第二話 白 霞、李 盛と離婚する事。

  は、同じ敷地内の、義父母の屋敷に泣きながら駆け込んだ。

 義父は不在で、義母、ショウ バイがいた。


「うわぁぁぁ……。お義母さま。もう無理です。セイと離婚させてください。」


 義母は戸惑った。


「夫が、あろうことか、あたしの家婢かひと、今さっき書斎で……。ああ! 汚らわしい! あたしは二人が裸でいるところを見てしまったんです。そしたら夫が、あたしを殴って。殴って……。わあぁ……!」


 いつもにイヤミばかりを言う義母が、の涙、腫れあがった頬、血で濡れた手を見て、同情の顔で眉をひそめた。

 家婢かひに傷の手当てをするよう命じてから、


「離婚するとは……。本気なの?」


 と、霞に言った。

 霞は小さくなって震え、こくり、と頷いた。


(もう、夫を欠片も愛せない。心から離婚したい。)


「あたしは、七出しちしゅつ(※注一)の、無子むし(男児が産めない)に該当します。

 離婚させてください。」


 義母はしばらく黙って、霞の顔を見ていたが、ぽつりと、


「我が息子ながら、商売人の顔をこんなになるまで殴るなんてね。

 それじゃ、何日も珠玉肆しゅぎょくし(宝石店)に立てないでしょうに。

 そんな事も考えずに、あの子はあなたを殴ったのね。」


 ショウ バイは深いため息をついた。


「ええ、おまえは子供をもうけられない嫁に該当するわね。

 あれこれ至らない嫁だけど、おまえは茶肆ちゃし(喫茶店)の娘だけあって、お茶を淹れるのがうまかったわ。六人の親族を呼ぶから、お茶をれておやり。

 それまではあたしの屋敷にいなさい。」

「ありがとうございます!!」


 離婚を許す、手続きが終わるまでは、夫のいる屋敷ではなく、義父母の屋敷に寝泊まりして良い、と言ったのだ。

 霞は拱手きょうしゅした。


 離婚手続きの書類が整うまで、義父母の屋敷を出ず、夫と会わなかった。

  セイはしつこく義父母の屋敷に来たが、全て、義母が追い返してくれた。





     *   *   *






『ついに子はできなかった。

 愛に満ちた二人の住まいは、いつの間にかいたちねずみ住処すみかになった。

 二人は憎みあうようになり、和解をする事もない。

  セイは妻と別れ、妻が新しい結婚をし、新しい幸せを手に入れる事を望む。

 ハク は夫と別れ、夫が新しい結婚をし、仕事のますます栄える事を望む。

 ここに六人の親族が立ち会い、これを認める───。』







 義父母の屋敷の一室。

 霞の見つめる先で、離婚の書類に、六人の親族が名前を記し終わった。


 バン! 扉が荒々しく開き、血相けっそうを変えた セイが、押し留めようとする家奴かど(下男)をふりきって入ってきた。


「認めない、認めないぞ! 勝手に離婚の書類を作りやがって! はオレの妻だ。オレのものだ!」


  セイはこの離婚の書類に記名をしていない。

 でも書類は有効だ。

 七出には不孝がある。姑が離婚を申し立てる事も、認められているのだ。


  セイは暴れながら、机の上の離婚の書類に手を伸ばそうとする。

 破り捨てる気だ。

 義母が今までで一番大きな声をだした。


七出しちしゅつに該当する嫁は実家に返します。姑であるあたしが、離婚と決めたら離婚するのよ!」


 反論は許さぬ、という威厳で李 盛を見た。


「息子を取り押さえて、つまみ出しなさい!」


 やれやれ、という顔で、親族の男たちが義母に従う。

 大勢の男に取り押さえられても、


「お母様、考え直してください!

 霞はオレがいないと駄目なんです。何もできない女なんだ。

 離婚なんて認めない。

 お母様っ! 霞! 霞───っ!」


 李 盛は暴れ続け、叫ぶことをやめず、男たちに引きずられるように部屋から連れ出された。


 やっと静かになり、義母は、ふーっ、と深いため息をついた。

 そして峻厳しゅんげんな顔で霞を見た。

 もう、義理の娘を見るのではなく、他人を見る目だ。


。この書類を大理寺だいりじ(役所)に出せば、離婚は成立です。

 もう会うこともないでしょう。

 ───さようなら。」

「はい。ありがとうございました。さようなら……。」





 



 ハク は書類をすぐに提出した。

  セイハク の離婚は成立した。


(終わった。これで終わったんだ……。あたしは、もう李家の人間じゃない。盛の妻じゃない。もう、盛は関わりない者。殴られる事も、苦しめられる事もない。)


 霞は天をあおいだ。

 肩からすーっと力が抜けてゆき、心が軽くなり、呼吸が楽になった気がした。

 




   *   *   *




(※注一)……七出しちしゅつ

 旧中国で夫が妻を離婚させられる七つの事由。

(1)無子(男がないこと。女は子の数に入らぬ。)

(2)姦淫。

(3)不孝ふこう。(しゅうとしゅうとめにつかえない。)

(4)口舌多言。(人の悪口を言う。)

(5)盗窃。

(6)嫉妬。

(7)悪疾。(悪い病気にかかった。)


 ただし、舅姑の喪を守った妻、糟糠そうこうの妻、妻の実家がすでにない場合は、(姦淫、悪疾をのぞいて)離婚は許されなかった。




【離婚について補足】


 離婚は当時、珍しくありませんでした。

 離婚したら、男も女も、再婚するのが普通でした。


 姑が、嫁が気に入らない、と、離婚を申し立てる事もあったとか。

(ただし、夫のサイン不要、親族6人のサイン要は、架空)


 一方、妻が浮気するのも、割と普通でした。(ここでは金持ちの妻について語る)

 それでも離婚されないの〜?!

 ケースバイケースだったんじゃないかな。

 夫は、仕入れで長期不在が当たり前、そして、妾もいるし、妓楼遊びが風流とされた時代だし、妾にしない家婢かひに手も出し放題。

 妻は夜が寂しかったはずです。


「あなたぁ〜!(怒)」


 と、妻に嫉妬されるより、跡継ぎ男さえ産めば、妻は妻で、家奴かど(男の奴隷)を好きにしたり、外で男を作ったりしても、


「見て見ないフリをしてるほうが、夫婦円満だよ。」


 と夫はぼやいていたかもしれません。

 七出は、建前たてまえ的なところがあり、妻の浮気さえある程度、普通だよね、という社会通念だったようです。


 しかし、我らが霞は、潔癖ぎみな母親にしつけられ、浮気はもってのほか! という考えの清純な妻でした。浮気したことはありません。








↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093090521711405


    

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