[第十七話][この場所は一体何?果たして彼は何者なのか?]

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

[第十七話][この場所は一体何?果たして彼は何者なのか?]

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


<2024年4月1日>→17時39分→/場所 秘密の山奥/


「ここは何処なんだ?」


「ここが何処かは話すことは出来ない」


そう言って二人は森の中を歩いていた。


「……しかしこの私は両腕が義手だし守さんも

両足が義足にこれからなるなんてなんか不思議な気分ですね」


「……そうだな」


そう二人は森の中を歩き続けると

一つの神社の様な寺の様な場所に辿り着いた。


「ここからはこの俺一人で行く、もしも六時間以内に戻って来なかったら

この柱に触れてこう言ってくれこの私こそが神域の新たなる管理者であると」


「…………わかった」


「それじゃあ頼んだぞ乃々」


そう言って一人神社や寺が融合した様な場所に入っていった。




◇◇◇




「何で予言にもない全ての危機をこの俺は救っているんだ?

まあ真なる全てを救う存在になったからなんだろうけれどな」


そう独り言を言いながら神社や寺が融合した

様な場所を歩き続けてあるところで守は止まった。


「ここにお札と縄を結んでこれをこうして

これをこうして真ん中に伊邪那美命を置いて」


それを行って距離を空けて深呼吸をすると守は唱えた。


「神の在座 鳥居に伊禮ば 此身より 日月の宮と 安らげくす」


「今の現に 不思慮も 

大神の御門辺を 欲過と為て 

慎み 敬ひ 拝み 奉る 

此状を 平けく 安けく 

聞食と 恐み恐みも 白す」


「集侍はれる親王 諸王 諸臣 百官人等諸聞食せと宣る

天皇が朝廷に仕奉る 比礼挂くる伴男 手襁挂くる伴男 靫負ふ伴男 剱佩く伴男 伴男の八十伴男を始めて 官官に仕奉る人等の 過犯しけむ雑雑の罪を 今年の六月の晦の大祓に 祓給ひ清給ふ事を 諸聞食せと宣る

高天原に神留り坐す 皇親神漏岐神漏美の命以ちて 八百万の神等を 神集に集賜ひ 神議に議賜て 我が皇孫之尊は 豊葦原の水穂の国を 安国と平けく所知食と事依し奉き

如此依し奉し国中に荒振神達をば 神問しに問し賜ひ 神掃に掃賜ひて 語問し磐根樹の立草の垣葉をも語止て 天磐座放ち 天の八重雲を伊頭の千別に千別て 天降依し奉き

如此依さし奉し四方の国中と 大倭日高見之国を安国と定奉て 下津磐根に宮柱太敷立て 高天原に千木高知て 皇御孫之命の美頭の御舎仕奉て 天之御蔭日之御蔭と隠坐て 安国と平けく所知食む国中に成出む 天の益人等が 過犯けむ雑々の罪事は

天津罪と 畦放 溝埋 樋放 頻蒔 串刺 生剥 逆剥 屎戸 ここだくの罪を 天津罪と法別て

国津罪と 生膚断死膚断 白人胡久美 己が母犯罪己が子犯罪 母と子と犯罪子と母と犯罪 畜犯罪 昆虫の災 高津神の災 高津鳥の災 畜仆し蟲物為罪 ここだくの罪出でむ

如此出ば 天津宮事を以て 大中臣天津金木を本打切末打断て 千座の置座に置足はして 天津菅曾を本苅断末苅切て 八針に取辟て 天津祝詞の太祝詞事を宣れ

如此乃良ば 天津神は天磐門を押披て 天之八重雲を伊頭の千別に千別て所聞食む 国津神は高山乃末短山之末に登坐して 高山の伊穂理短山の伊穂理を撥別て所聞食む

如此所聞食てば 皇御孫之命の朝廷を始て 天下四方国には 罪と云ふ罪は不在と 科戸之風の天之八重雲を吹放事之如く 朝之御霧夕之御霧を朝風夕風の吹掃事之如く 大津辺に居る大船を 舳解放艫解放て大海原に押放事之如く 彼方之繁木が本を焼鎌の敏鎌以て打掃事之如く 遺る罪は不在と 祓賜ひ清賜事を 高山之末短山之末より 佐久那太理に落多支都速川の瀬に坐す瀬織津比咩と云神大海原に持出なむ 如此持出往ば 荒塩之塩の八百道の八塩道之塩の八百会に坐す速開都比咩と云神 持かか呑てむ 如此かか呑ては 気吹戸に坐す気吹主と云神 根国底之国に気吹放てむ

