『樹上の星』
サイバー拷問被害者のある男は長年の拷問に耐えかね、思い出の地である屋久島で自殺しようと決意した。決意したその日に、ロープと大量の睡眠薬、大量のお酒、少量の食料と水、大きな鞄を購入した。
余った預金をおろすと100万程になった。
煩悩の塊である男は、このお金を使いきった後に自殺しようと予定を変更した。
自殺しようと決めると、気分が暗くなるどころか心が少し軽くなった。サイバー拷問被害は相変わらずだが、自殺できる自由が嬉しかった。
男は部屋を整理し始めた。
そして、退職願いを書いた。
「生まれてくる時代を間違えたんだ」
男は呟いて、天井をあおいだ。
救急車のサイレンが鳴り、遠隔レイプの振動が起き、頭部に電磁波兵器特有の違和感を感じ、急にいつもの気分に戻された、自殺するという甘い誘惑の酔いさえ、覚めてしまった。
ふいに、外に出たくなり靴を履こうとするとスマホが鳴った。電話に出ると、懐かしい人の声が聞こえた。
「元気してる?」
「ああ」
しばらく世間話をすると、心が軽くなった。
電話で話し終わると急に絶望も忘れ、夜道をふらふら歩き、映画館に入って上映中の映画を内容も選ばずに見た。
映画の内容は、事件に巻き込まれ家族と恋人を失い絶望に浸ってた男性に、運命の女性が現れ事件を解決し、生きる希望を取り戻すというものだった。
現実はこうはいかない。男は映画の途中で、眠りに落ちた。サイバー拷問被害で安眠できる日は少なかったが、糸が切れたように眠りに落ちた。
砂浜にいる夢を見た。
父親の後ろ姿と、家族の笑い声が遠く聞こえる。
波打ち際を一人裸足で歩く、貝殻と小石を拾う。とてもお気に入りの貝殻を見つけた時、見知らぬ少女の手がその貝殻を拾い耳に当てた。しばらくすると、両手でその貝殻を少年姿の男にそっと渡し微笑んだ。
少年が貝殻を耳に当てると、優しい声が聞こえた。
「大丈夫、安心して。あなたは大丈夫よ。」
振り向くと美しい夕日とどこまでも続く海、家族のシルエットと笑い声が聞こえた。その時、目が覚めた。
映画館の警備員が、閉店時間を過ぎて寝ている男に声をかけた。男は久しぶりの夢を邪魔され、不機嫌になりながら夜の町に出た。
辺りはコンクリートの海と墓石のようなビル、全てが海に沈みビルの中を美しい魚が泳ぐイメージがわいた。まだ寝ぼけているようだ、腕時計をみるとゾッとした明日も仕事だ、早く帰らなければ。走り出すと、自殺するつもりで辞表を書いたのを思い出し、急にバカバカしくなった。
そして、近くのビジネスホテルでそのまま眠りについた。その日は夢は見なかった。昼近くに目が覚めたらホテルの中ではサイバー拷問が酷く、家と変わらないと思った。
一度帰宅し、会社に退職届けを出した後に、少し奮発してステーキ定食を食べ、昼間からビールを飲んだ。急に自殺する気が無くなった。我ながら、適当な男だなと感じた。
かといって生きる理由もなく、サイバー拷問が強まると急に再び自殺したくなると同時に、加害勢力の人を小馬鹿にするようなデータが、脳に送信されてきた。
その内容は自殺誘導と挑発の洗脳であり、わかっていたが、まんまとのせられ男は大きな鞄を持ち、飛行機に乗り、九州で一泊したのち船で屋久島に向かった。
船の中で、加害勢力は人が自殺し死に至る間の意識の流れを収録した電子データコレクションがあり、様々な人間の自殺を擬似体験するのが趣味でお前の自殺も擬似体験してやろう、と偉そうなデータを送ってきた。
いつもは末端の下請けオペレーターや人工知能が対応するが、その日は軍人がいるような気配がした。
「みんな、俺が死ぬのを待ち望み楽しんでいやがる、まるで新作のドラマや映画を観るように」
観光客に混じり、船から降り屋久島の観光ルートを歩き出す。雨が降り、同時に体感的な電磁波攻撃と脳へのデータ送信は弱まった。用意していた雨合羽に着替えると、観光ルートを外れ深い森へ入った。
ずっと、死ぬ時は人のいない大自然の中で死ぬのが夢だった。どういう仕組みかは分からないが深い森の中でも電磁波の干渉と攻撃は続いていた、だがいつもと違い多少からだの重さは減っている。取りつかれたように道無き道を歩き続ける。動物の鳴き声が聞こえる。もう、帰り道は分からない。
大きな鞄から、チョコレートと水を取り出した。同時に札束を輪ゴムで止めた塊が出てきた。それに触れた途端、急に苛立ち衝動的に札束を放り投げた。
札束に触れた手を天にかざすと雨が指を伝い顔へ滴る。ああ、久しぶりに生きているという実感、地球と一体になっている喜びを感じた。その瞬間、顔と心臓、股間に電磁波が来て燃えるような怒りが湧き出した。
痛みよりも屈辱、苦しみよりも精神の自由を汚されたのが腹立たしかった。腐敗したオペレーターが男に送った暴言データと、目の前に広がる美しい自然の対比が目に染みた。
道無き道をかき分けて進むと手を切った、手の傷よりも腕時計が嫌になり投げ捨てた。時間を忘れ歩き続けると、巨大な屋久杉を見つけた。
思い出の屋久杉とは異なるが、同じく壮大で思わず手を幹に当てた。そして、夢の中で貝殻を耳に当てたように、そっと巨木に顔を寄せた。
そうか、自殺の衝動や加害勢力の挑発は、天がおれをここに呼ぶための口実だったんだ。そう思うと、嘲笑うような調子でオペレーターが、
「そんなわけねえだろ、ばかかおまえは」と、電子データを男の脳に送ってきた。
