第五話 白 霞、古き友と決別し、新しき友を得る事。

 上毛野君かみつけののきみ大川おおかわは、酔いを醒ます為に、酒肆しゅしの庭を歩いていた。


 長安ちょうあんに陽が沈む。

 西の空にわずかな茜色がのこり、夜空が藍色に染まり、白い月が輝きはじめる。


 酒肆しゅしは、二階建てで朱塗り、贅をこらした作りだ。なんというか、派手派手しく主張が強い。

 そんな建物も、柔らかな夕焼けに薄く染められると、趣がでる。


 そんな事をぼんやり考えて歩いていると、すぐ近くの木陰で影が動いた。


「あっ……。」


 大川は小さく驚く。


 見えたのは、己を抱きしめ小さくなってる背中。

 髪を華やかに結い上げ、淡い青の衣、くん(スカート)。

 女だ。

 女はパッと振り返った。

 泣いている。

 抜けるように白い肌、目は夜の闇に溶けそうな深い青、頬をつたう涙が月の光をうけて美しい。泣き顔で表情はゆがんでいるが、美しい顔立ちであるのが見てとれた。


『大川さまー。どこにいるんですかー?』

 

 背後から、大和言葉で、一緒に酒肆しゅしに来ていたみなもとの声がした。

 大川は後ろをちらりと振り返る。


『いたいた! 大川さま。』


 みなもとがあらわれた。

 大川が顔を正面に残すと、もう、女は消えていた。

 

『ん? 誰かいたんですか?』

『いや……、夢だったのかもな。』



 幻想的な美女だった。



 本当に夢のように思える。 



 もしあの美女が、夢ではなく現実にいたら……。



(恋しないけどな!)


 上毛野君かみつけののきみ大川おおかわ、二十七歳。

 いくら美女であろうとも、顔が良いだけで恋に落ちたりすることはない。




    *   *   *




 ハク は、泣き顔を見られてビックリして、木陰を逃げ出した。

 そのまま、とぼとぼと、お見合いの部屋に戻った。

 見合い相手の男は帰ったあとだった。

 ザマス女はペラペラと、


「今回は、とんだ事になりましたけど、これは良い勉強になったわね。三十歳の女が再婚しようとしたら、こんな扱いも、珍しくないんザマス。

 だーいじょうぶ、ひきずらないで、次の機会に賭けるザマス! 