如此気吹放ては 根国底之国に坐す速佐須良比咩と云神 持さすらひ失てむ

如此失てば 今日より始て罪と云ふ罪は不在と 高天原に耳振立聞物と馬牽立て 今年の六月の晦日の 夕日之降の大祓に 祓給ひ清給ふ事を 諸聞食せと宣る

四国の卜部等 大川道に持退出て祓却と宣る」


「掛介麻久母畏伎伊邪那岐大神筑紫乃日向乃橘小戸乃阿波岐原爾御禊祓閉給比志時爾生里坐世留祓戸乃大神等 惟神奈留大道乃中爾生令氐在奈賀良其御蔭乎志深久思波受氐皇神等乃御恵乎大呂加爾思比多利志時爾過知犯勢留波更奈里今母罪穢有良牟乎婆祓閉給比清米給閉登白須事乎八百万乃神等共爾聞食世登恐美恐美母白須」


「掛介麻久母畏伎伊邪那岐大神筑紫乃日向乃橘小戸乃阿波岐原爾御禊祓閉給比志時爾生里坐世留祓戸乃大神等諸乃禍事罪穢有良牟乎婆祓閉給比清米給閉登白須事乎聞食世登恐美恐美母白須」


「掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等 諸々の禍事 罪 穢 有らむをば 祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと 恐み恐みも白す」


「高天原に神留坐す 皇親神漏岐神漏美命以ちて 日向の橘の小戸の檍原の九柱の神 八十枉津日神 神直日神 大直日神 底津少童命 底筒男命 中津少童命 中筒男命 表津少童命 表筒男命 粟水門及速吸名門の六柱の神 磐土神 神直日神 大直日神 底土神 大綾津日神 赤土神達 諸の汚穢を祓ひ賜へ清め賜へと申す事の由を 左男鹿の八の耳を振り立てて聞食せと申す」


「高天原に神留座す 皇親神漏岐神漏美の命を以て 日向の橘の小門の檍原の九柱の神 粟の水門及び速吸名門の六柱の神達 諸の汚穢を祓ひ賜ひ清め賜へと申す事の由を 左男鹿の八つの耳を振り立てて聞食せと申す」


「高天原に神留座須 皇御親の神伊弉諾尊 衆神身曾岐の大水時に成生せる神 八十禍津日神 大禍津日神 神直日神 大直日神 底津少童神 底筒男尊 中津少童神 中津都男尊 上津玉積神 上津都男尊 及祓殿の諸神神 諸の障り汚を 祓ひ清むる事の由を 平けく安けく御諫給ひて聞し食せと臼す」


「高天原に神留坐す 神魯岐神魯美の命以て 皇御祖神伊邪那岐命 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に  御禊祓ひ給ひし時に生れ坐る祓戸の大神等  諸の枉事 罪 穢れを祓ひ給へ清め給へと申す事の由を  天津神国津神八百万の神等共に  天の斑駒の耳振り立てて聞食せと 恐み恐み白す」


「掛けまくも畏かしこき祓処の大神等 万の枉事罪穢を攘ひ給ひ清め給へと 畏み畏みも拝み奉らくと白す」


「高天原に大天主太神 あまたの天使をつどへて永遠に神つまります 神ろぎ神ろみの御言もちて  神伊邪那岐尊つくしのひむかのたちはなのをどのあはぎがはらに  みそぎ祓ひたまふ時になりませる祓戸の大神たち  もろもろの曲事罪穢を 祓ひたまへ清めたまへとまをす事の由を  天津神 国津神 八百万の神たちともに 天の斑駒の耳ふり立てて聞こしめせと 恐み恐みも白す」


「高天原に神留坐す皇親神漏岐神漏美の命以て 神随と所知食て皇祖の御身之穢濁を滌去とて 粟水門及速吸名門に往坐て興言して詔曰 此の二門は太急しと日向の立花の小戸の阿波岐原に往坐て 上津瀬は太疾く下津瀬は太弱とて 中津瀬に濯払賜ふ時生坐る 九柱神等祓賜ひ清賜ふ 神直日大直日二柱神等は 八十禍事を直賜ひ 禍津日神の禍有しめず 住吉に斎奉 底筒男命 中筒男命 表筒男命 又阿雲連等が所祭 底津少童命 中津少童命 表津少童命 諸の汚穢を祓清賜を 瀬織津姫神 海原に持出なむ 如此持出しを 速秋津姫神 速吸名門へ持加加呑て 気吹戸主神 根国底国へ気吹放ちて 汚穢と云濁悪は有じと 祓賜ひ清賜へと白言の由を 祓戸神等 及 月山大神 出羽大神 湯殿山大神等共に所聞食と恐み恐みも白す」


