第五話 白 霞、古き友と決別し、新しき友を得る事。
西の空にわずかな茜色がのこり、夜空が藍色に染まり、白い月が輝きはじめる。
そんな建物も、柔らかな夕焼けに薄く染められると、趣がでる。
そんな事をぼんやり考えて歩いていると、すぐ近くの木陰で影が動いた。
「あっ……。」
大川は小さく驚く。
見えたのは、己を抱きしめ小さくなってる背中。
髪を華やかに結い上げ、淡い青の衣、
女だ。
女はパッと振り返った。
泣いている。
抜けるように白い肌、目は夜の闇に溶けそうな深い青、頬をつたう涙が月の光をうけて美しい。泣き顔で表情はゆがんでいるが、美しい顔立ちであるのが見てとれた。
『大川さまー。どこにいるんですかー?』
背後から、大和言葉で、一緒に
大川は後ろをちらりと振り返る。
『いたいた! 大川さま。』
大川が顔を正面に残すと、もう、女は消えていた。
『ん? 誰かいたんですか?』
『いや……、夢だったのかもな。』
幻想的な美女だった。
本当に夢のように思える。
もしあの美女が、夢ではなく現実にいたら……。
(恋しないけどな!)
いくら美女であろうとも、顔が良いだけで恋に落ちたりすることはない。
* * *
そのまま、とぼとぼと、お見合いの部屋に戻った。
見合い相手の男は帰ったあとだった。
ザマス女はペラペラと、
「今回は、とんだ事になりましたけど、これは良い勉強になったわね。三十歳の女が再婚しようとしたら、こんな扱いも、珍しくないんザマス。
だーいじょうぶ、ひきずらないで、次の機会に賭けるザマス!
冷静に己の価値を見つめ直す時間を得られたと思いましょう。
アタークシがついてるザマス。
次の機会は、必ず作ってあげるザマス!」
「……お願いです。放っておいてください。」
霞が心からの望みを、疲れ切った口調で言うと、ザマス女もさすがに黙り、
「……これはちょっと時間が必要ね。また、良い頃合いになったら、声をかけてあげるザマス。」
と一人納得をしていた。
母は、あんな醜い男に自分の娘がふられたのが衝撃だったのだろう、霞を憐れみの目で見てきたが、何も言わないでいてくれたのだけが救いだった。
* * *
「主様。気の休まる香草茶をお持ちしました。」
霞の
「ありがとう。」
「主様……。」
得に理由はない。母親の連れた家奴で数が足りた、というだけだ。
お見合いで何があったか知らない
だが、ソワソワするだけで、うまい言葉が見つからない、という顔をして、黙っている。
「大丈夫よ。さがって。」
「はい。」
一人になって、霞は、泣いた。
思い切り、泣いた。
泣いて泣いて、心にたまった重苦しい鬱憤を、悲しみを、全て洗い流してしまいたかった。
落ち着いてから、すっかりぬるくなった香草茶に口をつけて、霞は眠りについた。
一晩泣き明かすほどの若さは、三十歳の女には、もう、ない。
* * *
翌日。
霞は、友人を、
一月の今は咲いている花はないが、庭は綺麗に手入れされ、大きめの、石造りの木と椅子が居心地が良い。
「こちらです。」
現れた女性、
(離婚をしたあと、やっとゆっくり話せる……。
辛かった話を聞いて欲しい。)
そう望んで
「離婚したのね。子供がいないからよ。」
結婚し、もう三人も子供がいる
「どうしてそんな意地悪を言うの?」
「だぁって……。離婚したいってグチをこぼすのと、本当に離婚しちゃうのは違うのよ。大きな差がそこにはあるの。ああ! 子供さえできていれば、離婚しないですんだのにねぇ。可哀想にねぇ。」
霞も、子供を望んだ。子供が欲しかった。妾にはもう、何人も子供がいるのだ。
望んだからといって、授かるとは限らない。それが子供だ。
「あたしだって、好きで子供ができなかったわけでは……。」
「負け惜しみよ。子供ができない女は、負けよ。ほほほ……。」
(ああ、
知らなかった。)
しかし、
(あたしは、あそこにいるのは限界だったのよ! わかってくれないのね、
霞は悲しくうつむく。
「さっきから聞いていればあなた、ちょっとひどいんじゃない?
