麗に磨かれ、顔の細かいところまで、よく映し出す。
白 霞は
目の色は、胡人のなかでも珍しいほど、明るく濃い青色で、
目の色は若い頃と変わらない。
でも、顔の印象は変わった。
まだ目の下に皺はないものの、目尻は下がり、顔の輪郭も垂れ、肌のハリも失われた。
三十歳。
老けたのだ。
この年になると、若々しさは飛ぶように逃げていき、女の顔は変わってしまう。十五歳、結婚する前は、あれほどひっきりなしに、男たちが霞をほめそやしたが、その美貌は、もはや
(自分では、中身は若い頃と変わらないように思うのに、年月というのは残酷ね。)
白 霞が失った十五年は、長すぎた。
あまりにも。
「霞? いるの?」
母が来た。小太りの、五十歳くらいの女が後ろにいる。誰だろう?
「はい、お母さま。」
「顔のアザはなおったわね。こちら、
「えっ?」
「安心してね───ぇ。アタークシが良い方を紹介してあげるザマス。ええ本当、良い方っ! 良い方ザマス。」
「ま、待ってください。」
(この人語尾にクセがありすぎる。)
「あたし、もう結婚する気なんて……。」
母と、その
「ほーらね、
ここが道の分かれ道ザマス。今のうちに再婚するのが吉ザマス!」
「そんな、金をせびったりしません。ただ慎ましく暮らしたいだけです。」
幸い、
「慎ましく暮らすのなら、新しい夫のもとで暮らすのが良いザマス。」
「嫌です。」
「んま〜ぁ、そうおっしゃらないで。三十歳と聞きましたが、美しい娘さんザマス。これならお見合い、うまくいきますよ! 安心するザマス。
実はね、もう、今夜、
お相手は、あなたを知ってて、ぜひ、お見合いしたいって言ってくださってるザマス。なんて幸運でしょう! ザマス!」
「そんな勝手な! 嫌よ!」
「ほほ……。」
ザマス女が残忍さを帯びて笑った。
「お美しい娘さんだから、まだご存じないのね、ご自分の価値を。
ご自分が十五歳の、結婚にふさわしい年齢の女のままだと、勘違いしてらっしゃいません?」
女は、早くて十三歳から結婚しはじめ、十八歳までに結婚しおわる。
十五歳で結婚する女が多い。
それが現実だ。
霞も、十五歳で結婚した。
「あなた、十五歳の女の隣に立たされたら、男から見て、どんなに見劣りするか考えたことがあるのかしら?
それだけの美貌ですから、十五歳の頃は、さぞかし、男を選り取り見取りだったでしょうねぇ。わかりますよ。
でもね、今では、男たちは、みーんな、見向きもしないですよ。
みーんな、隣に立った若い女を良いなと思って、選んでいくんですよ。
男とはそれだけ、若い女が好きなのです。
よーく鏡を見て、男から三十歳の女がどう見えるか考えて、謙虚になるザマス。」
「…………。」
今のはこたえた。
ついさっき、鏡を見て、自分の容貌の衰えを自覚したばかりだった。
黙っていた母が、口を開いた。
「我慢しなさい。もう若くないんだから。自分の価値を知りなさい。
今夜、酒肆に行きますよ。良く着飾りなさい。」
「………はい、お母様。」
再婚なんて嫌だ、
そう思うのに、霞は年齢を突き付けられる言葉の数々に打ちのめされて、悲しくうなだれながら、そう返事をしたのだった。
* * *
その日の夕刻。
池のある中庭が敷地内にある、立派な酒肆で。
遠くどこからか管弦の調べが聞こえる、区切られた部屋で。
ザマス女に、
「
と紹介されたお見合い相手は、五十五歳、霞より二十五歳も年上で、ぶよぶよと太り、
むーん、と、なにか鼻をつまみたくなる悪臭がその男からは漂っていた。
(ひぃっ。)
霞は卒倒しそうになった。
(再婚したら、この男に抱かれるの? 嫌、絶対嫌。)
裸の自分がこの男の腕のなかにいるなど、想像さえも嫌だ。
霞はぶるぶると震え、母を見た。
母は、相手の醜さに顔をしかめながらも、霞を威圧するように見た。
その目は、
───我慢しなさい。もう若くないんだから。自分の価値を知りなさい。
と言っていた。
「お会いしたかったですよ、ボクのこと覚えてます? 若い頃はあなた目当てに
多分、その頃はこんなに太ってなかったのだ。霞はこの男を、うっすらとしか思い出せなかった。
ペラペラ喋る男は、
「ん?」
と急に黙った。
「はあ……、
男は失望したように頭を振った。
その場が凍りついたように、霞も、母も、ザマス女も、向こうの母親も黙った。
なんてことはない。
相手の容貌を品定めしていたのは、自分だけではない。
相手だって、霞の容貌を品定めし、失望したのだ。
「うっ……。」
こんなヒキガエル男にすら、自分は結婚を遠慮される。これが現実だ。
「うぅっ!」
霞は嗚咽を漏らす口を手でおさえ、絶望に涙をこぼしながら、その部屋から走って逃げだした。
涙が止まらない。霞は滅茶苦茶に走り、酒肆の中庭にでた。
遠く、管弦の調べ、時々、どっ、と盛り上がる酔客の声がする。
空は日が沈んだばかり。泣きじゃくる霞には、優しい月明かりに照らされる事さえ
蝋燭の灯りが届かない木陰の暗さが、今の霞にはありがたい。
(もう嫌。もう嫌……。そんなに悪いことなの、三十歳になることが。そんなにいけなかったの、離婚したことが。
いいえ、嫌よ。あの生活に戻るのは嫌……。)
「う……、ひっく……。」
霞は木陰で自らを抱きしめ、静かに泣いた。涙が止まらない。
「あっ……。」
男の驚いた声が後ろからして、振り向く。
いつの間にか、近くに男が来ていた。
背が高い、若い男。
といっても、二十五歳すぎだろう。
月明かりに照らされて、肌は白く、目鼻立ちの整った清雅なる美男が、切れ長の目を驚きに見開いている。
『大川サマー。ドコニイルンデスカー?』
少し離れたところから、意味の通じぬ異国の言葉が聞こえた。
↓挿絵です。
https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093090801388786
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