「高天原に神つまります 大天主太神の命もちて 八百万の神たちを神集へに集へたまひ 神議りに議りたまひて 伊都の大神 美都の大神は豊葦原の水穂の国を 安国と平けく所知食さむと天降りたまひき かく天降りたまひし四方の国中に荒振神たちをば 神問しに問したまひ 神掃ひに掃ひたまひて 語問ひし磐根樹根立草の片葉をも語止めて 天之磐座放ち 天之八重雲を伊都の千別きに千別きて天降りたまひき かく天降りたまひし四方の国中を 安国と定め奉りて 下津磐根に宮柱太敷立て 高天原に千木多加知りて 皇大神の美頭の御舎仕へ奉りて 天の御蔭日の御蔭と隠りまして 安国と平けく所知食さむ国中に成出でむ天の益人等が過犯しけむ雑々の罪事は 天津罪とは あはなち みぞうめ ひはなち しきまき いけはぎ さかはぎ くそへ ここたくの罪を 天津罪と詔りわけて 国津罪とは 生はだだち 死はだだち しらひとこくみ 己がははをかせる罪 己が子をかせる罪 ははと子とをかせる罪 子とははとをかせる罪 畜をかせる罪 昆虫の災 高津神の災 高津鳥の災 畜仆し蠱物せる罪 ここたくの罪出でむ かく出でば天津宮言もて 天津金木を本打切り末打断ちて 千座の置座に置足はして 天津菅曾を本刈断ち末刈切りて 八針に取裂きて 天津祝詞の太祝詞言を宣れ かく宣らば
天津神は天の磐戸を推披きて 天の八重雲をいづの千別きに千別きて所聞食さむ 国津神は高山の末 短山の末に上りまして 高山のいほり 短山のいほりを掻別けて所聞食さむ かく所聞食しては罪といふ罪はあらじと 科戸の風の天の八重雲を吹放つことの如く 朝の御霧夕の御霧を 朝風夕風の吹掃ふことの如く 大津辺にをる大船を舳解放ち艫解放ちて大海原に押放つことの如く 彼方の繁木が本を焼鎌の敏鎌もて打掃ふことの如く 遺る罪はあらじと祓ひ給ひ清めたまふ事を 高山の末 短山の末より さくなだりに落ちたきつ速川の瀬にます瀬織津比売といふ神 大海原に持出でなむ かく持出で往なば 荒塩の塩の八百道の八塩道の塩の八百会にます 速秋津比売といふ神 持可可呑みてむ かく可可呑みては 気吹戸にます気吹戸主といふ神、根の国底の国に気吹放ちてむ かく気吹放ちては 根の国底の国にます速佐須良比売といふ神 持佐須良比失ひてむ かく失ひては 現身の身にも心にも罪といふ罪はあらじと 祓ひたまへ清めたまへと白すことを所聞食せと 恐み恐みも白す」


「高天原に神留り坐す 皇親神漏岐 神漏美の命以て 八百萬神等を神集へに集へ賜ひ 神議りに議り賜ひ て 我が皇御孫命は 豊葦原瑞穂國を 安國と平らけく知ろし食せと 事依さし奉りき 此く依さし奉り し國中に 荒振る神等をば 神問はしに問はし賜ひ 神掃ひに掃ひ賜ひて 語問ひし 磐根 樹根立 草の片葉をも語止めて 天の磐座放ち 天の八重雲を 伊頭の千別きに千別きて 天降し依さし奉りき 此く依さし奉りし四方の國中と 大倭日高見國を安國と定め奉りて 下つ磐根に宮柱太敷き立て 高天原に千木高知りて 皇御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて 天の御蔭 日の御蔭と隠り坐して 安國と平けく 知ろし食さむ國中に成り出でむ天の益人等が 過ち犯しけむ種種の罪事は 天つ罪 國つ罪 許許太久の 罪出でむ 此く出でば 天つ宮事以ちて 天つ金木を本打ち切り 末打ち断ちて 千座の置座に置き足 らはして 天つ菅麻を 本刈り断ち 末刈り切りて 八針に取り辟きて 天つ祝詞の太祝詞を宣れ 此く宣らば 天つ神は天の磐門を押し披きて 天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 聞こし食さむ 國つ神は高山の末 短山の末に上り坐して 高山の伊褒理 短山の伊褒理を掻き別けて聞こし食さむ 此く聞こし食してば 罪と言ふ罪は在らじと 科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く 朝の御霧 夕の御霧を 朝風 夕風の吹き払ふ事の如く 大津辺に居る大船を 舳解き放ち 艫解き放ちて 大海原 に押し放つ事の如く 彼方の繁木が本を 焼鎌の敏鎌以ちて 打ち掃ふ事の如く 遺る罪は在らじと 祓 へ給ひ清め給ふ事を 高山の末 短山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ 速川の瀬に坐す瀬織津比賣 と言ふ神 大海原に持ち出でなむ 此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百會に坐 す速開都比賣と言ふ神 持ち加加呑みてむ 此く加加呑みてば 気吹戸に坐す気吹戸主と言ふ神 根 底國に気吹き放ちてむ 此く気吹き放ちてば 根國 底國に坐す速佐須良比賣と言ふ神 持ち佐須良ひ失 ひてむ 此く佐須良ひ失ひてば 罪と言ふ罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を 天つ神 國つ神 八百 萬神等共に 聞こし食せと白す」


