『その時間、その場所で会おう』


触れては人間ではなくなる津波が来た。暗い半透明の粘菌にも見える。それはとても不規則な速度でヌルヌルと街のあらゆるものを飲み込み迫ってくる。


道端の名もなき花、小鳥や猫、美しい田んぼや公園の遊具まで…。


時に速まることもあるが、いつもは粘り気のある溶岩の様に遅く、子どもの僕でも走って逃げられた。


不思議なことにその不気味な粘菌の波は、他の人には見えない様だった。一人ひとり街の人達が飲み込まれていく。僕は、その様子を丘の上の高台から見ていた。


飲み込まれた人間は、影がなくなり感情が無くなり夢を失った。


不意に声が聞こえた。僕に話しかけているというより、空に語りかけているかのようだった。


「ごらん、人間がこの選択をすることは分かっていた。あれは人間には重すぎた放りだした荷物、無意識に求めた休息と死の渇望だ。」


傍らに、柵に肘をついたミステリアスな青年がいた。僕には、何のことかさっぱり分からなかった。


街から影と感情、そして夢が消えた。人びとは抜け殻の様に彷徨っている。人々の首の後ろから黒い花が咲いていた。


「あの花と花粉に近付いてはいけないよ。君も夢と希望、何より未来を奪われるからね。さぁ、こちらにおいで。」


白い服を着たその青年は、僕を丘の頂上にあるツリーハウスに招いた。青年の後ろ姿を見ながら歩く、その背中はどこか懐かしかった。


ツリーハウスの中に入ると、不思議な道具が溢れており、甘酸っぱい異世界の香りがした。天窓と大きな丸い2つの窓からは爽やかな風を感じた。


「あの波は繰り返されたことなんだ。あれは放り投げられた王の責任、守られなかった約束だ。」


青年は独り言のように囁いた。


「君は、君の大切な人たちをあれから守りたいかい? そうだね、では君にとって大切ではない人たちはどうかな。」


「分からないよ。でも、見捨てるのはあまりいい気分じゃないな。」


青年は温かい飲み物を机にそっと置いた、僕はそれを飲みながら答えた。


家族はすでにあの波に飲まれていたが、それはいわなかった。家族は僕にだけ見える波を信じないで飲み込まれてしまった。


「あの街を救えたのはあの波が見える者だけだ。そして、君の街はもう助からない。だが、隣の街はまだ助かる。」


青年はミステリアスに笑った。


「私や君は、その力を大切な者たちのために使えなかった。だけど、大切では無い知らない者たちは救える。」


「それになんの意味があるの?」

幼い僕は何も考えずに聞いた。


「意味なんてないさ。ただ、気に食わないだろ? 世界があんなものに呑み込まれて黒い花畑が生まれるのは…。」


そう、気に入らない。美しい街が汚されて亡霊たちが思い出の街を歩くのは…。


「僕も綺麗な世界がなくなるはイヤだ。」


「きっかけなんて何でもいいのさ。気に入らない景色をもとに戻すために、気に入らない連中を倒す。それでいいんだ。」


青年は丸窓の外を眺めながら少し声を荒げ嘆いた。


「あれは連中が放り投げた欺瞞と汚れの波、無名の人間の歴史への宣戦布告だ。」


僕はしばらくツリーハウスで生活して、様々なことを話した。青年は悲しいほど切実に世界を救いたかった。


僕は美しい世界のために青年と隣の街から救うことに決めた。


僕は青年のような善人ではなかった。大切ではない者たちを救うことには意味を見いだせなかったが、世界が醜い暗い津波に飲み込まれるのはイヤだった。


それに、青年といれば抜け殻にされた大切な友達や家族を元に戻す方法がわかるかもしれないと思った。


見知らぬ他者を救うために立ち上がった青年と、美しい自然と身近な大切な人を取り戻したい僕は荷物を背負い、ツリーハウスを出発した。


「時間との戦いだ、急ごう。」


青年の心には暗い波に飲み込まれていく街の人びとが浮かんだ。一方僕の心には、飲み込まれていく名もなき花や、小鳥や猫、美しい風景が浮かんでいた。


僕たちは、街から街へ渡りながら、波に飲み込まれそうな人を必死で説得し、時には大胆な行動を起こして必死で人々を助けた。


僕たちは気付いた。淀みの源泉が世界の中央にある限り、街を救っても焼け石に水だということを…。


計画的に街を渡り歩き、ついに全ての原因である淀みの源泉にたどり着いた。


結局2人が救えた街の人や美しい景色は少なかった。理想は街すべての住人だったが、現実はおそらく100人ぐらいだろう。


その代わり、同じく暗い波が見える仲間が2人増えて心強くなった。1人は僕と同世代の女の子、もう1人は日焼けしたヒゲの長い元気なお爺さんだった。


僕たちは4人だけだけど、自分の街を奪われた同じ境遇の人たちが世界中から、その淀みの源泉に集まってきた。


そして、その時は来た…。


すっかりボロボロになった白い服をなびかせながら、青年は周りのみんなに明るく話しかけた。


「理由なんてみんな違っていい。こうしてこの時刻、この場所、この座標に、これだけの自由意志を持つ人間が集まった。この光景が全ての答えだ。」


僕は周りを見た。実に様々な民族と生き生きとした表情がそこにあった。


「さぁ、淀みの源泉を取り除く時だ。」


満天の星空の中、私たちは手を繋ぎその淀みの源泉を囲んだ。すると、地面は震えて地下への道が開けた。


そこに、この美しい世界を破壊した原因である者たちがいた。欺瞞的な契約と責任さえ放り投げ荷を軽くしようとする強欲な人間たちがいた。


それぞれの人間が、それぞれの理由でその者たちを土に還した。世界をリセットして黒い花で覆い尽くそうとするものたちの終わりであった。


街から暗い津波は消えたが、抜け殻になった人間の首の黒い花は消えなかった。かつてないほどの笑顔で青年はいった。


「ここからが本当の戦いだ。影のない人間から黒い花を取り除き、夢と未来を取り戻そう。」


僕たちは頷いて手を叩きあった。ここに集まった人間には不可能はないと本気で思え、未来と希望を取り戻した。


青年は黒い花の研究をはじめ、僕は美しい自然の回復を研究した。みんなそれぞれ、破壊された大切な物を取り戻すために新たな戦いを始めた。


それぞれの顔には、生き生きとした意思の力が宿っていた。

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