第六話 白 霞、面白い企みを思いつく事。

「うちの茶肆ちゃしで暴れないで! やめてください!」


 この茶肆ちゃしの女主人、蒼い目の胡人こじん果敢かかんに、ゴロツキの回紇人かいこつじん(ウイグル)に注意をした。


「邪魔だヨー!」


 いかつい回紇人かいこつじんは、五十代の女主人、ハン を突き飛ばした。


「きゃあ!」


 ハン は床に倒れ、気を失った。

 回紇人かいこつじん二人が店内を荒らすように暴れる。きゃあ、きゃあ、と、居合わせた茶肆ちゃしの客は逃げ惑い、悲鳴をあげた。

 美貌の男に肩をあてにいき、その顔に見惚みとれてモジモジしてしまった回紇人かいこつじんも、


「オラオラァ!」


 椅子を蹴り、机の上の料理やお茶を床に落とし、店内で暴れはじめた。


 残りの回紇人かいこつじん三人が美貌の男に向かう。


大川オオカワサマ!』


 大川と呼ばれた玲瓏たる美男は、


『大丈夫。見狩サマヲ守レ。』


 と机の間をぬって歩いてきた、いかつい男に身構える。


 倚子に座る、くるん、とした口ひげのみやびな男は、


「にゃはは〜。」


 と、なんとも気の抜ける笑い声をだし、


みなもと、やっておしまいなさい!」


 檜扇ひおうぎで、びし、といかつい男どもを指した。

 自分は椅子から立ち上がらない。荒事あらごとは苦手と見える。

 源と呼ばれた、目がくりくりとした可愛い顔立ち、福耳の男は、


「はいっ!」


 元気良く立ち上がり、見狩みかりを背にかばう位置に立った。


 三人の男が大川のもとに達した。

 大川は背が高い。

 いかつい男ほど身体の肩幅はないが、背が高く、体型はスラリとしつつ、武人としても鍛えあげられた逞しい身体を持っていた。


「このぉ、そのお綺麗な顔を殴ってやるヨー!」


 いかつい男が、ぶん、と勢い良く大川に殴りかかる。

 大川はしゃがみ、あっさりと右の拳をかいくぐると、懐にはいり、ぐっと腰を沈め、いかつい男の顎下を打ち抜いた。


「ぬお……。」


 頭を揺らされ、いかつい男は倒れた。次の男が、


「オラァ!」


 大川に殴りかかる。大川は腕を交差し拳を受け流すと、左拳、右拳で相手の顔を殴り、鳩尾みぞおちに左拳をめり込ませた。パン、パン、パン───、続けざまの快音、鮮やかな連撃である。

 相手は痛みにうめき、しゃがみこんだ。


「うおー!」


 三人目、熊のような大男が諸手をあげて襲いかかる。大川は涼しい顔で、すっ、と半身になり、脇腹を拳で鋭く殴った。男が身体を震わせた隙に後ろにまわりこみ、左腕を後ろにひねりあげた。