「高天原に神留坐す 皇親神漏岐神漏美の命を以て 八百万の神等を 神集に集賜ひ 神議に議賜て 我皇孫尊は 豊葦原の水穂の国を 安国と平けく所知食と事依し奉き
如此依し奉し国中に荒振神達をば 神問しに問賜ひ 神掃に掃賜ひて 語問し磐根樹立草の垣葉をも語止て 天の磐座放ち 天の八重雲を伊豆千別に千別て 天降依し奉き
如此依し奉し四方の国中と 大倭日高見の国を安国と定奉て 下津磐根に宮柱太敷立て 高天原に千木高知て 皇孫尊の美頭の御舎仕奉て 天の御蔭日の御蔭と隠坐て 安国と平けく所知食む国中に成出でむ 天の益人等が 過犯けむ雑々の罪事は
天津罪とは 畦放 溝埋 樋放 頻蒔 串刺 生剥 逆剥 屎戸 許々太久の罪を天津罪と宣別て
国津罪とは 生膚断死膚断 白人胡久美 己が母犯せる罪己が子犯せる罪 母と子と犯罪子と母と犯罪 畜犯罪 昆虫の災 高津神の災 高津鳥の災 畜仆し蟲物為罪 許々太久の罪出でむ
如此出ば 天津宮事以て 天津金木を本打切末打断て 千座の置座に置足はして 天津菅曾を本苅断末苅切て 八針に取辟て
天津祝詞の太祝詞事を宣れ 如此宣ば
天津神は天の磐門を押開きて 天の八重雲を伊豆の千別に千別て所聞食む 国津神は高山の末短山の末に登坐して 高山の伊穂理短山の伊穂理を撥別て所聞食む
如此所聞食ては 罪と云罪は不在と 科戸の風の天の八重雲を吹放つ事の如く 朝の御霧夕の御霧を朝風夕風の吹掃事の如く 大津辺に居る大船を舳解放艫解放て大海原に押放事の如く 彼方の繁木が本を焼鎌の敏鎌以て打掃事の如く 遺る罪は不在と 祓賜ひ清賜事を 高山之末短山之末より 佐久那太理に落瀧つ速川の瀬に坐す瀬織津比咩と云神大海原に持出なむ 如此持出往ば 荒塩の塩の八百道の八塩道の塩の八百会に坐す速開都比咩と云神 持可可呑てむ 如此可可呑てば 気吹戸に坐す気吹戸主と云神 根国底国に気吹放てむ
如此気吹放てば 根国底国に坐す速佐須良比咩と云神 持佐須良比失てむ
如此失てば 今日より始て罪と云罪は不在と 祓賜ひ清賜事天津神国津神八百万神等共に所聞食と申す」


「高天原に神留坐す 皇親神漏岐神漏美の命を以て 八百万の神等を 神集に集賜ひ 神議に議賜て 我皇孫尊をば 豊葦原の水穂の国を 安国と平けく所知食と事依し奉き
如此依し奉し国中に荒振神達を 神問しに問賜ひ 神掃に掃賜ひて 語問し磐根樹の立草の垣葉をも語止て 天磐座放ち 天の八重雲を伊豆の千別に千別て 天降依し奉き
如此依し奉し四方の国中に 大倭日高見の国を安国と定奉て 下津磐根に宮柱太敷立て 高天原に千木高知て 吾皇孫尊の美頭の御舎に仕奉て 天の御蔭日の御蔭と隠坐て 安国と平けく所知食む国中に成出む 天の益人等が 過犯けむ雑々の罪事を
天津罪とは 畦放 溝埋 樋放 頻蒔 串刺 生剥 逆剥 屎戸 許々太久の罪を天津罪と宣別て
国津罪とは 生膚断死膚断 白人胡久美 己が母犯罪己が子犯罪 母と子と犯罪子と母と犯罪 畜犯罪 昆虫の災 高津神の災 高津鳥の災 畜仆し蟲物為罪 許々太久の罪出でむ
如此出ば 天津宮事を以て 天津金木を本打切末打断て 千座の置座に置足はして 天津菅曾を本苅断末苅切て 八針に取辟て
天津祝詞の太祝詞事を宣れ 如此宣ば
天津神は天之磐門を押開き 天之八重雲を伊豆の千別に千別て所聞食む 国津神は高山の末短山の末に登坐して 高山の伊穂理短山の伊穂理を撥別て所聞食む
如此所聞食ては 罪と云罪は不在と 科戸の風の天の八重雲を吹放事の如く 朝の御霧夕の御霧を朝風夕風の吹掃事の如く 大津辺に居る大船の舳解放艫解放て大海原に押放事如く 彼方の繁木が本を焼鎌の敏鎌以て打掃事の如く 遺れる罪は不在と 祓賜ひ清賜事を 高山之末短山之末より 佐久那太理に落瀧つ速川の瀬に坐す瀬織津比咩と云神大海原に持出なむ 如此持出往ば 荒塩の塩の八百道の八塩道の塩の八百会に坐す速開都比咩と云神 持可可呑てむ 如此可可呑ては 気吹戸に坐す気吹主と云神 根国底国に気吹放てむ
如此気吹放ては 根国底国に坐す速佐須良比咩と云神 持佐須良比失てむ
如此失ては 自以後始て罪と云罪咎と云咎は不在物をと 祓賜ひ清賜と申す事の由を 八百万神等諸共に左男鹿の八の耳を振立て所聞食と申す」


