『真夜中の即興散歩』


そばに名もなき小さな花が見える 風の通り道が見える

蝶がぼくのそばを通り抜けた。記憶の鱗粉を振りまき 視界から消えた


記憶の小雨が あたりを包む

あたりは静まり 夜のとばりに覆われた


キャンバスにこぼれる 虹のように あらゆる光が通り過ぎる

ようやく ここまで来たね 傘を持った少女は微笑む


少女がこちらに近づくにつれ 年齢を重ね やがて傘の下から微笑みかける

心配はいらない ほら 雨はもうすぐ上がる 歩きましょう


地面はちょろちょろと水が流れ 小さなカエルが くつに飛び乗った

ぼくはそれを 指に乗せてほほ笑んだ

カエルは 嬉しそうに鳴いて 近くの草原に消えた 目の前に湖が広がった


雨がやみ 星々が雲間から見えた 湖には小さな橋がありボートがある

いつの間にか ぼくと同じ年齢になった女性は 傘をたたんで 振り向いた

帰りましょう さぁ 私たちの世界へ


懐かしい 木製のボートに乗り 満点の星空を水面に映した 景色と風を楽しんだ

遠く魚の影が飛び跳ねて 景色が進んでいく ぼくは境界線を越えた


やがてボートは岸に着き 小さな家が見えた ぼくたちの家だ

ほぅっと安堵がこぼれる それにしても あちらの世界は酷かった

とてもつらく 苦しみに満ちていた とても心が歪み渦巻いた 苦しい鎖がやっとほどけた


ぼくはふいに服を脱ぎ 扉を開けた ただいま

女性は微笑みながら 灯りを付けた 


懐かしい服に着替え 体が身軽になる

そして あたたかな ベッドにもぐり 目をつむる

扉の向こうで 美しい歌声が聞こえる

そのリズムを感じていると 眠りに落ちた


目を覚ますと 秘密の部屋にいた

ここにはすべてがある 揺り椅子に老人の背中が見えた

どうだったかね? あちらの世界は? パイプを手に取り 優しく髭をなでながらぼくに聞いた


言葉にならない 言葉がでなかった

ぼくはただ 老人を抱きしめた 老人はごつごつした手で ぼくをやさしく受け止めた

気が付くと涙が出ていた 気が付くと老人は あの女性に変わっていた


大丈夫 あなたはすべてやった あとはあたしにまかせなさい

女性は明るく笑い ぼくの涙をふいた


秘密の部屋の扉が開く アレが扉から現れる

ぼくは すべてを知り すべてを答えた

世界はその瞬間 僅かに変調し あたたかい光が すべてを休めた


気が付くと ぼくは 最初の場所にいた

名もなき小さな花と 満天の夜空 星々の間に虹が見えた

鳥がその虹により添うように 飛んで行った


鳥を追いかけると 一人の男がいた

それが誰かは わかっていた

その男と手を合わせる ぼくは ぼく自身を取り戻した


内側にあたたかな光が芽生えた

心に森が生まれた そして 歌を口ずさむ

歌を歌うと あたりから命の気配が集まった


傷は癒え 痛みは消えた

ぼくは笑みを取り戻し つらく厳しい世界へと戻る

ふりかえると 女性と老人が微笑んでいる

いつでも帰ってきなさいと いっているように見えた


ぼくは前を向き あの世界へと足を踏み入れた

すべてあり すべて大丈夫

女性の声が聞こえた ここからはあたしにまかせて


天から星が降り 黒くゆがんだ世界を切り裂いた

それは再生の合図 呪いは解かれ 人々は その瞳に輝きを取り戻した

墓場のような世界に 美しい名もなき花があふれ 動物が飛び跳ねた


呪いの歌はあたりから消え 虫の聲が生まれた

土は再生し リスが木々の間を走り抜け 心の森があたりに広がった


遠く小さな 笑い声が聞こえる

花輪を編んだ子どもたちが こちらを見て微笑んだ 

子どもたちの無邪気な笑顔を見て 痛みの源泉が取れた気がした


その時 ようやく 自分を取り戻した 気がした

人生を取り戻し 時がまた 動き始めた 世界の再生が始まった

命が 本来の形を 取り戻した ぼくは爽快な気分で 大の字に寝た


何十年ぶりだろう 本当に 心の底から安らいだ気持ちで 眠りに落ちた

歌が聞こえる この時間が 永遠に続きますように…

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