 冷静に己の価値を見つめ直す時間を得られたと思いましょう。

 アタークシがついてるザマス。

 次の機会は、必ず作ってあげるザマス!」

「……お願いです。放っておいてください。」


 霞が心からの望みを、疲れ切った口調で言うと、ザマス女もさすがに黙り、


「……これはちょっと時間が必要ね。また、良い頃合いになったら、声をかけてあげるザマス。」


 と一人納得をしていた。

 母は、あんな醜い男に自分の娘がふられたのが衝撃だったのだろう、霞を憐れみの目で見てきたが、何も言わないでいてくれたのだけが救いだった。





    *   *   *



 ハク が帰宅すると、父親と兄、ケンが、お見合いはどうだったのか、という視線をよこしたが、母親との痛々しい雰囲気に、何も余計な事は言わないでいてくれた。


 は自室に戻った。


「主様。気の休まる香草茶をお持ちしました。」


 霞の家奴かど 疎雨ソウが、香り高いお茶を持ってきてくれた。

 疎雨ソウは、背が高い二十一歳の男で、左頬に大きな刀傷があった。引き締まった体つきで、猫のような静かな身のこなしだ。


「ありがとう。」

「主様……。」


  疎雨ソウは、お見合いの席には連れていかなかった。

 得に理由はない。母親の連れた家奴で数が足りた、というだけだ。


 お見合いで何があったか知らない 疎雨ソウであるが、明らかに傷ついた顔をしている主に、なにか慰める言葉をかけたい、と、ソワソワした。

 だが、ソワソワするだけで、うまい言葉が見つからない、という顔をして、黙っている。

 は、力なく笑った。


「大丈夫よ。さがって。」

「はい。」


 一人になって、霞は、泣いた。

 思い切り、泣いた。

 泣いて泣いて、心にたまった重苦しい鬱憤を、悲しみを、全て洗い流してしまいたかった。


 落ち着いてから、すっかりぬるくなった香草茶に口をつけて、霞は眠りについた。

 一晩泣き明かすほどの若さは、三十歳の女には、もう、ない。




    *   *   *




 翌日。


 霞は、友人を、茶肆ちゃし木蘭もくらんの奥庭、普通の客はいれない、特別な場所に招きいれた。

 一月の今は咲いている花はないが、庭は綺麗に手入れされ、大きめの、石造りの木と椅子が居心地が良い。


「こちらです。」


  疎雨ソウは、丁寧に客人を案内するが、顔はニコリとも笑わず、表情が乏しい。主に関すること以外、感情の起伏がほとんど見えない男なのだ。


 現れた女性、 アンは、結婚する前からの、ハク の古い友人だ。


 (離婚をしたあと、やっとゆっくり話せる……。

 辛かった話を聞いて欲しい。)


 そう望んで アンと会った霞だったが、


「離婚したのね。子供がいないからよ。」


 結婚し、もう三人も子供がいる アンは、勝ち誇ったように言った。霞はとまどった。


「どうしてそんな意地悪を言うの?」

「だぁって……。離婚したいってグチをこぼすのと、本当に離婚しちゃうのは違うのよ。大きな差がそこにはあるの。ああ! 子供さえできていれば、離婚しないですんだのにねぇ。可哀想にねぇ。」


 霞も、子供を望んだ。子供が欲しかった。妾にはもう、何人も子供がいるのだ。

 望んだからといって、授かるとは限らない。それが子供だ。


「あたしだって、好きで子供ができなかったわけでは……。」

「負け惜しみよ。子供ができない女は、負けよ。ほほほ……。」


(ああ、 アンは、友人ではなかったのだ。友人の仮面をかぶった、あたしの敵だったのだ。

 知らなかった。)


 しかし、 アンの言うことも、また真実なのかもしれない。


(あたしは、あそこにいるのは限界だったのよ! わかってくれないのね、 アン。)


 霞は悲しくうつむく。

  疎雨ソウがずっと、隙のない目を茂みの一角いっかくに向けているのに気がつかない。

  疎雨ソウの目線の先、茂みがガサガサと揺れ、二人の若い女が立ち上がった。


「さっきから聞いていればあなた、ちょっとひどいんじゃない?

 女は、子供を産む道具ではなくってよ。

 子供を産むだけが女の幸せではないわ。バカらし。

 あなた、そこの彼女をいたぶっていじめたいだけでしょ?

 意地悪ね。」


 ズバズバと小気味良い物言い、二十歳ほどの、目を引く美女だ。

 艷やかな黒髪、きりりとしながら、優雅な目元、整った顔立ち。

 白い真珠の珠纓しゅえい(ネックレス)。

 お供の女性を連れて、質の良い衣を身に着けている。

 お供の女性は、凡庸な顔立ちで、髪の毛に緑色の布を飾っていた。

 

「誰よあんた!」


  アンは顔を真っ赤にして怒った。


「通りすがりの者よ。あまりにあさましい物言いに我慢できなくてね。ごめんあそばせ。」


 自称通りすがりの、知らない女は、霞を見た。


「あなたも黙ってないで、言い返せば良いんですのよ。何か弱みでも握られてるの?」

「そんな……、ただの友人です。」

「はっ、友人じゃないわ。暴言をはいて、あなたが傷ついた顔を見て、この方、笑ってらしてよ?

 そういうのは、友人って言わないの。」


 美女は アンをきつくにらんだ。 アンは、


「不愉快だわっ!」


 と、立ち去った。


「余計な事だったかしら? ごめんなさいね。」


 霞はふるふると首をふった。


「あなたの言う通りなんだと思うわ。助け舟をだしてくれて、ありがとうございます。

 でも、どうしてここに?