「ひふみ よいむなや こともちろらね

しきる ゆゐつわぬ そをたはめくか

うおえ にさりへて のますあせゑほれけ」


「 高天原に坐し坐して 天と地に御働きを現し給う龍王は

大宇宙根源の 御親の御使いにして 一切を産み 一切を育て

萬者をご支配あらせ給う 王神なれば

1 二三四五六七八九十の

十種の御寶を 己が姿と変じ給いて

自在自由に 天界地界人界を 治め給う

龍王神なるを 尊み敬いて

眞の六根一筋に 御仕え申すことの由を 受け引き給いて

愚かなる心の数々を 戒め給いて

一切衆生の罪穢れの衣を 脱ぎさらしめ給いて

萬物の 病災をも 立所に祓い清め給い

萬世界も御親のもとに治めせしめ給へと

祈願奉ることの由をきこしめして

六根の内に念じ申す 大願を成就なさしめ給へと

畏恐み畏恐み白す」


「高天原に坐し坐して

天と地に御働きを現し給う

龍王は大宇宙根元の

御祖の御使いにして

一切を産み一切を育て

萬物を御支配あらせ給う

王神なれば

一二三四五六七八九十の十種の

御寶を己がすがたと

變じ給いて

自在自由に天界地界人界を

治め給う

龍王神なるを尊み敬いて

眞の六根一筋に

御仕え申すことの由を

受引き給いて

愚なる心の數々を戒め給いて

一切衆生の罪穢の衣を

脱ぎ去らしめ給いて

萬物の病災をも

立所に祓い清め給い

萬世界も

御祖のもとに

治めせしめ給へと祈願奉る

ことの由をきこしめして

六根の内に念じ申す

大願を成就なさしめ給へと

恐み恐み白す」


「瀛都鏡 辺都鏡 八握剣 生玉 死反玉

足玉 道反玉 蛇比礼 蜂比礼 品々物比礼」


そう唱え続けた。




◇◇◇




「………………………そろそろ五時間が経つ」


そう一人神社や寺が融合した様な場所の前で待っていると。


「済まない待たせた」


「封印はちゃんと行えたの?」


「ああ完璧に封印したから問題はない……………

このあと俺は足に義足を与えに行くがついてくるか?」


「そうだな、一応ついて行こう」


そうして二人は戦闘機に乗って病院に行ってそこで

義足を取り付けて貰って二人で外に出るとそこは戦場であった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

[解説「祝詞・祓・祭文について」

Wikiから引用すると

祓詞(はらえのことば、はらえことば)とは、

神事の前に必ず行われる祓の時に唱えられる祝詞の一種。

すなわち、 「掛介麻久母畏伎伊邪那岐大神筑紫乃日向乃橘小戸乃阿波岐原爾御禊祓閉給比志時爾生里坐世留祓戸乃大神等諸乃禍事罪穢有良牟乎婆祓閉給比清米給閉登白須事乎聞食世登恐美恐美母白須」

(かけまくもかしこきいざなぎのおほかみつくしのひむかのたちばなノをどのあはぎはらにみそぎはらへたまひしときになりませるはらへどのおほかみたちもろもろのまがことつみけがれあらむをばはらへたまひきよめたまへとまをすことをきこしめせとかしこみかしこみもまをす)

書き下し:

掛かけまくも畏かしこき伊邪那岐大神いざなぎのおほかみ、筑紫つくしの日向ひむかの橘たちばなの小戸をどの阿波岐原あはぎはらに、御禊みそぎ祓はらへ給たまひし時ときに生なり坐ませる祓戸はらへどの大神等おほかみたち、諸もろもろの禍事まがごと・罪つみ穢けがれ有あらむをば、祓はらへ給たまひ清きよめ給たまへと白まをす事ことを聞食きこしめせと、恐かしこみ恐かしこみ白まをす、—[1]