美しい絵画に描かれた落書きのように、シリアスな映画を観ている時の観客の電話の声のように、僅かな電波が全ての価値を台無しにする。
そして、この美しい星を電磁波で汚し、自然を破壊している。私が受けている屈辱や痛みは、この星が人間から受けているものと同じだ。そう感傷的になり巨木の前で、腰を降ろした。
腰を降ろし雨に打たれながらボンヤリしていると、遠くにいる鹿と眼があった気がした。体が冷えてきて大きなカバンからウイスキーを取りだしひと口飲んだが、今感じている景色を酔いで汚したくないので瓶をポケットにいれ、10メートルはゆうにこえる屋久杉の幹回りをぐるりと回った。すると、この屋久杉は老木であり、中が空洞になっていることがわかった。屋久杉の中は、少し電波がとおりずらい気がした。
電磁波の干渉は以前続いていたが、不愉快な脳へのデータ送信はノイズになった。男はカバンの中身を全て出した。すると、長いロープやナイフ、睡眠薬の瓶が出てきた。
男は急に閃いたかのように長いロープを手にもち、屋久杉の枝にかけた。カバンに少量の食料と水、睡眠薬の瓶を入れてスルスルと高さ30メートルはありそうな屋久杉をロープをうまく使い登り、樹上に出た。
苔むした樹上には永い年月をかけて土が生まれ新たな植物や、木の実のなった小さな樹木が映えていた。雨は小雨になり、辺りに夜が迫ってきた。不思議と恐くはなかった。
ここで死にたい。男は急に思った。
ここで死に人知れず堆肥になり、この偉大な屋久杉の一部になりたいという衝動に駆られた。あの地上のアスファルトとコンクリートと人間がいる、電磁波に汚染された世界には戻りたくなかった。
赤子が母親を求めるように、ここを離れたくなかった。
眼をつむり大樹と気持ちを一体化していると、雲が晴れ星ぼしが出てきた。枝葉の隙間から壮大な景色に見とれていると
「何やってんだお前」
というオペレーターの、場違いなデータが脳に送られてきた。男は急に、全てが嫌になりポケットに入れていたウイスキーの瓶を取りだし飲みだした。
カバンに入れていたチョコレートを食べ、電波さえなければとつくづく思った。そして、横になっていると、いつもの電磁波攻撃が始まった。
加害勢力のデータいわく、座標の設定が調整でき衛星も男を補足しているため、安定した攻撃が可能な状態になったそうだ。
男はすっくと立ち上がり急に服を脱ぎ全裸になった。
「やっぱり死のう」
そう思いカバンから睡眠薬の瓶を取り出して、手のひらに全ての錠剤を出した。一気に口に含もうとすると、加害勢力の電磁波干渉でくしゃみを誘発させられ睡眠薬の錠剤を辺りにばらまいてしまった。見つかったのは5錠だけだった。
これで果たして死ねるのだろうかと男は若干の疑問を抱きながら手のひらの睡眠薬を飲み干し、ウイスキーを飲み干した。男は、深い眠りについた。
男は夢を見た。不思議な空間で成人の姿で男は凍えている。ふっと光が見え顔を上げると、あの夢の中の少女がいた。男の方に歩いてくる。一歩あゆむごとに少女は成長し、男の顔に手を当てて微笑んでいる時には、成人の女性になっていた。
体の震えが止まり、心の奥が温かくなってきた。
「大丈夫よ。あなたは大丈夫」
女性は、男を優しく抱き締めた。
男は大人になって、はじめて大声で泣いた。
星ぼしが、2人を見守っていた。
目が覚めると、自分が裸なのに驚いた。
自分がどこにいるのかも分からず、危うく足を滑らせ落ちるところだった。足に痛みと冷たさを感じ、それを手にした。夢で見た貝殻がそこにあった。
男は全てを思い出した。同時に電磁波の遠隔レイプと頭部への攻撃が始まり慌てて服を着た。
「結局死ねなかったな。」
その言葉は、男の独り言か、あるいはデータ送信かはわからない。確かなことは、男は今後2度と自殺を試みないことだった。カバンを持ち、貝殻を手にして耳に当てた。
声は聞こえたかったけど、代わりに波の音が聞こえた。貝殻を持って帰ろうとしたが、持ち帰ってもどうせ加害勢力の工作で失うと思い、あえてここに残すことにした。
男はひとつ深呼吸をしたのち、スルスルとロープを伝い地面に降りた。屋久杉の幹のまわりでは、2頭の野生の猿が眠っていた。男は苦笑いしながら屋久杉の空洞に入り名残惜しそうに座り少し瞑想した。
その後、屋久杉を後にして来た道を戻り始めた。
さらに2日ほど遭難したが、食料がつきた頃に観光ルートの道に偶然戻れた。港で会った観光客のスマホを借りて知り合いに送金してもらい、その日の船と飛行機で無事、地元に戻れた。
アスファルトとコンクリートの町、電波が行き交い集団ストーカーと呼ばれている売国利権集団がゾンビの様に付いてくる。まるで、先日のことが夢みたいだ。そして、仕事はなく、サイバー拷問は相変わらずだ。
男は懐かしい人に電話し、全てを話した。
相手は笑った。
「あなたが、自殺なんか出きるわけないじゃない」
男も笑った。
懐かしい人は、男にアルバイトを紹介した。
給料は安いが、自然と関われる仕事で良かった。
男はその後、サイバー拷問に関する書籍を出版した後、人々の前から姿を消した。あの日の樹上の景色を思い出しながら、今日もどこかで生きている。
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