 ここは、白家の、奥処です。一般客の来訪を許してはいないのよ。」


 美女は、しまった、という顔をして、口元を手で隠した。


「ここのお茶が好きで、いつも通ってるの。今日は、わずらわしい三羽の鳥に追いたてられて、つい、静かなこの場所に足を踏み入れてしまいましたの。許してください。」


 霞はくすっと笑った。


「うちのお茶を気に入ってくださり、ありがとうございます。

 彼女と食べようと、唐菓子(ドーナツのような揚げたお菓子)を用意してましたの。一緒に食べませんか?」

「いただくわ!」


 美女は嬉々として椅子に座った。白い真珠の珠纓しゅえいがきらりと光る。


「あたくし、 嬉娘キジョウと言います。良かったら、友人になってくれません?

 去年、父を亡くして、いろいろ辛くて……。話を聞いてくれる友人が欲しいと思ってましたの。」

「まあ! あたしも、最近、辛いことが重なりすぎて、話を聞いてくれる人が欲しいと思ってたところですのよ。ぜひ、友人になってください。」


  嬉娘キジョウハク はおだやかに微笑んだ。




    *   *   *



 奥庭と茶肆ちゃしの間には距離がある。

 木に囲まれた気持ちの良い小道があり、奥庭からは茶肆ちゃしの店内は見えない。


  嬉娘キジョウが新しい友人とお茶と唐菓子を楽しんで、機嫌良く茶肆ちゃし木蘭もくらんの店内に戻ると、


「げっ、まだいた。」


 彼女をつけまわす、三人の男が、席について優雅にお茶を飲んでいた。

 目がくりくりして、男にしては可愛らしい顔立ちの、福耳の男が、


『見ツケター!』


 と、 嬉娘キジョウを指差した。

 隣に座った、くるんと口ひげの、優雅な雰囲気の男が、


『ニャハハ〜、ミナモトヨ、良ク見ツケタ。』


 と檜扇ひおうぎを持って笑い、麗しい美貌の男が席を立ち、 嬉娘キジョウのほうに歩みを進めた。


 嬉娘キジョウ。どうか話を聞いてください。先日のことは謝ります。」

「しつこいわね! あなたがたと話すことはありません。あたくしにまとわりつかないで!」

 嬉娘キジョウ……。」


 優しげな顔に困った色を浮かべた美貌の男が、店内を歩く男に肩をぶつけられた。

 美貌の男は、


「あっ。」


 と一歩よろめいた。


「いってぇなあ兄ちゃんヨー。肩が痛いヨー! どうしてくれんだヨー!」


 男は酷いなまりで、毛織物をふんだんに使った特徴的な衣。

 回紇人かいこつじん(ウイグル)だ。

 もう十三年前の話になるが、安禄山あんろくざんの乱の終結のため、唐は回紇かいこつの手を借りた。

 乱が鎮圧されたあとも、一部の回紇人かいこつじんが長安に居座り、我が物顔で威張って暴行事件を起こし続けた。

 ようは、ゴロツキだ。


 いかつい回紇人かいこつじんは、美貌の男にすごんだが、間近で整った顔を見て、


「兄ちゃんヨー……。すっげ、美人ヨー……。」


 ポーッと赤くなり、でれっと笑って、でっかい身体でもじもじしはじめた。

 それを見て、仲間の男たちが、


「ギャー!(バカー! そいつ男だろー!)」

「ギャー!(この茶肆ちゃしでひと暴れするんだろ、忘れるなボケ。)」

「ギャー!(もういい、やっちまえ!)」


 ギャーギャーとわめいた。回紇かいこつの言葉で意味がわからないが、多分、罵倒ばとうしてる。

 仲間の男五人がいっせいに立ち上がり、机をひっくり返し、暴れはじめた。わめきながら、他の客の机もひっくり返し、茶肆にとって迷惑行為を大々的にはじめた。


(迷惑な奴らね。)


  嬉娘キジョウは、眉をひそめるが、


(おっと、この隙に。)


 緑の布を髪の毛に飾った仕女しじょ(お供の女)に、


スイ ショウ、逃げますよ。」


 とささやき、素早く茶肆を出た。





    *   *   *





 ※著者より。


  嬉嬢キジョウについては、謎があるように書いていますが、歴史を知ってる方には、あっさりわかる事なので、コメントでは、お口チャックでお願いしますね。(^o^)





 ↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093090524435198

     

    

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