である。

『古事記』や『日本書紀』が伝える神話によると、

伊邪那岐神は死者の国へ行き心身が穢れ、帰って来た。

そこで筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原と言う場所で、

海水を浴びて禊を行った。その時、多くの祓戸の神々が生まれた。

この神々の力により、多くの罪や穢れを清められたとある。

さて、祓詞を唱えれば、

祓戸の神々の御神力により、罪や穢れが清められると言われる[2]。


出雲大社の祓詞

出雲大社では、通常とは異なる文言の祓詞を唱える。すなわち下記の通りである。「掛介麻久母畏伎伊邪那岐大神筑紫乃日向乃橘小戸乃阿波岐原爾御禊祓閉給比志時爾生里坐世留祓戸乃大神等 惟神奈留大道乃中爾生令氐在奈賀良其御蔭乎志深久思波受氐皇神等乃御恵乎大呂加爾思比多利志時爾過知犯勢留波更奈里今母罪穢有良牟乎婆祓閉給比清米給閉登白須事乎八百万乃神等共爾聞食世登恐美恐美母白須」(かけまくもかしこきいざなぎのおほかみつくしのひむかのたちばなのをどのあはぎはらにみそぎはらへたまひしときになりませるはらへどのおほかみたちかみながらなるおほみちのなかにうまれてありながらそのみかげをしふかくおもはずてすめかみたちのみめぐみをおほろかにおもひたりしときにあやまちおかせるはさらなりいまもつみけがれあらむをばはらへたまひきよめたまへとまをすことをやおよろずのかみたちともにきこしめせとかしこみかしこみもまをす)[3]。


祓(はらえ、はらい)は、神道の宗教行為で、

天津罪・国津罪などの罪や穢れ、災厄などの

不浄を心身から取り除くための神事・呪術である。


伊勢神宮内宮の年越大祓

祓の神事を行うことを、修祓(しゅばつ、しゅうほつ)という。

一般に、神前での祈祷を、災厄除けの祈祷(本来の意味の「祓」)

以外のものも含めて「お祓い」という。

また、神社が頒布する災厄除けの神札も「お祓い」と呼ばれる。


祓は、神道の神事において、禊や斎戒の後に行われる、

極めて重要な意義を持つ浄化の儀式である[1]。

祓の意義は、神を迎え交流するための準備として、

罪穢れのない清浄な空間をつくりあげるという点にある[1]。

そして、罪穢れについては、神事に臨む個人のものだけではなく、

この世界のあらゆる罪穢れを徹底的に祓い浄め、

「明(あか)き浄(きよ)き正しき直き」境地を求める姿勢こそが、

神道の根本思想とされる[1]。以上のように、

神道の根本思想に直接関わるがゆえに、

祓の意義は極めて大きく、祓のない神道祭式は存在しないとさえいわれる[1]。


目的

神前で祈り、祓詞を奏したり、財物などを

祓物として拠出させることで、その罪や穢れを購わせる。

なお、出雲大社には、祓について「不浄を清浄に、不完全を完全に、

不良を善良にすること。更には災いを除き幸福と平和を齎す(もたらす)。」

という教義がある[2]。


祓所(はらえど)