女は、子供を産む道具ではなくってよ。
子供を産むだけが女の幸せではないわ。バカらし。
あなた、そこの彼女をいたぶっていじめたいだけでしょ?
意地悪ね。」
ズバズバと小気味良い物言い、二十歳ほどの、目を引く美女だ。
艷やかな黒髪、きりりとしながら、優雅な目元、整った顔立ち。
白い真珠の
お供の女性を連れて、質の良い衣を身に着けている。
お供の女性は、凡庸な顔立ちで、髪の毛に緑色の布を飾っていた。
「誰よあんた!」
「通りすがりの者よ。あまりにあさましい物言いに我慢できなくてね。ごめんあそばせ。」
自称通りすがりの、知らない女は、霞を見た。
「あなたも黙ってないで、言い返せば良いんですのよ。何か弱みでも握られてるの?」
「そんな……、ただの友人です。」
「はっ、友人じゃないわ。暴言をはいて、あなたが傷ついた顔を見て、この方、笑ってらしてよ?
そういうのは、友人って言わないの。」
美女は
「不愉快だわっ!」
と、立ち去った。
「余計な事だったかしら? ごめんなさいね。」
霞はふるふると首をふった。
「あなたの言う通りなんだと思うわ。助け舟をだしてくれて、ありがとうございます。
でも、どうしてここに?
ここは、白家の、奥処です。一般客の来訪を許してはいないのよ。」
美女は、しまった、という顔をして、口元を手で隠した。
「ここのお茶が好きで、いつも通ってるの。今日は、わずらわしい三羽の鳥に追いたてられて、つい、静かなこの場所に足を踏み入れてしまいましたの。許してください。」
霞はくすっと笑った。
「うちのお茶を気に入ってくださり、ありがとうございます。
彼女と食べようと、唐菓子(ドーナツのような揚げたお菓子)を用意してましたの。一緒に食べませんか?」
「いただくわ!」
美女は嬉々として椅子に座った。白い真珠の
「あたくし、
去年、父を亡くして、いろいろ辛くて……。話を聞いてくれる友人が欲しいと思ってましたの。」
「まあ! あたしも、最近、辛いことが重なりすぎて、話を聞いてくれる人が欲しいと思ってたところですのよ。ぜひ、友人になってください。」
* * *
奥庭と
木に囲まれた気持ちの良い小道があり、奥庭からは
「げっ、まだいた。」
彼女をつけまわす、三人の男が、席について優雅にお茶を飲んでいた。
目がくりくりして、男にしては可愛らしい顔立ちの、福耳の男が、
『見ツケター!』
と、
隣に座った、くるんと口ひげの、優雅な雰囲気の男が、
『ニャハハ〜、
と
「
「しつこいわね! あなたがたと話すことはありません。あたくしにまとわりつかないで!」
「
優しげな顔に困った色を浮かべた美貌の男が、店内を歩く男に肩をぶつけられた。
美貌の男は、
「あっ。」
と一歩よろめいた。
「いってぇなあ兄ちゃんヨー。肩が痛いヨー! どうしてくれんだヨー!」
男は酷い
もう十三年前の話になるが、
乱が鎮圧されたあとも、一部の
ようは、ゴロツキだ。
いかつい
「兄ちゃんヨー……。すっげ、美人ヨー……。」
ポーッと赤くなり、でれっと笑って、でっかい身体でもじもじしはじめた。
それを見て、仲間の男たちが、
「ギャー!(バカー! そいつ男だろー!)」
「ギャー!(この
「ギャー!(もういい、やっちまえ!)」
ギャーギャーとわめいた。
仲間の男五人がいっせいに立ち上がり、机をひっくり返し、暴れはじめた。わめきながら、他の客の机もひっくり返し、茶肆にとって迷惑行為を大々的にはじめた。
(迷惑な奴らね。)
(おっと、この隙に。)
緑の布を髪の毛に飾った
「
とささやき、素早く茶肆を出た。
* * *
※著者より。
↓挿絵です。
https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093090524435198
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