「ギャー! 痛いヨー。」

「ここは引きあげると言いなさい。」


 見れば、源も、店内で暴れまわった三人の男を、床にのしたあとであった。

 源はぺろっと舌をだし、ぱんぱん手をうって、


「へへっ、楽勝。」


 とイタズラっぽく笑った。二十二歳になっても、どこかわらはっぽさが抜けない男である。

 ちなみに、源も背が高い。大川と源と比べると、大川のほうがわずかに高い。


 二人の背の高い、見目好い男たちの活躍に、


 ───おお〜。


 と居合わせた客から拍手がおこった。

 源と大川は、 嬉娘キジョウを目で探すが、いない。


『大川サマ、郎女イラツメ(お嬢様)ニ逃ゲラレタネ。』

『ソウダナ。』


 まわりの客に聞かせたくない会話は大和言葉で。

 まわりの客に聞かせて良い会話は、唐語で。

 この三人は、自在に言葉を使いこなしていた。


 茶肆の主人、七十代の男が、


「ああ、なんて騒ぎだ……。」


 と茶肆の奥から出てきた。倒れてる妻をみつけ、


! ワシのナーディア!」


 慌てて駆け寄り、肩を抱き上げた。ハン は気がつき、


「あなた……。ううっ。」


 泣きながら、ひし、と抱きついた。


「怪我はないかい?」

「大丈夫ですわ、うっ、うっ……。どうしてこんな目に……。」


 妻を抱きしめながら、人の良さそうな茶肆の主人は、


「ならず者を退治してくださり、感謝申し上げます。ワシの妻まで危ない目にあって、あなたがたがいなかったら、どうなっていたことか……。」


 と、大川と源を見た。


「お名前を教えてください。どのようなお礼をいたしましょう。」

「にゃはは〜。」


 椅子に座ったままだった、くるんとした口ひげの男、見狩みかりが、おっとり笑いつつ立ち上がった。

 見狩も背が高い。

 大川、源についで、三番目に高い。

 優雅に檜扇ひおうぎをパタパタあおぎ、


「私は、ミン カイと申す者。」


 大川が麗しい笑顔で、


オウ クヮです。」


 福耳のみなもとが元気良く、


カン ゲンです!」


 見狩が会話を引き取り、


「我々は、遣唐使。日本からやってきた者ですよ。お礼というなら……。」


 どうしようか? と、見狩は、遣唐使同士で目配せをした。大川が口を開いた。


「お礼というなら、ぜひ、私どもの話し相手になっていただきたい。

 長安のことを知る市井しせいの者で、親しくつきあいができる者が欲しいと思っていたのです。

 簡単な話し相手、時々時間をさいて、会ってくださるような方を探しています。」




    *   *   *




 ハク は思う。


(再婚を断られる現実、男から三十歳女がどう見えるかという現実。そういった事を考えるのはもうウンザリよ。

 あたしの望みは再婚じゃない。

 男なんてどうでも良い。

 あたしの望みは、日々を暮らすのに、もっと心がらくになりたい。心に安寧あんねいをもたらす、ささやかな楽しみが欲しい。

 それだけ。

 もう三十歳の女に、楽しみはないの?

 離婚して実家に戻ったからといって、子ができなかったからといって、人生全てが終わったかのように、灰色の冬の空よりもっと暗い顔をして、陰鬱に残りの人生を過ごすしかないの?

 幸せにはなれないの?

 そんなの嫌。

 もっと自由になりたい。

 もっとワクワクするような、思いっきり楽しい事がしたい。)


 元夫には、繰り返し、


「おまえは何もできない女なんだよ。」


 と言われた。


(……あたしは、何もできない女じゃないわ。)


 は、家族の集う居間で一人、椅子に座り、机の上の両手を握りしめた。

 後ろには、 疎雨ソウが控えている。

 ここには、疎雨ソウの二人しかいない。


(思えば、子供時代は、もっと自由だった。明るく、どちらかと言えば、元気すぎてまわりの大人を困らせるような子供だった。

 それがあたしの本来持っている、真実の姿であるはずだ。)


 二歳差の兄上になりすまして、お父様の商隊についていった事だってある。


ケンじゃなくてじゃないか! 霞のお転婆てんばさんには困ったものだな。」


 と、優しいお父様の馬に乗せてもらった……。


 そんな事を考えていると、兄、ケンが居間に入ってきた。


「あぁ、面倒なことだ。」


 頭をぼりぼりとかいている。


「どうなさったの?」

「お父様が、ならず者から茶肆ちゃしを守ってくれた恩人の話し相手をしろって言うんだ。

 オレは会ってない、知らない相手なんだけどなぁ。

 その恩人は、別に商談でもなんでもない、ただお話相手が欲しいんだとさ。

 別に話相手になるのはかまわないが、何日かごとに会ってほしい、との事だ。こっちは大きな商談を詰めるのに時間が欲しいのに、お父様はわかってくれないよ。」


(これだ───!)


 ハク ひらめいた。


「お兄様! あたしがお兄様にかわって、その恩人の話相手をするわ!」

「ええっ?」

「男のフリをして、健と名乗って会うわ。そうでないとお父様の顔をつぶしてしまうでしょう?」

、子供の頃はともかく、今のおまえはオレとは似ても似つかないぞ。」

「似てる必要はないわ。お兄様もまだ会ったことがない相手なんでしょう? あたしこそケンだと始めから思わせれば良いのよ。」


 健は絶句したが、熱心に頼み込むに、しまいには折れた。

 健は、実家に帰って来てから、ずっと塞ぎ込んでる妹を心配していた。

 そのが珍しくはしゃいでいるので、とても断りきれなかったのである。





    *   *   *





「おまたせしました。」


 男装した……と言っても、髪型を男らしくまとめ、化粧をせず、衣を兄から借りただけ、という、実に簡単な男装で、ハク はワクワクしながら、客人を通した客室に足を踏み入れた。

 客室には、一人の背の高い男がいて、椅子から立ち上がり、拱手きょうしゅをした。


オウ クヮです。」





    








↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093090638637478

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る