祓による浄化の効果を増大させるために、

祭場とは別の場所に忌竹を立てて、斎場(いつきば)として、

祓所をつくることもある[1]。神職は、祓所の前で祓詞を唱え、

神事に参列する者たちの頭上や、供えられた神饌の上を、

それぞれ左・右・左の順に祓串(大麻)を振って祓い浄める[1]。

また、神事によっては、沸騰させた塩水の湯を

それぞれに振りかけることもある(塩湯行事)[1]。


大祓

詳細は「大祓」を参照

大規模な祓は、年に2回、6月と12月の末日に大祓式にて行われる[1]。

大祓式の趣旨は、大祓詞を唱え、あらゆる人々の心身の穢れや、

無意識のうちに犯した罪や過ちを祓い浄めて、災厄を避けることにある[1]。

大祓式で、禊と祓の両方の内容が記された大祓詞を唱えることで、

ありとあらゆるものの罪穢れを祓い浄められるとされる[1]。


お祓い箱

かつて、伊勢神宮の御師が全国を廻って神宮の神札を配っていたが、

神札を入れる箱のことを「お祓い箱」と呼んでいた。

新しい神札が配られると古い神札は不要になるため、

「お祓」を「お払い」にかけて、

不要なものを捨てる(人を解雇する)ことを「お祓い箱(お払い箱)」という。


歴史

本来、神事における浄化の儀式としては、禊(みそぎ)と祓とがあり、

禊が身体の穢れを除去して浄める行為を指すのに対し、

祓は罪や災いをとり除く行為を指していた[1]。

だが、両者は機能が近いこともあり、記紀の時代には

既に、「ミツギハライ」と複合した言い方もされるようになっていた[1]。

法制史の世界においても、本来の祓には

穢れを除去する要素は含まれておらず、

天津罪・国津罪などを犯した者が財物を献上することで

神に祈謝・贖罪を行う一種の財産刑であったとする見方がある。

実際に中世の神社関係の文書では穢れの存在を理由として

祓が一定期間延期・中止されたとする記述が確認され、

祓は穢を除去するものではなく、

反対に穢を忌避するものと認識されていたことが知られている[3]。

祓は、最も古い文献においては、

記紀の須佐之男命を描く部分に登場する[1]。

須佐之男命が高天原で暴れたことを恐れた

天照大御神が天岩戸に隠れてしまった際、

須佐之男命は、その罪(大祓にある天津罪・国津罪)について、

多くの贖いを科され、髭と手足の爪を切られ、

高天原から追放されてしまう[1]。『日本書紀』では、

この贖いを「解除(はらえ)」としている[1]。

これより前には、伊弉諾が死んだ伊奘冉に

再会しに行った黄泉から帰ってきた後に、禊を行った。

律令国家成立以後は、大祓が

国家儀式として行われるようになった。

『古事記』仲哀天皇の段では、天皇の崩御により

国の大祓を、『日本書紀』では天武天皇のころに諸国の大祓を、

それぞれ行った記載がある[1]。大祓は中世に入ってから断絶したが、

1871年(明治4年)に再興され、

現在は、全国の諸社のほか、宮中や伊勢神宮でも

行われるようになり、非常に重要な神事と認識されるようになった[1]。


日本における祭文(さいもん)は、神を祭るときに読む文[1]。

本来、祭りのときなどに神仏に対して祈願や祝詞(のりと)として

用いられる願文であったが、のちに信仰を離れて芸能化していった。


山伏による祭文語り

祝詞が日本古来の祭儀に読まれ、伝統的ないし

公的な性質を強くもつのに対し、祭文は個人的・私的な性格を有し、

中国から伝来した祭祀などに唱えられることが多かった[1]。

なお、願文としての祭文が文献資料においてあらわれる

最も古い例は、8世紀末に成立した『続日本紀』においてである[2]。

語りもの芸能としての歴史は、中世にさかのぼる。

近世には歌謡化した「歌祭文(うたざいもん)」が隆盛し、

単に「祭文」といった場合には、この歌祭文を指すことも多い。


歴史

祭文は、神道における祝詞を母体にしながら生まれ、

中世には仏教の声明の強い影響を受けて山伏らによる

民間への布教手段として語られるようになり、

次第に宗教色を薄めて近世には遊芸となったものである。

巫女が憑依するときに唱える祝詞も祭文の一種である。

現代では東北地方を主としておこなわれる民間信仰「おしら様」において、

盲目の巫女「イタコ」が一対の木片(これを「おしら様」と称す)を

祭日に遊ばせる際、「おしら祭文」が語られる[3]。

一方、託宣が祭文のかたちをとってこんにちに残されたものとしては、

伊豆諸島の青ヶ島(東京都青ヶ島村)に伝わる

祭文や高知県に伝わる「いざなぎ流」の祭文(後述)がある[3]。


古代

神道の祭の際に神前で読む詞を「祝詞」と称したのに対し、

仏教風ないし中国風の祭祀にあっては「祭文」と称することが多かった[4]。

ただし、算博士の三善為康が永久4年(1116年)に編したといわれる

『朝野群載』にあっては、大祓の際にツミ・ケガレを祓うために

唱えられた「中臣祓詞」(大祓詞)が「中臣祭文」と表記されている[4]。

「中臣祓詞」ないし「中臣祭文」は、中臣氏が代々大祓の祝詞を宣(の)ることを

生業としたために生まれた名であり、平安京の朱雀門で奏上された[4]。

「祭文」の語が史料にあらわれる最古の例は『続日本紀』であり[2]、

桓武天皇治下の延暦6年(787年)11月、

天神を河内国交野(現大阪府交野市)に祀った際の祭文2編である[1][4]。

このとき、郊祀がおこなわれ、桓武天皇は実父の光仁天皇を併せて祀り、

「是天上帝に告ぐ」という中国の郊祀の

体裁をふまえた祭文をつくっている[4]。

この2編は漢文体であり、中国の「祭文」の形式を受け継いでいる[1]。

菅原道真『菅家文章』七「祭文」に収められた2編の祭文もまた、

中国の祭文形式で書かれており[1]、『延喜式』「大学寮式」の釈尊祭文、

『朝野群載』永久元年(1113年)2月の北辰祭文もまた、

漢文体の祭文である[4]。その他、『本朝文粋』『本朝続文粋』などにも

漢文体の祭文が収載されている。古代にあって祭文をつくった人物としては、

和漢に通じた学者として知られる大江匡房がおり、

『朝野群載』の承暦2年(1078年)条には彼のつくった歌合祭文が、

嘉承元年(1106年)条には匡房作成の病気平癒の祭文が収載されている[4]。

一方、祝詞は、神道において神徳を称え、

崇敬の意を表する文章を神に奏上し、

もって神々の加護や利益を得んとする詞章であった。

祝詞は通常大和言葉によってつくられ、

神職によって独自の節回しによる朗誦が行われる。

そのもっとも古い文例は、延長5年(927年)

完成の『延喜式』巻八に収録される29篇、次いで藤原頼長『台記』

(1155年以降完成)別記所収の「中臣寿詞」の計30篇である。

以上に対し、『延喜式』「陰陽寮式」収載された

儺祭(すくなまつり)の祭文は、祝詞文と漢文が混淆しており、

国語資料として貴重である[4]。儺祭は、

毎年12月晦日に宮廷でおこなわれた行事であり、

この祭文は陰陽師によって読まれた[1]。

詞の冒頭部分は漢文体、中間以降は

和文体の祝詞文で宣命書の表記法を用いている[1]。

儺祭は、日本古来の神の祭りではなく、

中国渡来の行事であり、陰陽師によってになわれたところから

「祭文」と称されたものと考えられる[1]。このように、

平安時代における祭文には陰陽道の色彩の濃いものも多く知られている[2]。]


[解説「十種神宝について」

Wikiから引用すると

十種神宝(とくさのかんだから)は、『先代旧事本紀』「天孫本紀」(巻3)に

天璽瑞宝十種(あまつしるし-みずたから-とくさ)として登場する

10種類の宝物。記述によると饒速日命(にぎはやひのみこと)が

天降りする際に、天神御祖(あまつかみみおや)から授けられたとする。


分類すれば、鏡2種、剣1種、玉4種、比礼(女性が首に結ばずに

掛け、左右から同じ長さで前に垂らすスカーフ様のもの)3種となる。

これを三種の神器に対応させて、鏡は八咫鏡、

剣と比礼は草薙剣、玉は八尺瓊勾玉であるとする説もある。

十種神宝の内容は以下の通りである。

沖津鏡(おきつかがみ)

辺津鏡(へつかがみ)

八握剣(やつかのつるぎ)

生玉(いくたま)

死返玉(まかるかへしのたま)

足玉(たるたま)

道返玉(ちかへしのたま)

蛇比礼(おろちのひれ)…大国主の神話に出てくる比礼との関係が注目される。

蜂比礼(はちのひれ)…大国主の神話に出てくる比礼との関係が注目される。

品物之比礼(くさぐさのもののひれ)


あまつしるし

十種神宝は『記紀』には出てこないが、

天津神の子であることを示す「あまつしるし」は、

『記紀』ともに神武天皇の段に登場し、『古語拾遺』などにも記載がある。

漢字は古事記は「天津瑞」、日本書紀は「天表」、

古語拾遺は「天璽」とそれぞれ当てている。各記述の相違は以下である。

古事記 - 単に天津瑞とだけしている。

日本書紀 -「天羽々矢(あまのははや)」と

「歩靱(かちゆき)」。武具らしき物を天表としている。

古語拾遺 - 現在も皇位の表徴として有名な、三種の神器を天璽としている。


布瑠の言

布瑠の言(ふるのこと)とは、「ひふみ祓詞」・

「ひふみ神言」ともいい、死者蘇生の言霊といわれる。


十種神宝の行方

石上神宮の祭神である布留御魂神は

十種神宝のことであるとする説もある。

石上神宮に伝わる鎮魂法では「ひふみの祓詞」や十種神宝の名前を唱える。

本物か不明であるが、大阪市平野区喜連6丁目にある

式内楯原神社内の神寶十種之宮に、偶然、

町の古道具屋で発見されたという十種神宝が祀られている。

石上神宮側から返還要請があったにもかかわらず、返していないという。

江戸時代、山崎闇斎は、垂加神道においては

神秘的な意義の有るものとして、さまざまな口伝的著述を残した。

籠神社には、息津鏡・辺津鏡という2面の鏡が伝世している。

十種神宝の沖津鏡・辺津鏡と

の関係は不明で、籠神社も特に見解は出していない。

秋田県大仙市の唐松神社には古史古伝のひとつである『物部文書』とともに

奥津鏡、辺津鏡、十握の剣、生玉、足玉とされる物が

所蔵されているという。京都市伏見区には伏見神寳神社がある。]

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る